このところ政治解説が疎かになっているので、一票の格差を解消するため現在審議されている「0増5減案」について私の意見を今日は解説します。結論から言えば次回の参議院選挙が今夏に予定されていることもあり、一時的な代替策としては現法案で問題はないと考えております。
一票の格差問題についてはさすがにいちいち解説しませんが、今検討されているこの0増5減案が成立することによって1人の国会議員が当選するのに必要な得票数の差は前回選挙での最大2.52倍から1.998倍に縮小されるそうです。世界的には2倍以下が合理的とされているので無理矢理数字を合わせた感がありますが、既に述べているように次回の選挙も近いことですし、現状は早期にこの改革案を成立させもっと別の問題の議論に時間を投じた方がいいと私は思います。
ただこの改革案ですが、都市部への人口集中が続いている現状からすると1.998倍の差は5年もすればまた2倍以上に開くことは確実です。そういう意味では根本的な解決に至っていないともいえ、現状はこれでいいとしても選挙の度に毎回区割りを修正するのも問題ですし、抜本的な改革案は今後も求められます。
ではどういう風に改革すればいいのかですが、一つの議題となるのは比例代表制の議席枠です。民主党なんか比例の議席枠をもっと減らすべきだなどと主張しているようですが、小政党からしたら地方選よりも比例選の方が議席が取りやすく、公明党と連立を組んでいる自民党としても比例枠を減らしたくないのが本音でしょう。
私自身としては現在の比例制だと政治家の新陳代謝が働かない、要するに無能な重鎮が生き残りやすいためあまり好ましく思っていませんが、地方選との二重出馬を禁止するならば小政党を生かすために存続した方がいいと考えております。となるとやっぱり地方選の区割り、または議席数を大胆に修正していくというのが無難な案といえるかもしれません。
補足として選挙制度についてもう一点加えると、以前からも主張しておりますが現在の参議院はタレント議員が多い上に衆議院と何の差もなく、その存在意義に対し強い疑問を私は感じております。はっきり言って不要だと思えるくらいで、それであればもっと独自性の強い議員にすべきと考えており、選挙制度をこの際だから抜本的に改革したらどうかと思います。どんな選挙制度がいいのか私の案を述べると、やはりアメリカ同様に、各都道府県につき2人ずつ当選し、47都道府県だから94人が定員の議員にした方がいいと思います。
この選挙制度の特徴はなんといっても、人口比に縛られず各地方の代表が確実に2人ずつ議会に送られてくる点にあります。言ってしまえば衆議院に比べて都市部よりも地方の意見力が強く発信されやすく、国の代表たる衆議院議員に対して地方の代表たる参議院議員という構図が出来ます。優越権はもちろん現行制度の通り衆議院が持ちますが、地方の代表者が国政の場で意見を発信しやすくさせるためにこの制度が一番ありじゃないかというのが、今日の私の意見です。
書き終ってからなんだけど、0増5減についてほとんど語ってないな……。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
ページ
▼
2013年3月31日日曜日
2013年3月30日土曜日
暗殺者列伝~山口二矢
このところ「暗殺教室」、「AZUMI」という暗殺に関わる漫画ばかり読んでて「暗殺」という言葉に対していろいろ思うことがあるので、実在した暗殺者を取り上げて皆さんと一緒に考えてみたくなりました。そんなわけで、「猛将列伝」に続く列伝物のカテゴリーとして今日から「暗殺者列伝」っていうのを始めます。栄えある一発目は物知りな友人も知らなくて「ヨッシャヽ(・∀・ )ノ」と思った17歳のテロリストこと、山口二矢(やまぐちおとや)を取り上げます。
・山口二矢(Wikipedia)
恐らく自分と同世代の人間はまず間違いなくこの人のことを知らないでしょう。自分よりやや年上の世代でも同じかもしれませんが、1950年より前に生まれた人であればこの名前を見るだけでピューリッツァー賞も受賞したあの写真の情景が浮かんでくるかと思います。この山口二矢がどんな人物か簡単に述べると、17歳時に当時の日本社会党委員長である浅沼稲次郎を刺殺し、逮捕後は東京少年鑑別所内で首を吊って自殺した人物です。
山口二矢は1943年、戦後になってからでしょうが父親が自衛官という家庭に二男として生まれます。幼少の頃から軍国主義的な性格の兄の影響を受け右翼思想を持ったとされ、高校に入学後は右翼団体とも交流を開始し、高校を中退してからは正式に愛国党という党員になります。
彼が行った暗殺は既に記してある通り、浅沼稲次郎の暗殺です。左派勢力に反感を抱いていた山口二矢は自宅にあった脇差を忍び、日比谷公会堂で開かれた自民党、社会党、民社党の3党党首演説会で壇上に立った浅沼稲次郎に飛びかかり、彼の胸を2度突き刺して暗殺しました。この暗殺時の情景はネットで検索すれば出てくると思いますが、毎日新聞の長尾靖カメラマンが見事に収めたことによって後に彼を日本人初のピューリッツァー賞受賞へと導きます。
もっともこの時の撮影については以前に誰かが、当時はまだフィルムが貴重な時代でほかのカメラマンは演者がみんな登壇した時に撮影して使い切っていたところ、長尾カメラマンは仕事を横着していたことからたまたまフィルムを残しており、うまいこと撮影に成功出来たと書いておりました。本当かどうかはわからないけど。
話は戻りますが、刺された浅沼稲次郎はほぼ即死で、山口二矢はその場で自決を図りますが警官に取り押さえられています。取り調べに対し山口二矢は比較的落ち着いた態度だったとされており、警察は何かしら背後に暗殺を指示した組織があるのではないかと問い詰めたものの本人はあくまで単独犯だと主張し、暗殺理由については浅沼稲次郎個人に恨みはないものの、社会党の指導的立場にいることから決行したと証言したとされます。
そして逮捕から三週間後、山口二矢は鑑別所内で首を吊って自殺します。壁には歯磨き粉で「七生報国 天皇陛下万才」と書いておりました。こうした鮮烈な一生であったことから死後は右翼勢力に祭り上げられたそうで、未だに追悼祭なども開かれていると聞きます。
私はこの事件を高校生の時に知りましたが、正直に言ってびっくりするような強い印象を覚えました。当時の心境を言うと、当時の自分と同じような年齢でこんな大それた事件をやった奴がいたのかと思うのと同時に、今現在イラクやアフガニスタンで起きているような政界重鎮の暗殺がこの頃の日本に起こっていたのかなどということを思ったのを今でもよく覚えています。ただ山口二矢の行動に関しては間違いなくテロそのものであり肯定する気にはなれず、尊敬とか崇望みたいな感情はついぞ覚えることはありませんでした。
しかし、ちょっと表現し辛いのですが、尊敬や崇望はしなかったものの、少なからず共感は感じました。こう書くとなんか自分が危ない人間に思われる懸念はありますがありのままに書くと、あの時の共感は十代における思い込みの激しさや、まるですがりつくかのように一つの思想・概念に凝り固まりやすい時期だったからじゃないのかと、今現在思います。
大分前にも書きましたが、私も中学から高校の一時期はやや表現が古いですが軍国少年っぽい思想を持ち、政治とかにも興味を持ってわかった振りして吹聴し回ってたのですが、ああいう風になるのは反抗期の影響が強い気がします。自分の周囲も自分ほど極端ではなくとも、親とか教師とか学校とか既存の概念に対して反感を持つ一方、国家とか宗教、オカルトみたいなとかく巨大で一見確固としてそうな概念に魅かれる、しかもかなり思い込み激しく傾倒するところがあったように思え、あの年代というか10代の中盤から後半ってのはそういう時期だと考えてます。
ただそうした思い込みはあくまで思い込みに留まり、実際の行動として出てくるのは中二病と呼ばれる痛い行動程度なのが一般です。それだけに、暗殺というとてつもなく恐ろしい事を本当に実行してしまったという点で、高校生の自分は山口二矢に対して感じるところというか、自分みたいに妄想だけで実行しない臆病者とは違うんだなと思ったのでしょう。無論、そんな臆病者で自分はよかったと、年を食った自分は思うわけなのですが。
・山口二矢(Wikipedia)
恐らく自分と同世代の人間はまず間違いなくこの人のことを知らないでしょう。自分よりやや年上の世代でも同じかもしれませんが、1950年より前に生まれた人であればこの名前を見るだけでピューリッツァー賞も受賞したあの写真の情景が浮かんでくるかと思います。この山口二矢がどんな人物か簡単に述べると、17歳時に当時の日本社会党委員長である浅沼稲次郎を刺殺し、逮捕後は東京少年鑑別所内で首を吊って自殺した人物です。
山口二矢は1943年、戦後になってからでしょうが父親が自衛官という家庭に二男として生まれます。幼少の頃から軍国主義的な性格の兄の影響を受け右翼思想を持ったとされ、高校に入学後は右翼団体とも交流を開始し、高校を中退してからは正式に愛国党という党員になります。
彼が行った暗殺は既に記してある通り、浅沼稲次郎の暗殺です。左派勢力に反感を抱いていた山口二矢は自宅にあった脇差を忍び、日比谷公会堂で開かれた自民党、社会党、民社党の3党党首演説会で壇上に立った浅沼稲次郎に飛びかかり、彼の胸を2度突き刺して暗殺しました。この暗殺時の情景はネットで検索すれば出てくると思いますが、毎日新聞の長尾靖カメラマンが見事に収めたことによって後に彼を日本人初のピューリッツァー賞受賞へと導きます。
もっともこの時の撮影については以前に誰かが、当時はまだフィルムが貴重な時代でほかのカメラマンは演者がみんな登壇した時に撮影して使い切っていたところ、長尾カメラマンは仕事を横着していたことからたまたまフィルムを残しており、うまいこと撮影に成功出来たと書いておりました。本当かどうかはわからないけど。
