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2009年9月29日火曜日

長崎市長射殺事件の高裁判決について

 最近は少なくなっていた頭痛が今日また再発して現在ひぃひぃ言っている状態なので、またも軽く流せるニュースネタです。本当は今日あたり、はらくくって戸籍廃止について語りたかったのですが。

長崎市長射殺 2審は無期 死刑破棄「金目的でない」 福岡高裁判決(Yahooニュース)

 リンクに貼ったニュースは2007年に起きた、選挙活動中に射殺された元長崎市長の伊藤一長氏の殺害事件の裁判において、一審の死刑判決が福岡高裁にて破棄され改めて犯人に無期懲役刑が判決されたことを報じるニュースです。

 この事件を簡単に解説すると、元暴力団員の犯人である城尾被告は市側に公共事業の発注などの件が思い通りに行かなかったことから市側を恨み、その私怨から2007年に選挙中のため街頭で演説中の伊藤氏を公然の中で殺害したという事件です。もっともこの犯人の殺害動機についてはウィキペディアにも書いてある通りに、あくまで犯人が自供した内容であって必ずしも真実である保障はありません。
 この事件は当初よりその殺害の方法や被害者の役職などから政治テロと見られ真実を究明する場である裁判もかねてより注目されており、第一審ではこうした背景が影響されたかはわかりませんが、殺害人数が一人にも関わらず極刑である死刑が判決されました(死刑判決には複数人の殺害が一つの基準となっている)。

 それが今回、高裁の二審にて一審の死刑判決が破棄されて無期懲役に減刑されたわけですが、私自身は死刑廃立派ではあるものの、今回の判決については率直に言って納得できない点が数多くあります。
 これはNHKの報道内容ですが、松尾裁判長による判決理由によると、

1、殺害数は一人である。
2、政治的目的によるテロではなく、個人の私怨による犯行である。

 といった理由から、極刑は重過ぎるということで無期懲役刑にしたそうです。
 しかしまず一番目の理由についてですが、一人殺せば無期懲役、二人殺せば死刑では、人間の命の重さがなんだかわからなくなるのではと私の友人がよく言っており、私もそんな気がしてきます。

 そして今回私が一番反応した二番目の理由ですが、この松雄裁判長の話を聞くと、何かしらの信条を持った政治的なテロでは重刑も仕方がないが、個人の短絡的な犯行ならそこまで重刑にしなくてもいいという風に私は読み取ったのですが、はっきり言って私はこのような判断は現在の日本において非常に危険なのではないかと咄嗟に考えました。

 こういう風に考えるのも、この前のテレビタックルにて北野たけし氏が政治に期待することとして、教育問題を挙げていたことからでした。北野氏によると、最近は元厚生次官連続殺人事件秋葉原での連続殺傷事件のように、会社や社会で感じた恨みを全然関係ない人に向けて殺害することで発散しようとする事件が続出しており、傍目にもこうした風潮をまずどうにかした方がいいのではないかと話しており、私もなるほどと思わせられたわけです。
 この長崎市長殺害事件も、必ずしも信用できるわけじゃありませんが犯人の供述通りに受け取るのであれば、自治体の長崎市に感じた恨みを直接的に関係のない市長にぶつけるなど、先ほどの例とまるっきり同系統の事件として考えられます。

 私はこのような、世間で感じた恨みを全く関係のない、それも場合によって自分より弱い人間にぶつけようとする風潮は非常に危険で、可能な限り早く根絶する必要があると考えております。そうした意味で、「政治的テロ>私怨による短絡的犯行」という判決理由を出した今回の判決には疑問を感じ、私怨による短絡的犯行もこれからは厳しく裁かれるのだという姿勢こそ世に打ち出すべきだったのではないかと思ったため、この判決に納得いかなかったわけです。

 またこれは補足ですが、政治テロはもちろん許されざる行為だと私は認識していますが、それこそこの前にくたばった瀬島龍三みたいな人間の殺害であれば、その行為は認めないまでもその実行者に対して心情的にはまだ多少の共感を覚えると思います。

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