前回に引き続き今回も自分語りですが、前回では自分が中国に渡ったところまで話しました。少し解説し忘れた点があるのですが、中国での私の雇用形態は現地採用方式で、雇用に関する基準も日本の法令にではなく中国の法令に沿ったものでありました。これが何を意味するかと言うと、一番大きな影響は賃金にあり、時間給では確実に日本の最低賃金をブッちぎっててリアルに年収は為替変動もありますが、日本円で150万円を切っておりました。ただこの賃金の低さ自体は契約前に提示されており私も納得してサインしているので文句を言うのは筋違いですし、むしろ未経験者が入り辛い編集業務に入れてもらったことに強い恩を感じております。まぁこれで給与も高かったらもっと良いに決まってますが……。
何はともあれそうして編集職での生活が始まったのは2011年3月からで、最初は中国語の翻訳すらおぼつかなかったものの何とか仕事も少しずつできるようになり、また2011年10月から12月には香港へ長期出張に出かけるなど、2011年の一年間は今以てしても中身の濃い一年だったと記憶します。本格的に中国、上海での仕事生活が始まったのは香港から帰ってきた翌2012年1月からですが、この頃からは取材などにも頻繁に出かけるようになりそれなりに充実していたかと思います。
知ってる人には早いですが私はもともと記者職に就きたいと考えていたものの、この業種への就職では不利となる関西圏の大学に進学した上に見事に新卒で入れなかったことからもうかかわることはないと思っていただけに、中国に来てこのような職に就くとは非常に運命はわからないものだと強く感じました。先にも書いてある通りにこの業界は異業種からの転職が難しく経験者が優遇される業界だけに、恐らく日本国内に留まっていれば全くチャンスはなく、最低限翻訳することのできる中国語能力が求められた現地採用だからこそうまくもぐりこめたと思うし、実際に会社の上司らもそう言っていました。
ただそうして憧れの職業に就いたものの、迷いと言うかこのままでいいのかという気持ちは常に抱いておりました。というのもこれは新卒の就職活動時にも考えていたことですが、仮に新聞社なりで編集職に就いたらほかの大多数の人間が就く仕事、たとえば営業なり経理なり事務なりといった仕事が一切体験できない、分からないままで一生が終わるのでは、それはそれでなんかおいしいところを逃してしまっているのではという懸念がありました。まどろっこしい言い方せずにストレートに書くと、記事しか書けない人間で終わってしまうのはもったいない、記事も書ける、営業もできる、経理もできる、経営もできるような人間の方が圧倒的に強くて楽しそうじゃないかと考えてました。幸いと言うか自分の場合はまだ日本で就職した会社で貿易事務をやり、簡単な営業とかも経験してはおりますが、それでも仕事内容は新人の範囲に留まっており個人的にはまだ納得できる量ではありませんでした。
そんなわけの分からない思想を持った自分が出した結論というのも、もったいぶって言うほどのものではありませんが三度目の退職でした。素知らぬ振りしてブログも更新し続けておりましたが、実は三日前に日本に帰国し、現在自分の会社の設立手続きを進めております。編集職に未練がなかったわけではありませんが、もっと自分の力量を試してみたい、伸ばしてみたいという気持ちと共に、中国への転職前にNHKの取材を受けた際、「やる気のある若者を日本はどんどん海外に送り出すべきだ。そして将来、そういう人たちに日本に帰ってきてもらって国内の成長を担ってほしいです」と、NHKの記者に言われた言葉を自分自身で実行すべきだという、また妙な結論に至ったわけです。前から単純に、今日本に何をするのが一番ためになるのかと言えば少しでも雇用を作るべきだと思っていたし。
そういうわけでプロフィール欄もちょっと変更し、また心機一転でこのブログを運営して行こうと思います。最後になりますが現時点でもう自分は、日本において一般的な社会地位向上のレールから大きく逸脱したと考えています。多分この後は落ちる一方でしょうが、少なくともそれはすべて自分の責任に由来するもので納得することはあっても後悔することはないと思います。
それにしても、我ながら思い切った性格してるなぁとため息出てきます。
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