話は戻りますが、刺された浅沼稲次郎はほぼ即死で、山口二矢はその場で自決を図りますが警官に取り押さえられています。取り調べに対し山口二矢は比較的落ち着いた態度だったとされており、警察は何かしら背後に暗殺を指示した組織があるのではないかと問い詰めたものの本人はあくまで単独犯だと主張し、暗殺理由については浅沼稲次郎個人に恨みはないものの、社会党の指導的立場にいることから決行したと証言したとされます。
そして逮捕から三週間後、山口二矢は鑑別所内で首を吊って自殺します。壁には歯磨き粉で「七生報国 天皇陛下万才」と書いておりました。こうした鮮烈な一生であったことから死後は右翼勢力に祭り上げられたそうで、未だに追悼祭なども開かれていると聞きます。
私はこの事件を高校生の時に知りましたが、正直に言ってびっくりするような強い印象を覚えました。当時の心境を言うと、当時の自分と同じような年齢でこんな大それた事件をやった奴がいたのかと思うのと同時に、今現在イラクやアフガニスタンで起きているような政界重鎮の暗殺がこの頃の日本に起こっていたのかなどということを思ったのを今でもよく覚えています。ただ山口二矢の行動に関しては間違いなくテロそのものであり肯定する気にはなれず、尊敬とか崇望みたいな感情はついぞ覚えることはありませんでした。
しかし、ちょっと表現し辛いのですが、尊敬や崇望はしなかったものの、少なからず共感は感じました。こう書くとなんか自分が危ない人間に思われる懸念はありますがありのままに書くと、あの時の共感は十代における思い込みの激しさや、まるですがりつくかのように一つの思想・概念に凝り固まりやすい時期だったからじゃないのかと、今現在思います。
大分前にも書きましたが、私も中学から高校の一時期はやや表現が古いですが軍国少年っぽい思想を持ち、政治とかにも興味を持ってわかった振りして吹聴し回ってたのですが、ああいう風になるのは反抗期の影響が強い気がします。自分の周囲も自分ほど極端ではなくとも、親とか教師とか学校とか既存の概念に対して反感を持つ一方、国家とか宗教、オカルトみたいなとかく巨大で一見確固としてそうな概念に魅かれる、しかもかなり思い込み激しく傾倒するところがあったように思え、あの年代というか10代の中盤から後半ってのはそういう時期だと考えてます。
ただそうした思い込みはあくまで思い込みに留まり、実際の行動として出てくるのは中二病と呼ばれる痛い行動程度なのが一般です。それだけに、暗殺というとてつもなく恐ろしい事を本当に実行してしまったという点で、高校生の自分は山口二矢に対して感じるところというか、自分みたいに妄想だけで実行しない臆病者とは違うんだなと思ったのでしょう。無論、そんな臆病者で自分はよかったと、年を食った自分は思うわけなのですが。
2013年3月29日金曜日
日本人女性の化粧技術は世界一ィィィィ
無駄に見出しをジョジョ風にしましたが、特に意味はありません。じゃあなんでしたのかっていうと、なんとなく書く話題にジョジョっぽい雰囲気が合いそうだなとか感じたからです。
唐突ですが私個人の実感として、日本人女性の平均的な化粧技術は真面目に世界一、少なくともトップクラスにあると思います。一体なんでこう思うようになったのかというと、このブログで何度も出てくる上海人の友人が、「日本の女の子はみんな化粧が上手い」と言った一言からでした。改めて言われてみると、中国の街中を歩いている女性はみんな化粧っ気が少ないように思え、化粧をしている女の子も、「なんかメイクの仕方間違ってない?」と男の自分ですら思うほどなってなかったりします。
では女性の目から見たらどうなのか。前の会社にいた頃に日本人女性の同僚にも聞いてみたところ、「確かに中国の街中を歩いていると、素材はいいのにと思う女の子が多い」と話し、化粧技術が日本人に比べて大きく劣り、ちょっと弄ればグッと良くなると他人でありながらよく思うと話しておりました。
ぶっちゃけた話、日本と中国以外で女性の化粧技術の差にそれほど着目しているわけじゃありませんが、留学中に見た多国籍の女子学生を思い出すにつけ、確かに日本人女性は化粧が上手いなという気はします。一体なんで日本で発達したのかは資生堂あたりに聞いてもらいたいものですが、一つの日本人女性の特徴として覚えておくと面白いかもしれません。
唐突ですが私個人の実感として、日本人女性の平均的な化粧技術は真面目に世界一、少なくともトップクラスにあると思います。一体なんでこう思うようになったのかというと、このブログで何度も出てくる上海人の友人が、「日本の女の子はみんな化粧が上手い」と言った一言からでした。改めて言われてみると、中国の街中を歩いている女性はみんな化粧っ気が少ないように思え、化粧をしている女の子も、「なんかメイクの仕方間違ってない?」と男の自分ですら思うほどなってなかったりします。
では女性の目から見たらどうなのか。前の会社にいた頃に日本人女性の同僚にも聞いてみたところ、「確かに中国の街中を歩いていると、素材はいいのにと思う女の子が多い」と話し、化粧技術が日本人に比べて大きく劣り、ちょっと弄ればグッと良くなると他人でありながらよく思うと話しておりました。
ぶっちゃけた話、日本と中国以外で女性の化粧技術の差にそれほど着目しているわけじゃありませんが、留学中に見た多国籍の女子学生を思い出すにつけ、確かに日本人女性は化粧が上手いなという気はします。一体なんで日本で発達したのかは資生堂あたりに聞いてもらいたいものですが、一つの日本人女性の特徴として覚えておくと面白いかもしれません。
2013年3月28日木曜日
現在と未来の優先順位
このところよく考える哲学テーマの中の一つに、未来に対する価値観というものがあります。未来といえば現在より時間が進んだ先の状態、ということには間違いないのですが、その未来をどのように捉えるかでこのところ、というか中国に渡ったきた辺りから価値観が変わってきました。
まず前提として、多かれ少なかれの日本人は将来、10年先とは言わずとも2~3年先くらいの自分の未来がどのようにあってほしいのか、どうあるべきなのかという予測とも希望ともいう漠然としたイメージがあると思います。多分、高度経済成長期であれば今ほどイノベーションというか世の中の動きが激しくなかったので20年とか超長期スパンで物事を考えていた人もいたかもしれません。
ではそうした未来の自分に対するイメージは現在の自分にどのような影響を与えるのか。改めて考えるといろいろあって、たとえば将来の仕事に必要だからと思って実行するかどうかは別にして英語を勉強しようと考えたり、資格取得を目指したり、生活に根差したものなら住宅ローンを組んだらどうだとか、組んでいる人はいつごろに返済するかとかそういうものを逆算して現在の収支を組んだりなどするかもしれません。こうした見方からすると、未来に対するイメージは長ければ長いほど、確固としていれば確固としていた方がいいようにも見えます。何故なら、現在の行動の方向性が掴みやすいからです。
では現代人は自分の将来像をしっかり持った方がいいのか。ここまで書いておきながらですが、私はこの見方に対して異を唱えます。つまり、自分の将来像を固めすぎるとあまり良くないと言いたいのです。
一体何故こんな風に言うのかですが、単純に現代社会は未来がほとんど読めないからです。恐らく就職活動をする学生さんは応募する企業に対して多少なりとも将来性を考えるでしょうが、5年前に日系メーカーとしては一番勢いのあったシャープが現在では青息吐息な状態であるなど、 現代社会はとにもかくにもイノベーションが激しく、今後も更に加速して行きかねません。それ故にうまくいけばめっけものですが急なトラブルというか方向転換を迫られる事態に巻き込まれた場合、 自分の将来像を固め過ぎてると返って選択肢を狭めかねず、言ってしまえば応用が効かなくなる可能性があります。
では将来像を全く持たずにその場その場で刹那的に生きるべきなのかという声も出てきそうですが、これでは極端から極端に走りすぎです。全く将来像を描かずに「現在」しか見ないで生きるというのも自らの活躍、発展の可能性を狭めてしまいます。
じゃあ一体どうしろってんだとそろそろ言われそうですが、結論としてはこれはあくまで日本人限定ですが、もう少し未来より現在に意識を集中して生きた方がいいのではというのが私の意見です。
一体何故私がこんな意見を持つようになったのかというと、言ってしまえば中国での体験が原因です。中国人は概して、日本人と比べると刹那的に生きている人が多いです。10年先なんて知ったこっちゃないよと言わんばかりに勢いで行動するし、仕事も長期スパンの計画とかが苦手で面倒くさい問題は後回しというか放置(日本人も見なかったことにすることが多いが)、キャリアプランも深く考えずちょくちょく転職も実行します。
自分も一応は日本人であるのでちょっと中国人は刹那的過ぎるかなぁとは思うのですが、その一方で日本人は長期的に物を考え過ぎるあまりに、いざ方向転換しようと思ったら時既に遅しというパターンが多すぎる気がします。中国人を見習えっていうわけじゃありませんが、今感じていること、考えていること、やりたいこと、やるべきことをもうちょっとストレートに即実行しようとしてみる方が長い目で見ると返っていいのではと思います。
こんな風な考えを持つに至った故というべきか、未来に対する意識というか価値観が数年前と比べて何か自分の中で変わった気がします。敢えて表現するなら、以前は「出来ればこうあってほしいなぁ」という希望イメージだったものが、「現在を積み重ねた結果」と考えています。
