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2010年1月30日土曜日

集中度と時間感覚

 また随分と前回の記事から時間が空いてしまいましたが、「時間の概念」カテゴリーの記事の続きです。今回は集中度が時間感覚にどのように影響するのか、検証なんてやってるわけないので仮説ばかり片っ端から書いていきます。

 私と友人がこの時間の概念について話している際、どっちから出てきたのか忘れましたがこういう一言がありました。

「あのさ、よくゲームとかカラオケやっている楽しい時間って、気がついてみたらこんなに時間が経っていたのかと思うくらい時間が早く感じることがあるよね」
「そうだよね。逆にきついバイトとかしてると、まだ終わんないのかって思うくらい時間が長く感じるよなぁ」
「そうそう。つまり楽しい時間っていうのは早く過ぎて、苦しい時間は長くかかるってことなのかな」
「うわ、なんか生きてくのが嫌になるな……」

 恐らくこういったことは、誰にでも当てはまるかと思います。
 何かしら自分が楽しいと思えることをしている時間は通常の時間間隔より早く感じる一方、苦しさや辛さを感じるような、言い換えれば早く終われよと思うようなことをしている時間は意に反して長く感じがちです。こうして書くとそれぞれが逆であればどんなにいいものかと思わずにはいられませんね。

 それで早速この話をした際に友人と何故この様に感覚が違ってくるのか話したのですが、単純に楽しければ短い、苦しければ長いというよりも両方を跨ぐ要素がなにかしらないのかといろいろ挙げていったわけですが案外ありそうでなく苦心し、そんな中で何かの拍子で出てきたこの一言が一つのヒントとなりました。

「あとさ、同じ作業をするにしても急いでやらなきゃいけない時の方が急がなくてもいい時より早く感じない?」
「あるある。急いでいるのにどうしてこんなに時間が早く来るのかとか、同じ三十分でも全然違うよ」
「急ぐ時にあるものって言ったら、やっぱり焦りかな」

 この最後の一言こと、「焦り」というものが時間間隔に大きく影響しているのではないかと、この後しばらく我々の間で大ブームになりました。我々つっても、二人だけだけど。

 もう少し詳しく説明すると「焦り」、さらに言い換えると「集中する度合い」というものが高ければ高いほど時間間隔が短くなるのではないかと我々は考えたわけです。
 前回の記事で私は周囲の雑音が多ければ多いほど時間間隔が短くなるので、雑音の多い都会にいるよりも田舎にいる方が時間が長く感じるのではと書きました。それは何故かと言うと雑音が多ければ意識を振りまく対象が増えるためで、そういった意識対象となるものの数の大小によって時間間隔が変わってくるからだと説明しました。

 実はこの説明には穴があり、実質的には意識対象の数というよりも意識する度合いこと集中度が時間間隔を変化させる最大の要因だと私は睨んでいます。
 仮に人間の集中度の上限を100%と定義すると、先程の都会と田舎での生活における集中度の割合は大まかに言ってこんな具合になると思います。

・都会での生活
1、車の音:10%
2、人の話し声:15%
合計:25%

・田舎での生活
1、虫の声:5%
合計:5%

(無意識に聞こえてくる音のみ。パーセンテージは独断と偏見によるもの)

 両者を比べれば意識が振り向けられる音の対象と度合いは歴然としており、これはそのままその人の集中が向く先とその度合いと言い換えることが出来ます。これはなにも音だけに限らず、当人が実行している行動もその集中度に当てはまり、例えば同じく勉強という行為をするにしても、好きな科目を勉強していて集中度が高い状態と、苦手な科目を無理やりやるような集中度が低い状態では時間間隔に差があり、前者の方が早く感じるのではないかと思います。ただしこれは本人が楽しんでやれる行為をしている際に集中度が高く、その逆であれば低いという前提で、さらに途中で出てきた「焦り」については焦っている状態はそうでない状態より対象への集中度が高いという仮定の上での意見です。

 ただひとつ注意するのは、ここで語っている時間間隔を左右する集中度というのは何か一つの対象への絶対度的なものではなく、その状態で意識する対象すべての集中度を合計したものです。たとえばAさんとBさんがお互いに勉強に対して集中度50%で望んでいるものの、Bさんは音楽を掛けていてそちらに15%ほど集中度を持っているとBさんの方が時間間隔は早くなるといった具合です。

 もはや全然つながりのない内容ばかりとなっていますが最後にまとめると、意識する対象の数や集中度、そういったものが比較的短時間における個人の時間間隔に大きく影響を及ぼしているのではないかと私は考えているわけです。言ってしまえば何にも気をふりまかずボーっとしている状態が最も時間間隔がゆっくりとなる方法で、逆に生き馬の目を射抜かんばかりに何かをしようとすればするほど時間は早く感じるわけです。急がば回れとはよく言うもので、時間に裕福に生きたいのであれば余計なものに意識をかけず、泰然として物に当たるということなのかもしれません。

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