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2009年8月10日月曜日

アヘン戦争直前の議論

 ちょっと出典の記憶が曖昧な内容ではありますが、なかなかタイムリーであるのでアヘン戦争直前に中国宮廷内で行われた議論について紹介いたします。

 さてアヘン戦争とくれば日本に含めた近代アジア史における重要度はいうまでもなく、東洋地域に西洋諸国が大きく出張る大きなきっかけとなった歴史的大事件です。この事件のきっかけとなったのはその名称の元となったアヘンこと麻薬ですが、当時中国を支配していた清帝国はこの時代においてもアヘンの吸引、密売を禁じてはいたところ、貿易品目の関係から金と銀が中国に流出する一方だった西洋諸国、とりわけイギリスが中国に対して販売する主要品目としてアヘンをガンガンと流し込んでおり、その結果当時の中国では国内のアヘン中毒者が急激に増え、社会的影響からも見逃せないほどの事態となっていったのです。

 ここに至り、清朝内においてこの事態をどうすべきかという議論が起こりました。そこでの議論は大きく二つに別れ、この際アヘンの吸引と販売を認めようとする容認派と、徹底的に根絶をはかろうとする取締り派が激しく火花を散らしました。
 ここが私的には面白いところなのですが、容認派の主張というのもこの様なものだったそうです。

「すでにアヘンは全土に広まっており、これを取り締まって根絶するのは不可能に近い。それならばいっそ輸入や販売に税金をかけて国庫の歳入の足しにした方がいい」

 もちろん程度の差こそありますが、現代的には中毒症状がある酒やタバコに税金をかけて流通させるような考えでしょう。しかしそれでもアヘンの社会的影響は多き過ぎるのではという意見に対し容認派は、

「たとえアヘンが流通したとしてもそれを吸引するのは文化レベルの低い下級層だけだ。上級層はこんな馬鹿なものはやらないし、国家の運営上なんら影響はない」

 こうした容認派の意見に対し、取締り派はこの様に反論しております。

「たとえ上級層がアヘンを吸引しないとしても(実際には皇帝でも吸っているのがいたそうですが)、植物が根っこから腐るように下級層の乱れは国家の大乱を導いてしまう。だからこそ不可能と言われようとも国はしっかりと取り締まる姿勢を見せなければならない」

 最終的にこの論争は取締り派が勝利し、広東にあの有名な林則徐が派遣されて厳正に取り締まり効果を挙げつつあったところを、イギリスがなりふりかまわない行動に出たことで清朝は無理やりアヘンを流通させられることとなったわけです。皮肉な歴史といえばそうですが、この論争は現代の麻薬や覚醒剤に対する認識を考える上でもなかなか有意義な議論だと思います。私などはこうした薬物を使わなくとも年中テンションの上がり下がりが激しいので全然興味がありませんが、薬物の影響を個人でみるか社会で見るか、著名人の逮捕を受けて考える内容ではないでしょうか。

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