この辺が非常に表現しづらいのですが、以前は希望する、期待する未来のイメージに現在の自分をどう近づけるかを主に考えていましたが、今はあまりそういった未来のイメージを持たず、今現在で頑張ったり、努力したりすればいい未来に繋がり、逆なら悪い未来に恐らく繋がるだろうというようなアバウトな価値観になってます。要するに、先のことは知らないけどまぁ今目前でやるべきことをしっかりやってれば多分良くなっていく、こんな信仰です。
まず前提として、多かれ少なかれの日本人は将来、10年先とは言わずとも2~3年先くらいの自分の未来がどのようにあってほしいのか、どうあるべきなのかという予測とも希望ともいう漠然としたイメージがあると思います。多分、高度経済成長期であれば今ほどイノベーションというか世の中の動きが激しくなかったので20年とか超長期スパンで物事を考えていた人もいたかもしれません。
ではそうした未来の自分に対するイメージは現在の自分にどのような影響を与えるのか。改めて考えるといろいろあって、たとえば将来の仕事に必要だからと思って実行するかどうかは別にして英語を勉強しようと考えたり、資格取得を目指したり、生活に根差したものなら住宅ローンを組んだらどうだとか、組んでいる人はいつごろに返済するかとかそういうものを逆算して現在の収支を組んだりなどするかもしれません。こうした見方からすると、未来に対するイメージは長ければ長いほど、確固としていれば確固としていた方がいいようにも見えます。何故なら、現在の行動の方向性が掴みやすいからです。
では現代人は自分の将来像をしっかり持った方がいいのか。ここまで書いておきながらですが、私はこの見方に対して異を唱えます。つまり、自分の将来像を固めすぎるとあまり良くないと言いたいのです。
一体何故こんな風に言うのかですが、単純に現代社会は未来がほとんど読めないからです。恐らく就職活動をする学生さんは応募する企業に対して多少なりとも将来性を考えるでしょうが、5年前に日系メーカーとしては一番勢いのあったシャープが現在では青息吐息な状態であるなど、 現代社会はとにもかくにもイノベーションが激しく、今後も更に加速して行きかねません。それ故にうまくいけばめっけものですが急なトラブルというか方向転換を迫られる事態に巻き込まれた場合、 自分の将来像を固め過ぎてると返って選択肢を狭めかねず、言ってしまえば応用が効かなくなる可能性があります。
では将来像を全く持たずにその場その場で刹那的に生きるべきなのかという声も出てきそうですが、これでは極端から極端に走りすぎです。全く将来像を描かずに「現在」しか見ないで生きるというのも自らの活躍、発展の可能性を狭めてしまいます。
じゃあ一体どうしろってんだとそろそろ言われそうですが、結論としてはこれはあくまで日本人限定ですが、もう少し未来より現在に意識を集中して生きた方がいいのではというのが私の意見です。
一体何故私がこんな意見を持つようになったのかというと、言ってしまえば中国での体験が原因です。中国人は概して、日本人と比べると刹那的に生きている人が多いです。10年先なんて知ったこっちゃないよと言わんばかりに勢いで行動するし、仕事も長期スパンの計画とかが苦手で面倒くさい問題は後回しというか放置(日本人も見なかったことにすることが多いが)、キャリアプランも深く考えずちょくちょく転職も実行します。
自分も一応は日本人であるのでちょっと中国人は刹那的過ぎるかなぁとは思うのですが、その一方で日本人は長期的に物を考え過ぎるあまりに、いざ方向転換しようと思ったら時既に遅しというパターンが多すぎる気がします。中国人を見習えっていうわけじゃありませんが、今感じていること、考えていること、やりたいこと、やるべきことをもうちょっとストレートに即実行しようとしてみる方が長い目で見ると返っていいのではと思います。
こんな風な考えを持つに至った故というべきか、未来に対する意識というか価値観が数年前と比べて何か自分の中で変わった気がします。敢えて表現するなら、以前は「出来ればこうあってほしいなぁ」という希望イメージだったものが、「現在を積み重ねた結果」と考えています。
この辺が非常に表現しづらいのですが、以前は希望する、期待する未来のイメージに現在の自分をどう近づけるかを主に考えていましたが、今はあまりそういった未来のイメージを持たず、今現在で頑張ったり、努力したりすればいい未来に繋がり、逆なら悪い未来に恐らく繋がるだろうというようなアバウトな価値観になってます。要するに、先のことは知らないけどまぁ今目前でやるべきことをしっかりやってれば多分良くなっていく、こんな信仰です。
ホリエモンの釈放について
このところ連載にかまけて時事ネタと中国ネタが放置に近いので、先に時事ネタとばかりにホリエモンこと堀江貴文元ライブドア社長の刑務所出所について書いてみようと思います。
既に各ニュースで報じられている通り、一時は時の人だった堀江氏が保護観察の身分とはいえ刑務所から出所しました。各新聞、テレビは入所前の写真を持ち合わせその激やせ(30kg減)ぶりを大きく取り扱いましたが、この人は確か拘置所に一時収監、出所した際も痩せ、そしてまた太ってだったので、なんとなくリバウンドが激しい人だなぁと思いました。
そうした外見に関する話は置いとき、出所後のインタビューでは混乱を招いて株主や関係者に迷惑をかけたと謝罪してましたが、これにはいい意味で違和感を覚えました。というのもわかる人には早いですが、堀江氏の逮捕容疑は有価証券報告書での架空計上、要するに実体のない取引でさも利益があるように粉飾したという内容でこれ自体は確かに違反背反です。しかし架空計上した金額は確か50億円程度で、言ってはなんですが微々たる金額で果たして逮捕、しかも初犯で実刑を食らうほどかとなるとアメリカさんじゃあるまいし日本の司法上では異例です。
しかも堀江氏の逮捕後、もっと悪質な手法で金額もでかかった日興コーディアルグループの粉飾事件では逮捕者は一人も出ず、さらにオリンパスに至っては長年に渡って隠し負債があったことが発覚したにもかかわらず処分が異常に緩いという、不公平もいいところだというくらいに司法の判断が分かれました。
上記の背景があるだけに、真に株主らを混乱に陥れたのは私は日本の司法こと検察だと私は考えているので堀江氏は別に謝らなくてもいいんじゃないのとすら思うのですが、なんか殊勝な態度を見せてきたので、年相応にこの人も落ち着いてきたのかなという印象を覚えます。まぁ最初だけかもしれないけど。
あとこれは堀江氏が近鉄球団買収(2004年)に名乗りを挙げた際の友人の言ですが、「僕は堀江社長が近鉄の買収に名乗りを上げた事にはそんなに感じることはないんだけど、この人が宇宙開発をしたいと言っていることにはすごい共感する」と評価しておりました。それにしても昔のことを自分も良く未だに覚えているもんだ。
今回の出所後インタビューで堀江氏は昔同様に、「これからは宇宙開発とか実験に関わっていきたい」と話しておりました。このセリフを聞いて上記の友人のエピソードを思い出したのですが、こういうところは首尾一貫しているなぁと思え、私が言うような立場ではないのでしょうが、堀江氏には是非その方面で活躍してほしいと密かに思います。
既に各ニュースで報じられている通り、一時は時の人だった堀江氏が保護観察の身分とはいえ刑務所から出所しました。各新聞、テレビは入所前の写真を持ち合わせその激やせ(30kg減)ぶりを大きく取り扱いましたが、この人は確か拘置所に一時収監、出所した際も痩せ、そしてまた太ってだったので、なんとなくリバウンドが激しい人だなぁと思いました。
そうした外見に関する話は置いとき、出所後のインタビューでは混乱を招いて株主や関係者に迷惑をかけたと謝罪してましたが、これにはいい意味で違和感を覚えました。というのもわかる人には早いですが、堀江氏の逮捕容疑は有価証券報告書での架空計上、要するに実体のない取引でさも利益があるように粉飾したという内容でこれ自体は確かに違反背反です。しかし架空計上した金額は確か50億円程度で、言ってはなんですが微々たる金額で果たして逮捕、しかも初犯で実刑を食らうほどかとなるとアメリカさんじゃあるまいし日本の司法上では異例です。
しかも堀江氏の逮捕後、もっと悪質な手法で金額もでかかった日興コーディアルグループの粉飾事件では逮捕者は一人も出ず、さらにオリンパスに至っては長年に渡って隠し負債があったことが発覚したにもかかわらず処分が異常に緩いという、不公平もいいところだというくらいに司法の判断が分かれました。
上記の背景があるだけに、真に株主らを混乱に陥れたのは私は日本の司法こと検察だと私は考えているので堀江氏は別に謝らなくてもいいんじゃないのとすら思うのですが、なんか殊勝な態度を見せてきたので、年相応にこの人も落ち着いてきたのかなという印象を覚えます。まぁ最初だけかもしれないけど。
あとこれは堀江氏が近鉄球団買収(2004年)に名乗りを挙げた際の友人の言ですが、「僕は堀江社長が近鉄の買収に名乗りを上げた事にはそんなに感じることはないんだけど、この人が宇宙開発をしたいと言っていることにはすごい共感する」と評価しておりました。それにしても昔のことを自分も良く未だに覚えているもんだ。
今回の出所後インタビューで堀江氏は昔同様に、「これからは宇宙開発とか実験に関わっていきたい」と話しておりました。このセリフを聞いて上記の友人のエピソードを思い出したのですが、こういうところは首尾一貫しているなぁと思え、私が言うような立場ではないのでしょうが、堀江氏には是非その方面で活躍してほしいと密かに思います。
2013年3月27日水曜日
韓国の近現代史~その六、朴正煕のクーデター
この連載も個人的に書いてて楽しいところまでようやくたどり着いた気がします。そんな今回はある意味で今ホットというか恐らく韓国史を扱う上で最重要人物の一人である朴正煕の政治界デビューこと、5・16軍事クーデターを取り上げます。
・5・16軍事クーデター(Wikipedia)
