ちょっと思うところがあったので先月5月は一体どれくらいこのブログの記事を書いたのかと改めて計測してみると、大まかな計算で文字数にして約52,000字、400字詰め原稿用紙に換算すると約130枚分書いていました。このところ投稿のペースがやや減少気味ですが、それでもこの数字ですのでほぼ毎月100枚は書いていると見て間違いないでしょう。
実は今日は暇も手伝って大学受験時にお世話になった地元の予備校を尋ねたのですが、うれしいことにそこの予備校の恩師らは自分を覚えていてくれており、しばし雑談に花を咲かせてまいりました。その際に英語を教わった恩師から、こんなことを聞かれました。
「ところで、君はまだ文章は書いているのか?」
この恩師には高校時代に私が書き溜めていた文章を何度かお見せしたことがあり、そうしたことをまだ覚えていてくれていたようです。ひとまずこのブログのことを教えておきましたが、この記事も見ていてくれてるのかな。
今ちらっと言いましたが、高校時代の段階ですでに私は相当量の文章を当時から書いていました。当時は小説が主で今みたいに評論を書くことはまだ少なかったのですが、それでも執筆量で言えば多分今より多かったと思います。調子のよかった頃は毎日二時間は何かしら書いており、一つの作品で原稿量が100枚を越えるのもザラでした。
では一体いつ、何をきっかけにしてこんだけダダ長いブログを書くほどまでに私が文章を書くようになったかですが、結論を一気に述べてしまうと最初は小説家を夢見たことがきっかけでした。
今はどうだか知りませんが、私が中学生の頃は「スレイヤーズ」などの青少年向けのファンタジー小説が大流行だった頃で、一つ私もそういった作品を書いてみたいと思ったことがきっかけで小説を書くようになりました。しかし今から思うと当時の文章力はお世辞にも立派なものではなく、よくあんな内容で新人賞に投稿をしてたなと自分で呆れるほどの腕前でしたが、若いせいか勢いだけは立派なもので汚い文字(当時は手書き)でくだらない内容の割には恐ろしい量を毎日書いており、出来上がる傍から学校の友人らに無理やり読ませては感想を聞きだしておりました。
その後も、飽きっぽい性格のクセに高校生になっても文章を書くことだけは何故か続け、高校一年の間はまだ小説を続けていたのですが二年生に入る頃にはなんだか自分は小説よりも評論とかエッセイのが向いているのに気がつき、それ以降は短い文字数ながらも内容にこだわったものを書くようになって行きました。
そして大学時代ですが、不思議なことに何故かこの時はほとんど文章らしい文章を書くことがありませんでした。唯一まとまったものとして形に残したのは中国での留学体験記(確か原稿用紙200枚程度)くらいで、あとはほぼ友人のレポートの代筆とかに無駄に力を発揮した程度です。ちなみに卒業論文の半分までも代筆した友人までもおります。
何故比較的時間に余裕のある大学時代に文章を書かなかったのかですが、それは自分自身、当時は自分の考えや体験を披露するよりも中身をしっかりと磨く必要があると自覚していたからだと思います。大学に入って優秀な友人らと出会ったことで自分の読書量とか知識量が如何に少ないかを思い知り、「こりゃまだ出力する段階じゃない、もっと入力に集中しなければ」と考え、徹底的にではありませんでしたが文章を書くことを自分に対して制限していました。
なもんだから在学中にブログが一般化してブームになりだした頃も、本音では自分でもやってみたいと思いつつも我慢し、卒業を控えた頃に至ってもうこの時期ならいいだろうと、2008年の12月にようやくこのブログを立ち上げる事となりました。ここまで言えばわかると思いますが、別に隠していたわけではないのですが現在の私は会社員で、基本的にこのブログは仕事が終わって帰宅した後に毎日書いております。一番不思議なのは会社に入ってからの方が更新数といい文字数といい、恐ろしい勢いで増えていったということです。ああやっぱり自分は文章が好きなんだなぁと、つくづくこのブログを読み返すたびに思います。
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