先ほど中国の大連から帰って来て、三日ぶりの更新です。今回はパックツアーだったので、中国語が使える身の自分からするとやや張り合いのない旅でしたがそこそこに楽しんできました。
それで早速本題ですが、発端は今回の旅先でのある出来事からでした。今回私が旅行してきたのは中国の大連市と瀋陽市で、分かる人にはすぐピンと来るでしょうがいわゆる旧満州国と日露戦争での歴史地を巡るツアーでした。元々うちの親父が日露戦争が昔から好きで行きたがっていた場所だったこともあり、それに同行する形で中国語の使える私もついていったのですが、瀋陽市にある瀋陽故宮を訪れた際に事は起こりました。
この瀋陽故宮というのは17世紀に満州族が中国を征服して清を立て、都を北京に移すまでの本拠地であった場所です。そこでここがどういった場所なのか、満州族は当時どのような勢力だったのか、そしてその後の清国はどのような国家形態だったのかを観光途中に親父へいろいろと説明したのですが、その際にある違和感を今回感じたわけです。
そもそもなんでうちの親父が日露戦争とかその辺の話が好きなのかと言うと、多分同じような方もたくさんおられるでしょうが司馬遼太郎氏の小説の「坂の上の雲」の影響です。そのためこの小説に描かれている日露戦争から満州帝国建国までの日本の歴史については親父はそこそこ知っているのですが、これが科目で言うと世界史に分類される分野となる当時の中国における清朝末期の状況になるととんと分からなくなり、太平天国の乱から辛亥革命、そして袁世凱政権移行の軍閥割拠の時代については全くといっていいほど親父は知識がありませんでした。なにせ、辮髪が満州族の風習ではなく漢族の文化だと思っていたくらいだし。
ただこうした傾向というのはなにもうちの親父に限ったことではなく、実はこれまでに私は何度も同じような人間、20世紀初頭の歴史についてある方面に知識が偏っている人間を何度も見てきており、その原因をちゃっちゃと言うと学校教育における歴史教育にあると私は断言できます。
まず高校での歴史科目について説明しますが、日本の高校教育、というよりも大学受験において文系受験者は社会科の受験科目に「日本史」と「世界史」のどちらか片方を選びます。よっぽど特殊な受験の仕方をしない限りは社会科は一科目で済むので、必然的に片方の科目だけを熱心に勉強してもう片方の勉強は恐ろしく疎かになる傾向は以前より指摘されており、確か2004年に受験科目に日本史を選択している高校生に対し本来必修として設けられている世界史の授業時間を設けずに日本史を教えていた高校が全国各地で見つかり、大問題になったことがありました。
そういうわけで同じ歴史という科目でありながら、高校生の間で日本史選択者と世界史選択者の間でそれぞれが持つ歴史知識にとてつもない溝ができるわけであります。
ここで私の秘話を明かすと、実は私は大学受験時にその特殊な受験の仕方をした一人で、日本史と世界史の両方を一緒に勉強していました。元々歴史が小学生の頃から得意だったので、この大学受験時の校内の模試成績でも両方とも常に上から五分の一で、日本史に至っては一番とか二番もしょっちゅう取るほどの成績でした。
そんなわけで受験後の進学先では日本史選択者とも世界史選択者とも歴史好きであればどちらとも非常にディープな会話が出来る奇妙な人材となったわけなのですが、双方の歴史好きと話していてやっぱり今回親父に感じたような違和感をこれまでによく感じていました。特に今回親父に解説をした、日本史と世界史の双方で取り上げられる日露戦争から満州事変、そして終戦までの部分は話を聞いているこっちが驚かされることが多かった気がします。
日本史の観点からすると日本が朝鮮半島の権益を確保するために日露戦争が起こり、その上に満州地域を中国から切り離して獲得するというシナリオが教えられるのですが、世界史の観点では欧州におけるクリミア戦争の敗北からロシアの南進が西から東へ移って日露戦争が起こるというシナリオが教えられます。
やはり両方の科目を学んだ身からすると、この時代における各国の動きを把握するためにはどちらの科目の知識もなくてはならないと思えます。またなにもこの部分に限らず、大航海時代など世界全体の動きに関わる場面においては双方の科目の知識がなければまるで意味がないとすら思う箇所も少なくありません。
結論を言えば私は真に歴史科目を自分の血となり肉となりして自らに役立てようとするならば、日本史世界史両方の科目を学ぶ必要が絶対的にあると思え、出来ることなら受験科目でも二つに分けずに「歴史」と一科目にまとめるべきだと考えております。ただこんなことを言えるのも私自身が歴史科目と相性がいいからで、そうでない人からしたら科目範囲が膨大になるから無茶な要求だと言われるかも知れません。事実自分で言ってて多少無茶な話かなとも思ってしまいます。
しかしせめて日本史選択者は世界史選択者に、世界史選択者は日本史選択者に機会がある毎に話を聞いて足りない知識を補完してもらいたいです。特に日中の現在の外交などを考える上で清朝末期の動きと日本陸軍内の抗争の知識は絶対的に必要で、昔のことだからと流さずに学ぶことをお勧めします。
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