最初に前回までのおさらいをします。前回では韓国の初代大統領、李承晩が朝鮮戦争を経た後も自身の地位保全のため選挙妨害などを行うなどしたことからデモが起こり、1960年に退陣して亡命するところまで書きました。
李承晩の退陣後、韓国では尹潽善(ユン・ボソン)という初代ソウル市長でもある民主党最高委員が二代目韓国大統領として就任しました。ただ李承晩の後に改正された韓国の憲法では大統領にはあまり実権がなく、政権はむしろ首相であった張勉という人物が運営するような形でした。この時期の韓国政界の特徴としては、ほかの時代や国でも同じですが、共通の敵(=李承晩)を打倒した後というものは主導権争いこと内紛が起こるもので、韓国でも与党である民主党内部で激しい内紛が起こり政局は安定しませんでした。また本来協力し合わなければならない大統領の尹潽善、首相の張勉の二人の関係もしっくりと行かず、こうした状態に懸念を持つ勢力が出てきたということです。
その懸念を持った勢力こそ、ほかの何物でもない軍部で、1961年には後に大統領となる朴正煕ら韓国陸軍士官学校8期生を中心に軍事クーデターが実行されます。
彼ら軍部がどうしてクーデターを引き起こしたは色々な要因がありますが、Wikipediaに書かれている内容を抜粋すると以下の通りとなります。
1、自由党政権を引き継いだ民主党政権の政治的無策と党内抗争
2、民主的改革に対する民主党の曖昧な態度、経済状況悪化[2]に対する国民の不安の高まり
3、学生や革新政党を中心とする民主化運動と「行こう!北へ!来たれ!南へ!会おう板門店で!」をスローガンとした統一運動の高まりに対して軍部が危機感を抱いた。
4、分断の固定化と朝鮮戦争によって肥大化した韓国軍では軍人事が停滞し、それによって進級が進まなかった下級将校に不満が蓄積されていた。
5、不正腐敗を働いた高級軍人を追放するため下級将校によって進められた「整軍運動」が失敗し、運動の首謀者が追放されそうになっていた。
1~3までが社会的背景で、4~5が直接的要因と書かれてあります。私個人の意見としてはやはり4番の理由こと、出世要因が最も大きいとみます。軍人というのは基本、戦争がなければ飛び抜けた実力、才能があってもなかなか出世しづらい職業です。それ故に平時は官僚同様に年紀で昇進するわけなのですが、上記にも書かれている通りに何かの拍子で軍人が余っちゃうと途端に出世が遅れ、8期生とか11期生とか、士官学校の卒業年代別で階級に大きな隔たりが生まれます。それ故に軍隊というのは世代間対立が激しい所で、戦前の日本で起こった皇道派、統制派の対立も突き詰めると世代間対立が原因で、最終的に二二六事件にまで発展したことを考えるとこのクーデターもそう言った対立の延長かなと思ってしまいます。
話はクーデターに戻り、当時少将だった朴正煕を中心とした8期生の将校らはデモ鎮圧を口実に出動し、そのまま国会やテレビ局といった国家の主要施設の占拠に成功します。驚くべきはこの時のクーデター実行部隊兵数で、わずか5000人にも満たない兵力だったそうです。
何故それだけの兵力で国盗りが見事に成功できたのかというと、一つにソウルの主要施設をすぐに占領できたことと、軍部の長老の懐柔にうまく成功できたという二点が挙がります。後者の軍長老の懐柔ですが、要するに身の安全や今後の保証を約束した上でクーデターの正当性を認めさせたということなのですが、実際にはこの約束は反故にされてクーデターの成功後、軍の長老らはみんな放逐されております。
また成功要因としてもう一つ、権力保持側である政権がほとんど抵抗する姿勢をみせなかったということもあります。クーデター開始後、時の首相の張勉は女子修道院に隠れ姿を見せず、大統領の尹潽善もクーデター実行部隊側の要求を聞き入れて非常戒厳令を追認しております。こうした二者の行動に対して批判する声もありますが、当事者としては命にかかわる事態だっただけに私としては批判する気はありません。
こうして権力を握った朴正煕は国家再建最高会議を組織し、自らが議長に就任。反対デモなどを武力で抑えて軍政を展開します。こうした事態に対して米国こと在韓米軍は、クーデター直後は尹潽善にクーデター軍鎮圧のため軍隊を出すべきだと進言しますが内乱を過熱化させるとして尹潽善は拒否します。そうこうしているうちに米本国は、当時はケネディ政権でしたが朴正煕政権を追認し、朴正煕もこれに応じる形で訪米を果たしております。
この時の米国の追認ですが、背景にあったのはベトナム戦争だと私は考えています。既に米国はベトナムへの干渉を行ったものの事態は泥沼化を辿っており、下手に手を突っ込んでグダグダになるくらいなら、政権移行がスムースに行くようであれば追認してしまおうと考えたのではないかと思います。どうでもいいですが、日本ではケネディはベトナムからの撤退を準備していたという神話が流れておりますが、ベトナムを泥沼化に追い込んだのはほかならぬケネディでしょう。
そういうわけで次回は、軍事政権を経て大統領に就任した朴正煕の施政を解説していきます。
・5・16軍事クーデター(Wikipedia)
最初に前回までのおさらいをします。前回では韓国の初代大統領、李承晩が朝鮮戦争を経た後も自身の地位保全のため選挙妨害などを行うなどしたことからデモが起こり、1960年に退陣して亡命するところまで書きました。
李承晩の退陣後、韓国では尹潽善(ユン・ボソン)という初代ソウル市長でもある民主党最高委員が二代目韓国大統領として就任しました。ただ李承晩の後に改正された韓国の憲法では大統領にはあまり実権がなく、政権はむしろ首相であった張勉という人物が運営するような形でした。この時期の韓国政界の特徴としては、ほかの時代や国でも同じですが、共通の敵(=李承晩)を打倒した後というものは主導権争いこと内紛が起こるもので、韓国でも与党である民主党内部で激しい内紛が起こり政局は安定しませんでした。また本来協力し合わなければならない大統領の尹潽善、首相の張勉の二人の関係もしっくりと行かず、こうした状態に懸念を持つ勢力が出てきたということです。
その懸念を持った勢力こそ、ほかの何物でもない軍部で、1961年には後に大統領となる朴正煕ら韓国陸軍士官学校8期生を中心に軍事クーデターが実行されます。
彼ら軍部がどうしてクーデターを引き起こしたは色々な要因がありますが、Wikipediaに書かれている内容を抜粋すると以下の通りとなります。
1、自由党政権を引き継いだ民主党政権の政治的無策と党内抗争
2、民主的改革に対する民主党の曖昧な態度、経済状況悪化[2]に対する国民の不安の高まり
3、学生や革新政党を中心とする民主化運動と「行こう!北へ!来たれ!南へ!会おう板門店で!」をスローガンとした統一運動の高まりに対して軍部が危機感を抱いた。
4、分断の固定化と朝鮮戦争によって肥大化した韓国軍では軍人事が停滞し、それによって進級が進まなかった下級将校に不満が蓄積されていた。
5、不正腐敗を働いた高級軍人を追放するため下級将校によって進められた「整軍運動」が失敗し、運動の首謀者が追放されそうになっていた。
1~3までが社会的背景で、4~5が直接的要因と書かれてあります。私個人の意見としてはやはり4番の理由こと、出世要因が最も大きいとみます。軍人というのは基本、戦争がなければ飛び抜けた実力、才能があってもなかなか出世しづらい職業です。それ故に平時は官僚同様に年紀で昇進するわけなのですが、上記にも書かれている通りに何かの拍子で軍人が余っちゃうと途端に出世が遅れ、8期生とか11期生とか、士官学校の卒業年代別で階級に大きな隔たりが生まれます。それ故に軍隊というのは世代間対立が激しい所で、戦前の日本で起こった皇道派、統制派の対立も突き詰めると世代間対立が原因で、最終的に二二六事件にまで発展したことを考えるとこのクーデターもそう言った対立の延長かなと思ってしまいます。
話はクーデターに戻り、当時少将だった朴正煕を中心とした8期生の将校らはデモ鎮圧を口実に出動し、そのまま国会やテレビ局といった国家の主要施設の占拠に成功します。驚くべきはこの時のクーデター実行部隊兵数で、わずか5000人にも満たない兵力だったそうです。
何故それだけの兵力で国盗りが見事に成功できたのかというと、一つにソウルの主要施設をすぐに占領できたことと、軍部の長老の懐柔にうまく成功できたという二点が挙がります。後者の軍長老の懐柔ですが、要するに身の安全や今後の保証を約束した上でクーデターの正当性を認めさせたということなのですが、実際にはこの約束は反故にされてクーデターの成功後、軍の長老らはみんな放逐されております。
また成功要因としてもう一つ、権力保持側である政権がほとんど抵抗する姿勢をみせなかったということもあります。クーデター開始後、時の首相の張勉は女子修道院に隠れ姿を見せず、大統領の尹潽善もクーデター実行部隊側の要求を聞き入れて非常戒厳令を追認しております。こうした二者の行動に対して批判する声もありますが、当事者としては命にかかわる事態だっただけに私としては批判する気はありません。
こうして権力を握った朴正煕は国家再建最高会議を組織し、自らが議長に就任。反対デモなどを武力で抑えて軍政を展開します。こうした事態に対して米国こと在韓米軍は、クーデター直後は尹潽善にクーデター軍鎮圧のため軍隊を出すべきだと進言しますが内乱を過熱化させるとして尹潽善は拒否します。そうこうしているうちに米本国は、当時はケネディ政権でしたが朴正煕政権を追認し、朴正煕もこれに応じる形で訪米を果たしております。
この時の米国の追認ですが、背景にあったのはベトナム戦争だと私は考えています。既に米国はベトナムへの干渉を行ったものの事態は泥沼化を辿っており、下手に手を突っ込んでグダグダになるくらいなら、政権移行がスムースに行くようであれば追認してしまおうと考えたのではないかと思います。どうでもいいですが、日本ではケネディはベトナムからの撤退を準備していたという神話が流れておりますが、ベトナムを泥沼化に追い込んだのはほかならぬケネディでしょう。
