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2011年4月14日木曜日

歴史が逆転する時

 このところ毎晩上司に夕食をおごってもらっている関係でなかなかブログを書く時間がありません。あとどうでもいいですが、OSが中国仕様なのが影響しているのかどうも文章書いてて漢字の変換が妙な具合に反映されます。

 そういうわけで困った時の歴史ネタですが、以前に聞いた話でもしかしたら陽月秘話時代にも書いているかもしれませんが、20世紀後半にヨーロッパで酸性雨が問題となった時期、ヨーロッパの各地では彫像や建築物が雨によって溶ける現象が続発していました。現在では大分改善されてそういったことはほとんどなくなってはいるのですが、そういった時期を過ごしているにもかかわらず観光地になっているような古代ギリシャに作られたような神殿などは一切溶けることはなく、往年のその姿を保ち続けていました。これは一体何故かと言うと、実は古代ギリシャの建築に使われたコンクリートの製造技術は非常に高く、それこそ二十世紀末になるまで同等の品質のコンクリートを作ることが出来なかったそうです。

 現代の生活をしているとパソコンを始めとして技術や製法というものは後の時代になればなるほど優れたものになると思いがちですが、実際の歴史を見るとこのコンクリートの例のように往々にして過去の技術が上回る、というより技術が時代とともに後退するということが起こっています。同じく古代ギリシャを例に取ると数学は次のローマ帝国時代には早くも後退し、十七世紀くらいになるまで追いつくことはありませんでした。

 日本だと職人芸がよく失われることが多く、代表的な例だと戦艦大和は現代のどんな技術を要しても再現することは不可能と言われております。何でも大和の装甲は溶接でもリベット止めでもなく、プラモデルのように何トンもある装甲同士に数ミリ単位の凹凸を設けて、それらを噛み合わせてつなげていたそうです。木や紙ならともかく、削ったり曲げたりすることの出来ない鋼鉄でよくそんな芸当が出来たものだとつくづく戦前の日本には感心させられます。

 これは社会主義の人間に多いですが、進歩主義と言って歴史というのは下っていくにつれて後退することなくどんどん良くなるという思想がありますが、私はこれは根本的に間違っていると考えております。知識や技術というものは本当にちょっとしたことで簡単に失われる可能性があり、それこそ発展させるだけでなく維持するということ自体も本当は大変な作業だと思います。東洋では「温故知新」という言葉を筆頭に比較的過去を省みる思想が多く、儒教に至っては紀元前十世紀の周の時代が最も良い時代で、いかにしてその時代に戻るかということが追求されるほどの徹底っぷりです。まぁそのせいで十九世紀はごたごたしたんだけど。

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