以前に東條英機の記事を書いた際にウィキペディアを閲覧したのですが、その中に書かれていた「東條英機暗殺計画」にいくらか興味を引く内容が書かれていました。
最近批判のトーンが落ちてきていますが東條英機は特高を非常によく活用して密告者やら自分を批判したメディア関係者をあの手この手で葬るなど、実質的に恐怖政治を敷いておりました。そのため彼が権力の座にある限りは批判はおろか政策提言すらできず、早くに太平洋戦争は負け戦だとわかり降伏、もしくは和議に応じるべきと考える政治家や軍人も少なからずいたものの、東條がいる間はそれらを実行するのはほぼ不可能でした。
最終的に東條はサイパン陥落の責任を取る形で首相職を辞任、とはいっても本人はまた自分の分をわきまえずにえらく抵抗したそうですが、岸信介が事実上の暗殺脅迫にも屈せず造反したことで引き摺り下ろされることとなりました。ただ彼が退陣するまで降伏主導派の中では、東條暗殺を本気で計画する人間も出ており、あの細川護煕元首相の父である細川護貞氏も宮中にいた戦時中の自身の日記にて、「もはや東條を殺すしかない」という考えを木戸幸一に伝えたところ、「滅多な事を言うべきでない」と制止されたという話が載せられています。なおこの時のことについて細川護貞氏は、「制止されて部屋を出たところ、急に恐ろしくなって膝がガクガクと震えだした」と書いています。
そうした数ある東條英機暗殺計画の一つに、ある二人の柔道家が関わった例があります。その柔道家とは牛島辰熊とその弟子である木村政彦のことですが、今の今までこの二人について何の知識も持っていなかったためにこの話を知った時に調べてみたのですが、なかなか興味深い人生をたどった柔道家であることはもとより写真を見ていろいろと非常に凄まじいインパクトを受けました。百聞は一見に如かずなので、ウィキペディアから引っ張ってきた写真を早速載せます。
牛島辰熊
木村政彦
この二人の写真を見た第一印象をありのままに述べると、「こんな奴らに命を狙われて、生き残る自信がねぇ(゚д゚;)」、というものでした。っていうか、恐すぎるだろ二人とも……。
まず件の東條英機暗殺計画についてですが、これは石原莞爾などとも交流のあった牛島辰熊と陸軍少佐の津野田知重が1944年に企図したもので青酸ガス爆弾を投げつけるという計画だったそうで、その鉄砲玉として牛島は愛弟子の木村政彦を使おうと考えていたそうです。ただ計画は実行される前にばれて牛島も津野田も憲兵隊に捕まったために未遂に終わったそうですが、何故だか処分は軽く執行猶予刑で済んでます。
そんな二人の柔道家ですがどちらも全盛期には最強と呼ばれる程の実力者で、特に木村については「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とまで言われ、現代にいたるまで歴代最強の柔道家という呼び声も高い人物です。ただ二人とも柔道家としては不運な人生をたどっており、牛島は柔道の興隆を目指して国際柔道協会というプロ柔道団体を設立したことから、その功績からすれば最高段位である十段まで登りつめてもおかしくなかったのに九段にとどめられ、木村もこれに参加したためか七段で終わったそうです。
ただ木村は戦後、ある意味で日本初の総合格闘家に転身してブラジルでブラジリアン柔術のエリオ・グレイシーを破ったり、力道山との確執のある試合など多くのエピソードを残しています。人に歴史ありとは言いますが、一つの事件からこうしたいろんなエピソードにつながっていくのを見るたびに歴史に面白味を感じます。
木村政彦の画像は偽物です。
返信削除昔の工作員は顔の合成下手すぎ。
さすがにバレバレ
この写真は木村政彦の著書にも使われてる写真ですから、
返信削除合成ではないと思います。
わざわざご指摘ありがとうございます。
削除最初のコメントの人は合成であるという根拠らしい根拠も述べず、そもそも出版されている本とかにではなくこんな一ブログにしょうもないこと書いてきた時点で救いようのないただのアホだと思って無視してました。コメントすればいろんなログも残るっていうのに何がしたかったのか理解に苦しむのですが、見てる人はちゃんと見てくれているのだと今回のご指摘で改めて再確認できました。