そういうわけで次回は、軍事政権を経て大統領に就任した朴正煕の施政を解説していきます。
2013年3月25日月曜日
日本語表現でこの頃感じること
♨
いきなり妙なマークから書きだしましたが、上記の記号は日本人なら言わずと知れた「温泉」の地図記号です。なんでこんなマークを引っ張り出してきたのかというと、今日買って読んだ「日本人の知らない日本語3 祝! 卒業編」にてロシア人留学生がこのマークを、「おんせん」と読む漢字だと誤認していた書かれていたからです。ちなみにそのロシア人はこれが漢字じゃないと知って、やけにショックを受けたそうです。
言われてみると確かにこのマークは漢字っぽく見えるし、「温泉はこの一字で表せる」とか言ったらなんとなく信じちゃいそうです。それ以外にもこの漫画では、社長や先生といった役職が宛名に付く場合には「様」を付けないが、どうして時代劇では「お館様」と呼ぶのか、日本人が聞いても考え込みそうな内容が書かれてあって、物事は見方だなぁとつくづく感じさせられました。
ここで話は変わりますが、実は最近自分の中でもある比喩表現を今後も用いるべきかと悩んでいるものがあります。サッとあげちゃうとその比喩表現とは「彗星の如く」という表現で、一般的には突然現れた時に使用し、対象も物体というよりは人間(人材)などに用います。
この「彗星の如く」、こういってはなんですが結構お気に入りでした。よく使われるのはアイドルやお笑い芸人など突然売れ始めた人に使われるのですが、アイドルなどをよく「スター(星)」と表現することもあり、このスターと彗星が意味的にもマッチしていて他の人は知りませんが私個人にとっては何とも言えない組み合わせに感じます。
では何故この表現に今更疑問を持つのかですが、一言で言って「今時、彗星が飛んでくる時刻はほとんど予想されてるじゃん」という点に尽きます。いわば東條が予想されているものに対して突然現れたかのような比喩表現は如何なものかと思うわけです。
かといって、じゃあほかに何か突然現れた際の比喩表現はあるかとなるとパッと出てきません。改めて考えてみると、意外と「突然」という表現は難しいものがあります。そんなわけでまたオチが弱いですが、日本語って難しいねというのが今日の私の意見です。
おまけ
「トラの威を借るキツネ」という比喩表現がありますが、これの応用として「ジャイアンの威を借るスネ夫」という表現がたまに散見し、自分でも使ってみたいなぁと日々感じます。
2013年3月24日日曜日
韓国の近現代史~その五、李承晩
このところテンションの上がらない状態が続いておりますが連載再開です。自分でもメンタル弱いのかなとか思ったりしますが、別の見方をすれば今の状態でもブログ更新続けてるのだからもしかしたらタフな方かもしれません。それにしても、ああしんど……。
・李承晩(Wikipedia)
今日取り上げるのは韓国の初代大統領の李承晩(イ・スンマン)です。彼の来歴を王と共に健康書記の韓国の動きを解説します。
李承晩は朝鮮半島が日本の植民地だった頃からアメリカに渡って独立運動をしており、1919年に上海市で大韓民国臨時政府が結成されるとこの機関の大統領に就任しております。
もう少しこの臨時政府について説明すると、要するに日本統治下の韓国の政府機能を認めず、こっちが本流だとばかりに作られた仮の政府です。二次大戦中の仏亡命政府と比べるとあまり国際的な承認を得られませんでしたが、この時の臨時政府跡は今でも上海市、それも観光地である新天地という場所の近くにあって行くつもりはないのしょっちゅう目の前を通っておりました。
このように独立運動を続けていた李承晩たちでしたが、最終的には日本が二次大戦で敗戦し朝鮮半島の南半分を占領した米国によって与えられる形で独立を回復します。それまで海外で活動していた李承晩達も帰国して政府の設立準備を始めますが、その他多くの国同様に指導者間で徐々に主導権争いが活発化していきました。
この主導権争いで李承晩は、左派と右派を統合した幅広い政権作りを考えていた呂運亨に対し、米国が望む左派の徹底的弾圧を掲げたことによって米国の支援を受けるようになり、徐々に主流派となっていきました。こうした中で1948年に行われた第一回総選挙では様々な選挙干渉を行った上で李承晩率いる韓民党は勝利し、李承晩も初代大統領に選出されることとなりました。
ここまで見れば混乱期に紛れうまいこと大統領になれたというサクセスストーリーですが、先に私の評価を言ってしまうと、李承晩は韓国の内政にはあまり興味がなくどちらかといえば自身の権勢を大きくすることばかりに腐心した節があり、それがため現在の彼への評価もそれほど高くありません。
そうした姿勢は大統領就任当初からもう見え始めており、李承晩は大統領に強い権限を持たせる大統領制を強く主張したのに対し与党の韓民党は議院内閣制を主張し、議会と激しく対立するようになります。こうして国内の政治闘争に明け暮れていた1950年には北朝鮮が南進して朝鮮戦争が開戦するのですが、この間も米国の方針に逆らって勝手に捕虜の処置を決めたり、休戦条約への署名を拒否したりと、一言で言えば国家元首として如何なものかと思う駄々っ子ぶりを発揮しております。面倒くさいのでここではやりませんが、現在の竹島問題に連なる「李承晩ライン」を引いたのも朝鮮戦争中です。
そんなかんだで1953年に朝鮮戦争が休戦し、翌1954年は李承晩の大統領任期を迎えます。当時の憲法では大統領は二期までとなっており李承晩は強制的に退任させられるはずだったのですが、「初代大統領に限って三選禁止規定を撤廃する」という自分にだけ都合のいい改憲案を突然出してきました。この改憲案は改憲に必要な3分の2に当たる135票まで1票足らずで否決されるのですが、「四捨五入を用いれば135票であり、改憲に必要な3分の2を超えている」として、ジャイアンもびっくりな思考転換を図って無理矢理可決させてしまい、そのまま大統領の座に居座り続けました。
もうこの頃には韓国国民も李承晩に対してほとんど支持してなかったようですが、選挙の度に露骨な妨害工作を行い、政敵だった曺奉岩に対してはあらぬ罪を着せて処刑までかますというなりふり構わない手段をとるようになってきました。現在に至っても李承晩の枕詞に「独裁者」とつくのはこうした所以でしょう。
ただそんな李承晩にも終わりの時が迫ります。1960年の大統領選挙でも再選を目指していつものように選挙工作を行っていたところ、慶尚南道馬山で反李承晩デモが起こりました。この際に行方不明となった高校生が遺体で発見されたことによってデモは瞬く間に全国へ拡大。ソウルでは186人の死者が出るほどの大混乱となったそうです。
こうした状況を見て事実上、李承晩の後ろ盾だった米国も態度を一変。経済支援の打ち切りまで示唆されたことから、「行政からは手を引くが、元首は続ける」と譲歩する姿勢をみせましたがさすがに韓国の人ももうこの人を信用してなかったのか、完全退陣を求めデモはますます拡大していきました。
事ここに至り、ようやくというかやっと李承晩も大統領職の辞任を発表します。辞任発表から約一ヶ月後、韓国にはとどまらず夫人と共にハワイへ亡命し、そのまま韓国には戻らず5年後に90歳で死去しました。
先にも書いておりますが、彼の統治を見る限りどうも国を豊かにしようとかそういう情熱はあまり感じません。実際、1950年代の韓国は朝鮮戦争の影響もありますが世界の最貧国の一つで1960年代の朴正煕政権時に大幅な経済成長を果たしたことと比べるとあまりにも政治が悪すぎるとしか言いようがありません。
にもかかわらず李承晩が政権の座に就き続けられたのは米国の後ろ盾があったからでしょうが、米国ももうちょっとマシな人物を選べよと心底思います。わかる人だけわかってくれればいいですが、李承晩はゴ・ディン・ジエムと違ってCIAに暗殺されなかっただけマシだなと皮肉っぽく感じます。
・李承晩(Wikipedia)
今日取り上げるのは韓国の初代大統領の李承晩(イ・スンマン)です。彼の来歴を王と共に健康書記の韓国の動きを解説します。
李承晩は朝鮮半島が日本の植民地だった頃からアメリカに渡って独立運動をしており、1919年に上海市で大韓民国臨時政府が結成されるとこの機関の大統領に就任しております。
もう少しこの臨時政府について説明すると、要するに日本統治下の韓国の政府機能を認めず、こっちが本流だとばかりに作られた仮の政府です。二次大戦中の仏亡命政府と比べるとあまり国際的な承認を得られませんでしたが、この時の臨時政府跡は今でも上海市、それも観光地である新天地という場所の近くにあって行くつもりはないのしょっちゅう目の前を通っておりました。
このように独立運動を続けていた李承晩たちでしたが、最終的には日本が二次大戦で敗戦し朝鮮半島の南半分を占領した米国によって与えられる形で独立を回復します。それまで海外で活動していた李承晩達も帰国して政府の設立準備を始めますが、その他多くの国同様に指導者間で徐々に主導権争いが活発化していきました。
この主導権争いで李承晩は、左派と右派を統合した幅広い政権作りを考えていた呂運亨に対し、米国が望む左派の徹底的弾圧を掲げたことによって米国の支援を受けるようになり、徐々に主流派となっていきました。こうした中で1948年に行われた第一回総選挙では様々な選挙干渉を行った上で李承晩率いる韓民党は勝利し、李承晩も初代大統領に選出されることとなりました。
ここまで見れば混乱期に紛れうまいこと大統領になれたというサクセスストーリーですが、先に私の評価を言ってしまうと、李承晩は韓国の内政にはあまり興味がなくどちらかといえば自身の権勢を大きくすることばかりに腐心した節があり、それがため現在の彼への評価もそれほど高くありません。
