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2011年2月4日金曜日

K先生の授業

 昨日書いた「発言に対する制裁」の記事の中で私は、よく日本人は没個性的であまり独自の意見を持たないという風にも言われますがそうではなく、個々人でそれぞれ意見を持っていながらも発言や主張をすると制裁を受けやすい日本の社会性ゆえに日本人はそれをあまり出そうとしないのではという意見を主張しました。私が何故このような考え方を持つに至ったかについて、今日はその理由となったK先生の授業について思い出話をしようと思います。

 K先生というのは私の大学に来ていた外部講師で、関西の私大を中心に結構いろんなところで現在も講義を行っております。詳しい来歴についてはここでは書きませんがとにもかくにも顔が広い人間で、関西の経済学系の教授名を出せば大抵はどんな人物で業績があるかすぐに答えられるほどでした。
 私がK先生の授業を初めて受けたのは二回生の頃でしたが、そのK先生の授業は二コマ続きの計180分授業で、授業時間の長さが嫌われてか私の周りではそれほど一緒に受けようという学生はいませんでした。

 そんなK先生の授業ですが、具体的にどのようなことをしたのかというとまず最初の一コマ目の授業では教科書として指定されている本をいくつかに分割し、担当の学生が割り当てられた箇所をレジメなどを利用して内容を解説します。そしてその解説に対してK先生がいくらかの補足をして一コマ目を終え、続く二コマ目においては解説された箇所に対して授業に参加している学生それぞれが持った感想を発表するというような具合で毎週進行していました。
 この授業で肝心だったのは言うまでもなく二コマ目で、通常意見や感想発表ともなると挙手による指名制なのですがこの授業ではなんと端っこの学生から順番に一人ずつ、完全に強制で何かしら意見を言わされていました。あらかじめ全員発表されるとわかっているのでそれほど熱心でない学生も何かしら言おうと、ほかの人が意見を言っている間に自分の意見を考えさせられて主張させられるような授業でした。

 この意見発表を行う二コマ目ですが、実は当初は私も警戒をしていました。別に何かしら意見を作って発表するのは苦手でもなんでもないのですが教科書を指定してきているのはK先生だし、下手に本に書かれた内容を否定したらあまりいい感情を持たれないだろうと思い、わざわざ喧嘩してまで意見を言う場所ではないと思って当初は当たり障りのない意見をお飾り程度に発表してました。しかしこの授業を二度三度受け続けているうちに、学生が発表する意見に対してK先生が何も言わないことに気づきました。
 学生の意見に対して意見の中に出てきた事項の周辺情報を補足することはあっても、学生の意見それ自身に対しては否定も肯定もK先生は一切していませんでした。授業を受けているうちにこのことに気がついた私は、案外この先生なら何言ったところで許してもらえるかもしれないと思ってその日から本当に思ったこととして、解説の終わった後に下記のような発言を行いました。

「言っては何ですがこの本の作者は悪い人じゃないんだろうけど、なんか考え方に偏りがあるというか主張に現実味がないような気がします」

 もちろんこの日も、K先生は私に対して何も言いませんでした。

 するとこのようなK先生の態度にほかの学生も徐々に気がついてきたのか、私以外にも結構激しい主張をしたりほかの人の意見に対して鋭い質問を行ったりと、段々と授業内で活発な議論が起こるようになって来ました。それこそ最初の授業の方ではせいぜい単位をとるくらいにしかやる気が見えず遅刻も多かったほかの学生も、終盤になってくると「この人はこんな意見を持っていたのか」と思うような面白い意見を出してくるようになったりして、授業後も親交を持つ仲になった学生も何人かおります。

 そんな具合で学期最後の授業を終えて記述式のテスト日、ほかの先生にはしたことはありませんがこのK先生に対しては答案提出後に深々と頭を下げて授業のお礼まで言いました。あとどうでもいいですがこの日このテスト前に教室前で待ってたところ、教室番号の確認のために声をかけてきたのが今も親交が続く一学年下の友人です。あまりに顔が老けてるから最初は年下だと思わなかったし。
 こうしてK先生の最初の授業は終えたのですが、その後単位にはならないとわかりつつも三回生、四回生時にも同じK先生の授業を受け続け、都合三年間もK先生からいろいろ教えを乞いて現在においても時折メールを交換する程度に親交を続けております。授業内容は二回生、三回生時はほとんど同じで四回生時には教科書も変わった事からそれまでと大幅に内容が代わりましたが、授業に参加する学生は私を除いてどれも別々で意見もまた人によって変わるためにそれほど退屈することはありせんでした。

 確か三回生の終わり頃、直接K先生に対してどうしてこのような授業方法を行うのか聞いてみたことがあります。するとK先生は中にはやっぱり生意気だと思う学生の意見もあるそうですがそれを敢えて何も言わずに好きに発言させ続けていると、自然と学生自身が問題に対していろいろ考えるようになって面白い意見を言い出すようになるのだと答えてくれました。このK先生の意見を聞いて私自身も深く納得するとともに、学生から意見を引き出すには沈黙は金なのだななどと考えました。
 それ以降、私もK先生を見習って後輩を指導する際には後輩の出す意見に対してそれが明らかに間違っているとわかっている意見だとしても、最初の段階では強く否定することは控えるようになりました。そうは言っても私はよく人から、「プレッシャーが半端じゃない」、「意見を求められるのが恐い」などと言われてしまいますが。

 ちなみに前ブログの「陽月秘話」における労働関係の話のほとんどはこの時に受けたK先生の授業内容がベースとなっております。今回このK先生の授業のことを書こうと思ったのは日本人が意見を発言することについて思うのを解説するのと同時に、たまたま中国に来る前に四回生時のK先生の授業で一緒だった友人と久しぶりに会話したことがきっかけでした。その友人は控えめに言っても頭の回る友人で、高い志を持てばそれに見合う環境を得、それに見合う友人も得られるのだと考えております。

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