そうした姿勢は大統領就任当初からもう見え始めており、李承晩は大統領に強い権限を持たせる大統領制を強く主張したのに対し与党の韓民党は議院内閣制を主張し、議会と激しく対立するようになります。こうして国内の政治闘争に明け暮れていた1950年には北朝鮮が南進して朝鮮戦争が開戦するのですが、この間も米国の方針に逆らって勝手に捕虜の処置を決めたり、休戦条約への署名を拒否したりと、一言で言えば国家元首として如何なものかと思う駄々っ子ぶりを発揮しております。面倒くさいのでここではやりませんが、現在の竹島問題に連なる「李承晩ライン」を引いたのも朝鮮戦争中です。
そんなかんだで1953年に朝鮮戦争が休戦し、翌1954年は李承晩の大統領任期を迎えます。当時の憲法では大統領は二期までとなっており李承晩は強制的に退任させられるはずだったのですが、「初代大統領に限って三選禁止規定を撤廃する」という自分にだけ都合のいい改憲案を突然出してきました。この改憲案は改憲に必要な3分の2に当たる135票まで1票足らずで否決されるのですが、「四捨五入を用いれば135票であり、改憲に必要な3分の2を超えている」として、ジャイアンもびっくりな思考転換を図って無理矢理可決させてしまい、そのまま大統領の座に居座り続けました。
もうこの頃には韓国国民も李承晩に対してほとんど支持してなかったようですが、選挙の度に露骨な妨害工作を行い、政敵だった曺奉岩に対してはあらぬ罪を着せて処刑までかますというなりふり構わない手段をとるようになってきました。現在に至っても李承晩の枕詞に「独裁者」とつくのはこうした所以でしょう。
ただそんな李承晩にも終わりの時が迫ります。1960年の大統領選挙でも再選を目指していつものように選挙工作を行っていたところ、慶尚南道馬山で反李承晩デモが起こりました。この際に行方不明となった高校生が遺体で発見されたことによってデモは瞬く間に全国へ拡大。ソウルでは186人の死者が出るほどの大混乱となったそうです。
こうした状況を見て事実上、李承晩の後ろ盾だった米国も態度を一変。経済支援の打ち切りまで示唆されたことから、「行政からは手を引くが、元首は続ける」と譲歩する姿勢をみせましたがさすがに韓国の人ももうこの人を信用してなかったのか、完全退陣を求めデモはますます拡大していきました。
事ここに至り、ようやくというかやっと李承晩も大統領職の辞任を発表します。辞任発表から約一ヶ月後、韓国にはとどまらず夫人と共にハワイへ亡命し、そのまま韓国には戻らず5年後に90歳で死去しました。
先にも書いておりますが、彼の統治を見る限りどうも国を豊かにしようとかそういう情熱はあまり感じません。実際、1950年代の韓国は朝鮮戦争の影響もありますが世界の最貧国の一つで1960年代の朴正煕政権時に大幅な経済成長を果たしたことと比べるとあまりにも政治が悪すぎるとしか言いようがありません。
にもかかわらず李承晩が政権の座に就き続けられたのは米国の後ろ盾があったからでしょうが、米国ももうちょっとマシな人物を選べよと心底思います。わかる人だけわかってくれればいいですが、李承晩はゴ・ディン・ジエムと違ってCIAに暗殺されなかっただけマシだなと皮肉っぽく感じます。
2013年3月22日金曜日
公示地価上昇の原因について
・【地価公示】今年の公示地価、全国2千地点で上昇 住宅地は復興の宮城がトップ(SankeiBiz)
今日はブログの更新はお休みしようかと思っておりましたが、短くてもいいからちょっと突っ込んでおくべき話題が出てきたので取り上げておこうと思います。
上記のリンク先にも書かれているように国土交通省はこのほど、全国の公示地価を発表し、どのメディアもリーマンショック以降の地価下落に歯止めがかかりつつあることや、一部地域で上昇に転じたと報じております。これらの要因は景気回復の兆しが出てきたためで、今後も期待感が出ている……というような具合で今朝のテレビニュースでは報じておりました。
結論から言うと今回の地価の下げ止まりは景況感による要素も全くないわけじゃないでしょうが、それ以上に大きいのは消費税の増税が控えているというこの条件でしょう。消費税が増税されれば住宅や土地取得にかかる費用も金額が大きいだけに大きく増えるため、駆け込み需要とばかりに取得しようとする人が出てきているのだと思います。もちろん、これらの需要は消費税引き上げ後に一気になくなるので、長期的どころか中期的に見ても日本の不動産価格は下落していくと私は予想します。
今朝のあるテレビニュースでは外国人投資家が、「日本の不動産は割安感があり投資価値が高い」などと証言した後、こうした外国人による取得が増えてきているなどと報じておりましたが、多分こういう人たちは消費税増税前の駆け込み需要で全部売り抜くつもりじゃないかと思います。逆に言うなら、目端の鋭い人たちは既に不動産を取得しており、今更買ってもちょっとしょうがないんじゃないかというのが私の意見です。
今日はブログの更新はお休みしようかと思っておりましたが、短くてもいいからちょっと突っ込んでおくべき話題が出てきたので取り上げておこうと思います。
上記のリンク先にも書かれているように国土交通省はこのほど、全国の公示地価を発表し、どのメディアもリーマンショック以降の地価下落に歯止めがかかりつつあることや、一部地域で上昇に転じたと報じております。これらの要因は景気回復の兆しが出てきたためで、今後も期待感が出ている……というような具合で今朝のテレビニュースでは報じておりました。
結論から言うと今回の地価の下げ止まりは景況感による要素も全くないわけじゃないでしょうが、それ以上に大きいのは消費税の増税が控えているというこの条件でしょう。消費税が増税されれば住宅や土地取得にかかる費用も金額が大きいだけに大きく増えるため、駆け込み需要とばかりに取得しようとする人が出てきているのだと思います。もちろん、これらの需要は消費税引き上げ後に一気になくなるので、長期的どころか中期的に見ても日本の不動産価格は下落していくと私は予想します。
今朝のあるテレビニュースでは外国人投資家が、「日本の不動産は割安感があり投資価値が高い」などと証言した後、こうした外国人による取得が増えてきているなどと報じておりましたが、多分こういう人たちは消費税増税前の駆け込み需要で全部売り抜くつもりじゃないかと思います。逆に言うなら、目端の鋭い人たちは既に不動産を取得しており、今更買ってもちょっとしょうがないんじゃないかというのが私の意見です。
2013年3月21日木曜日
海外での人件費上昇に関する考察
近年、中国では人件費の高騰が著しいことから中国以外の別の東南アジア諸国、具体的にはベトナムやミャンマー、インドネシアなどへ日系メーカーの進出ラッシュが続いていると報じられています。進出目的はやはりコストこと各国・地域の安い人件費にあるのですが、短期的にならともかく長期的には果たしてどうかなと少し感じるところがあるので、今日はほぼすべて私見によるオリジナルな話を展開していこうかと思います。
まず中国の人件費が高騰していることは紛れもない事実です。この前終わっちゃったけど胡錦濤政権の後半では格差解消が大きな政治課題となっており、実際に中国国内の各地域で最低賃金の引き上げが大々的に実施され続けております。それこそ2005年ごろは500元程度だった最低賃金は現在ではほとんどの地域で1000元の大台を超えており、1500元にも達している地域も確かありました。
こうした最低賃金の引き上げに伴い、大卒初任給も急上昇が続いております。たとえば上海市内であれは2009年は平均で約2000元でしたが、わずか3年後の2012年には約3000元に達したという調査データが出ております。ちなみに同じ調査データでは、2012年の入社3年後の社員の平均給与は約4500元、つまり3年で給与が2.5倍にまで昇給するというなんだか夢のある話も乗ってました。夢があるたって日本人からすればベースが低すぎるかもしれないが。
このような中国での人件費高騰は大量の従業員を雇わなければならないメーカーにとって死活問題であり、より人件費の低い国や地域に生産拠点を移転しようというのもごく自然な流れといえるでしょう。中国では昨年にスポーツ用品メーカーの独アディダスが唯一の自社工場を閉鎖し、委託工場への発注も大幅に減らすなど明確な生産移転を打ち出したことが大きく話題になりましたが、日系でもこのところ「中国撤退」という言葉が出て、先程挙げた国に進出するべしという意見がよく出ております。単価の低い商品、具体的には玩具や雑貨、繊維系メーカーなどにとっては実に頷ける話です。
ただここまで書いておきながらですが、だからと言ってすぐに中国から生産移転をしていいものか、ほかの国に生産移転すればそれで済む話なのかというと少し疑問があります。もったいぶらずに言うと、短期的には安い人件費の恩恵を享受できるとしても長期的には中国以上に急激な人件費高騰を受けるのではないか、という懸念があります。
私がこのように考える理由は単純に、人口の違いです。言うまでもなく中国は世界最大の人口大国で、豊富な労働力を背景に世界の工場として君臨するに至っております。その中国ですらこの10年の間に人件費が大きく上昇したのが現在の状況ですが、逆を言えば人口が多い中国だからこそ人件費の上昇はこの程度にとどまっていたのでは、具体的には賃金の上昇スピードはまだ緩慢だったのではないかと私は見ております。それこそ、中国ほどではなくともインドネシアなどの国に外資メーカーの進出が相次いだら2~3年という短い間に賃金が2倍、3倍と上昇していく可能性がある気がします。
参考までにアジア諸国の人口統計を下記に記載します。
中国:13億5300万人(2012年)
インドネシア:2億2900万人(2008年)
日本:1億2600万人(2012年)
ベトナム:8400万人(2008年)
ミャンマー:5000万人(2008年)
※すべてWikipediaより引用
見てもらえばわかる通りに、ベトナムやミャンマーは中国どころか日本以下、インドネシアはまだ日本を上回っているもののそれでも中国からすれば六分の一程度です。アジア域内で中国に互す人口を抱えているのは唯一インド(11億9800万人)がありますが、インドへの進出はその治安、インフラの悪さに加えカースト制度や宗派対立があるためその苦労は並大抵じゃありません。それだけに向こうで頑張っているスズキは本当にすごいと思うんだけど。
国にもよるでしょうが、外資メーカーの進出ラッシュが起こることによって今の中国みたいに人手不足がすぐ発生するように思えます。そして不足する人手をかき集めるため人件費も高騰、それに合わせて最低賃金も引き上げへ、この辺の上昇ペースは相当急だと思います。これらの国へ進出するのは日系に限らずさっきのアディダスのように独系、米系もいるからです。
仮に賃金がこれから急激に上昇していくことも織り込み済みで中国以外の国へ進出するというのであれば問題ないでしょうが、この点を見落とす、現状の人件費水準だけに着目して進出を決め、工場を設立しても投資額を果たして回収できるのかという懸念を覚えます。それであれば既に人件費は高騰しているものの圧倒的な人口を背景に巨大な国内市場を持つ中国に留まるという選択肢も、商品やサービスによってはありじゃないかと個人的に思います。
今日ここで書いた話は私の完全オリジナル、というか思い付きの話であるため具体的な根拠性についてはやや乏しいです。むしろ問題提起するという意味で書いているので、意見がある方などはどんどんコメント欄に書いていってもらいたいです。
ちなみになんでこんな話を思いついたのかというと、2005年に出版された中国関連の新書を読んでて当時の人件費が500元前後と書かれてあったのを見てビビッと来ました。我ながら妙なところに反応する傾向がある気がします。
まず中国の人件費が高騰していることは紛れもない事実です。この前終わっちゃったけど胡錦濤政権の後半では格差解消が大きな政治課題となっており、実際に中国国内の各地域で最低賃金の引き上げが大々的に実施され続けております。それこそ2005年ごろは500元程度だった最低賃金は現在ではほとんどの地域で1000元の大台を超えており、1500元にも達している地域も確かありました。
こうした最低賃金の引き上げに伴い、大卒初任給も急上昇が続いております。たとえば上海市内であれは2009年は平均で約2000元でしたが、わずか3年後の2012年には約3000元に達したという調査データが出ております。ちなみに同じ調査データでは、2012年の入社3年後の社員の平均給与は約4500元、つまり3年で給与が2.5倍にまで昇給するというなんだか夢のある話も乗ってました。夢があるたって日本人からすればベースが低すぎるかもしれないが。
このような中国での人件費高騰は大量の従業員を雇わなければならないメーカーにとって死活問題であり、より人件費の低い国や地域に生産拠点を移転しようというのもごく自然な流れといえるでしょう。中国では昨年にスポーツ用品メーカーの独アディダスが唯一の自社工場を閉鎖し、委託工場への発注も大幅に減らすなど明確な生産移転を打ち出したことが大きく話題になりましたが、日系でもこのところ「中国撤退」という言葉が出て、先程挙げた国に進出するべしという意見がよく出ております。単価の低い商品、具体的には玩具や雑貨、繊維系メーカーなどにとっては実に頷ける話です。
ただここまで書いておきながらですが、だからと言ってすぐに中国から生産移転をしていいものか、ほかの国に生産移転すればそれで済む話なのかというと少し疑問があります。もったいぶらずに言うと、短期的には安い人件費の恩恵を享受できるとしても長期的には中国以上に急激な人件費高騰を受けるのではないか、という懸念があります。
私がこのように考える理由は単純に、人口の違いです。言うまでもなく中国は世界最大の人口大国で、豊富な労働力を背景に世界の工場として君臨するに至っております。その中国ですらこの10年の間に人件費が大きく上昇したのが現在の状況ですが、逆を言えば人口が多い中国だからこそ人件費の上昇はこの程度にとどまっていたのでは、具体的には賃金の上昇スピードはまだ緩慢だったのではないかと私は見ております。それこそ、中国ほどではなくともインドネシアなどの国に外資メーカーの進出が相次いだら2~3年という短い間に賃金が2倍、3倍と上昇していく可能性がある気がします。
参考までにアジア諸国の人口統計を下記に記載します。
中国:13億5300万人(2012年)
インドネシア:2億2900万人(2008年)
日本:1億2600万人(2012年)
ベトナム:8400万人(2008年)
ミャンマー:5000万人(2008年)
※すべてWikipediaより引用
見てもらえばわかる通りに、ベトナムやミャンマーは中国どころか日本以下、インドネシアはまだ日本を上回っているもののそれでも中国からすれば六分の一程度です。アジア域内で中国に互す人口を抱えているのは唯一インド(11億9800万人)がありますが、インドへの進出はその治安、インフラの悪さに加えカースト制度や宗派対立があるためその苦労は並大抵じゃありません。それだけに向こうで頑張っているスズキは本当にすごいと思うんだけど。
国にもよるでしょうが、外資メーカーの進出ラッシュが起こることによって今の中国みたいに人手不足がすぐ発生するように思えます。そして不足する人手をかき集めるため人件費も高騰、それに合わせて最低賃金も引き上げへ、この辺の上昇ペースは相当急だと思います。これらの国へ進出するのは日系に限らずさっきのアディダスのように独系、米系もいるからです。
仮に賃金がこれから急激に上昇していくことも織り込み済みで中国以外の国へ進出するというのであれば問題ないでしょうが、この点を見落とす、現状の人件費水準だけに着目して進出を決め、工場を設立しても投資額を果たして回収できるのかという懸念を覚えます。それであれば既に人件費は高騰しているものの圧倒的な人口を背景に巨大な国内市場を持つ中国に留まるという選択肢も、商品やサービスによってはありじゃないかと個人的に思います。
今日ここで書いた話は私の完全オリジナル、というか思い付きの話であるため具体的な根拠性についてはやや乏しいです。むしろ問題提起するという意味で書いているので、意見がある方などはどんどんコメント欄に書いていってもらいたいです。
ちなみになんでこんな話を思いついたのかというと、2005年に出版された中国関連の新書を読んでて当時の人件費が500元前後と書かれてあったのを見てビビッと来ました。我ながら妙なところに反応する傾向がある気がします。
2013年3月20日水曜日
韓国の近現代史~その四、朝鮮戦争 後編
大分日が空いてしまいましたが、前編に引き続き朝鮮戦争の経過とその結末について書いていきます。前回では北朝鮮の急襲によって米韓側は一時追い詰められたものの、起死回生の仁川上陸作戦の成功によって北朝鮮に対し米韓が逆王手をかけるに至ったところまで解説しました。この時の北朝鮮側の支配地域は元山市に限定されており、誰もが「朝鮮半島の統一は間近」だという風に考えていたでしょう。
こうした状況下、北朝鮮と国境を接する中華人民共和国では救援(参戦)するべきか否かで大きく揉めておりました。当時の最大権力者と言ってもいい毛沢東らは参戦に積極的でしたが、多くの人民解放軍幹部はWikipediaにも書かれている通りに反対しており、その反対理由をそのまま引用すると、
1、中華人民共和国の所有する武器では、ソ連の援助を得たとしても、アメリカの近代化された武器には勝ち目が無い
2、長年にわたる国共内戦により国内の財政も逼迫しており、新政権の基盤も確立されていないため、幹部、一般兵士たちの間では戦争回避を願う空気が強い
3、中華人民共和国建国後も中国国民党政府の支配下のままとなった台湾への「解放」や、チベットの「解放」など、国内問題の解決を優先するべき
(Wikipediaより)
3番にも書かれている通りに当時の中国は蒋介石率いる国民党との内戦に勝利したばかりで、国内の整備もまだ進んでいない状態でした。そんな最中に外征に出る余裕なぞ少なく、場合によっては米軍に中国本土への攻撃を許す口実すら与えかねない状況でもあるため、多くの幹部が反対したという理由に私は納得できます。
最終的には「人民解放軍」としてではなく「志願軍」、つまり有志の兵隊が勝手に出向いたという形で参戦してきます。実態的には組織された人民解放軍がそのまま攻め入った形になるのですがその兵力は総勢で100万人近いという説も出ており、単独での参戦兵力数では朝鮮戦争中で間違いなく最大でした。ちなみにWikipediaによると主な参戦国の参戦兵力数を列記すると下記の通りです。
・韓国軍:約60万
・米軍:約48万
・英軍:約6.3万
・北朝鮮軍:約26万
・ソ連軍:約2.6万
・中国軍:約78万
こうしてみると、如何に中国軍が巨大だったかよくわかります。現代にも言えますが、中国の最大の長所と短所はその膨大な人口でしょう。
話は朝鮮戦争に戻りますが、米参謀本部は38度線を超えると中国軍が参戦してくると懸念していたようですが、実際に指揮していたマッカーサーは「そんなことはない」と主張して進軍していたほどで、恐らく参戦を予想していなかったのでしょう。それだけに突如現れた大兵力に対する備えがほぼなかったため、戦線を一気に38度線付近まで押し返されます。
なお余談ですが、私の専門である中国の話をするとこの時の中国軍を指揮したのは彭徳懐という将軍で、国民党との内戦でも朱徳とともに大活躍した軍人です。朝鮮戦争でも上記の通りにその才能を遺憾なく発揮したのですが、後年に中国で吹き荒れた文化大革命の際には紅衛兵による激しい暴行を受け無残と言わざるを得ない最後を辿ります。建国の英雄と言ってもいい彭徳懐がどうしてこのような仕打ちを受けたのかですが、毛沢東の掲げた方針に反対したなどいろいろな説がある中、この朝鮮戦争が原因という説もあります。というのもこの朝鮮戦争に従軍した毛沢東の長男、毛岸英が戦死しており、毛沢東自身も後継者と期待していた人物だっただけに大いに嘆いたそうです。仮に毛岸英が生きていたら歴史も変わったかもと、個人的に思います。
行ったり来たりが続きますがまた朝鮮戦争に戻ると、中国軍の参戦によって北朝鮮側は一時大きく盛り返します。こうした中でマッカーサーはトルーマン大統領に対して原爆の使用許可を求めるなどことごとく中央の方針に逆らったため、1951年にとうとう解任されます。かわって指揮を執ったのはマシュー・リッジウェイで、中国・北朝鮮軍の反撃を38度線付近で見事に押し留めます。その後はほぼ休戦状態となって大きな戦闘も少なくなり、1953年に米国ではトルーマンに代わりアイゼンハワーが大統領に就任し、ソ連でもスターリンが死去したことによる大きな状況の変化があり、そのまま1953年中に休戦協定が結ばれました。もっとも、この休戦協定は北朝鮮側が一方的に破棄すると今月発表したばかりですが。
この朝鮮戦争は米ソの冷戦が実際の戦闘に発展した最初のケースで、その後のベトナム戦争につながる一つの段階と見ることが出来るでしょう。周辺国に与えた影響はいうに及ばず、当事者である韓国と北朝鮮では国土が直接戦場になり、大量の犠牲者が出ただけでなく離散家族の問題など深刻な影響を受けることとなり、冷戦が終わったにもかかわらず現在に至るまで朝鮮半島が統一されない最大の要因となりました。
私個人の一意見を述べると、まだ90年代は先ほど挙げた離散家族の問題がよく取り沙汰されておりましたが、ここ数年は長い年月を経て当事者が減ってきているのか、この単語自体が見なくなってきているように思えます。それだけにかつては「同じ民族、二つの国家」だったものが、段々と二国間の民族同士のつながりは減ってきたのかなという気がします。
あと周辺国の影響ではやはり日本は見逃せません。日本は隣国での戦争の恩恵を最大限に受けたというべきか、特需景気によって戦後低迷していた経済が劇的に回復します。先日にも親父と話しましたが朝鮮戦争と言いベトナム戦争といい、日本は冷戦のさなかで最も恩恵を受ける立場を享受していたように思え、また冷戦の終了とともに競争力を減らしたのかなとも思います。
そういうわけで二回に渡り序盤の山場である朝鮮戦争を取り上げました。次回は韓国初代大統領である李承晩の大統領就任から落ち目までを取り上げていきます。
こうした状況下、北朝鮮と国境を接する中華人民共和国では救援(参戦)するべきか否かで大きく揉めておりました。当時の最大権力者と言ってもいい毛沢東らは参戦に積極的でしたが、多くの人民解放軍幹部はWikipediaにも書かれている通りに反対しており、その反対理由をそのまま引用すると、
1、中華人民共和国の所有する武器では、ソ連の援助を得たとしても、アメリカの近代化された武器には勝ち目が無い
2、長年にわたる国共内戦により国内の財政も逼迫しており、新政権の基盤も確立されていないため、幹部、一般兵士たちの間では戦争回避を願う空気が強い
3、中華人民共和国建国後も中国国民党政府の支配下のままとなった台湾への「解放」や、チベットの「解放」など、国内問題の解決を優先するべき
(Wikipediaより)
3番にも書かれている通りに当時の中国は蒋介石率いる国民党との内戦に勝利したばかりで、国内の整備もまだ進んでいない状態でした。そんな最中に外征に出る余裕なぞ少なく、場合によっては米軍に中国本土への攻撃を許す口実すら与えかねない状況でもあるため、多くの幹部が反対したという理由に私は納得できます。
最終的には「人民解放軍」としてではなく「志願軍」、つまり有志の兵隊が勝手に出向いたという形で参戦してきます。実態的には組織された人民解放軍がそのまま攻め入った形になるのですがその兵力は総勢で100万人近いという説も出ており、単独での参戦兵力数では朝鮮戦争中で間違いなく最大でした。ちなみにWikipediaによると主な参戦国の参戦兵力数を列記すると下記の通りです。
・韓国軍:約60万
・米軍:約48万
・英軍:約6.3万
・北朝鮮軍:約26万
・ソ連軍:約2.6万
・中国軍:約78万
こうしてみると、如何に中国軍が巨大だったかよくわかります。現代にも言えますが、中国の最大の長所と短所はその膨大な人口でしょう。
話は朝鮮戦争に戻りますが、米参謀本部は38度線を超えると中国軍が参戦してくると懸念していたようですが、実際に指揮していたマッカーサーは「そんなことはない」と主張して進軍していたほどで、恐らく参戦を予想していなかったのでしょう。それだけに突如現れた大兵力に対する備えがほぼなかったため、戦線を一気に38度線付近まで押し返されます。
なお余談ですが、私の専門である中国の話をするとこの時の中国軍を指揮したのは彭徳懐という将軍で、国民党との内戦でも朱徳とともに大活躍した軍人です。朝鮮戦争でも上記の通りにその才能を遺憾なく発揮したのですが、後年に中国で吹き荒れた文化大革命の際には紅衛兵による激しい暴行を受け無残と言わざるを得ない最後を辿ります。建国の英雄と言ってもいい彭徳懐がどうしてこのような仕打ちを受けたのかですが、毛沢東の掲げた方針に反対したなどいろいろな説がある中、この朝鮮戦争が原因という説もあります。というのもこの朝鮮戦争に従軍した毛沢東の長男、毛岸英が戦死しており、毛沢東自身も後継者と期待していた人物だっただけに大いに嘆いたそうです。仮に毛岸英が生きていたら歴史も変わったかもと、個人的に思います。
行ったり来たりが続きますがまた朝鮮戦争に戻ると、中国軍の参戦によって北朝鮮側は一時大きく盛り返します。こうした中でマッカーサーはトルーマン大統領に対して原爆の使用許可を求めるなどことごとく中央の方針に逆らったため、1951年にとうとう解任されます。かわって指揮を執ったのはマシュー・リッジウェイで、中国・北朝鮮軍の反撃を38度線付近で見事に押し留めます。その後はほぼ休戦状態となって大きな戦闘も少なくなり、1953年に米国ではトルーマンに代わりアイゼンハワーが大統領に就任し、ソ連でもスターリンが死去したことによる大きな状況の変化があり、そのまま1953年中に休戦協定が結ばれました。もっとも、この休戦協定は北朝鮮側が一方的に破棄すると今月発表したばかりですが。
この朝鮮戦争は米ソの冷戦が実際の戦闘に発展した最初のケースで、その後のベトナム戦争につながる一つの段階と見ることが出来るでしょう。周辺国に与えた影響はいうに及ばず、当事者である韓国と北朝鮮では国土が直接戦場になり、大量の犠牲者が出ただけでなく離散家族の問題など深刻な影響を受けることとなり、冷戦が終わったにもかかわらず現在に至るまで朝鮮半島が統一されない最大の要因となりました。
私個人の一意見を述べると、まだ90年代は先ほど挙げた離散家族の問題がよく取り沙汰されておりましたが、ここ数年は長い年月を経て当事者が減ってきているのか、この単語自体が見なくなってきているように思えます。それだけにかつては「同じ民族、二つの国家」だったものが、段々と二国間の民族同士のつながりは減ってきたのかなという気がします。
あと周辺国の影響ではやはり日本は見逃せません。日本は隣国での戦争の恩恵を最大限に受けたというべきか、特需景気によって戦後低迷していた経済が劇的に回復します。先日にも親父と話しましたが朝鮮戦争と言いベトナム戦争といい、日本は冷戦のさなかで最も恩恵を受ける立場を享受していたように思え、また冷戦の終了とともに競争力を減らしたのかなとも思います。
そういうわけで二回に渡り序盤の山場である朝鮮戦争を取り上げました。次回は韓国初代大統領である李承晩の大統領就任から落ち目までを取り上げていきます。
関西遠征について
昨日友人と焼肉屋に行ったところ、牛タン噛んでいる最中に自分の舌を噛んでしまってまだ痛いです。何この本末転倒。
話は本題に入りますが、先週の金曜から昨日まで関西地域へ遠征に言っていました。主な目的は親戚や友人に会うためでしたが、昨晩に東京に帰ろうとしたところで上海で知り合った友人から連絡がありそのまま東京で夕食してくるなど、スケジュールの割に会ってきた人間の数は多かったです。もっとも、あちこち移動していた関係でブログの更新は出来なかったけど。
まとまりのない内容になりますが思いつくことを片っ端から挙げると、これ以前に関西に行ったのは2010年ですが、あくまで私の実感ではあるものの当時より関西の人の表情は明るくなっているように見えました。この点について友人などと話してみると、やはり民主党政権が終わって自民党政権になった去年の12月から世間の空気がマシになったと言っており、私もこれが大きいように思えます。
それと今回は高速バスに乗って移動しましたが、行きも帰りも疲労しないために昼便を使いました。行きでは東京駅を早朝に出発して夕方に梅田に着くJRバスでしたが、何の気なしに中央道を通る便を選んだら例の笹子トンネルを通って思わず天井を見てしまいました。
体力の話でもう少し続けると春先の寒暖差を受けちょっと体が疲れ気味というかだるい日が続いており、遠征前にじっくり体を休めておりましたが今日あたりはまだしんどさを感じます。もともと、毎年3月前後の春先はツキのない事態に振り回されることが多いだけにこの時期であるってだけで気分が悪いです。実際に帰国から一ヶ月半経って面倒くさい事態に巻き込まれて実際には書きませんが、聞く人によっては真面目にドン引きする状態に陥ってます。といっても、「殺し屋さん」のネーム担当の作者は自宅が焼けて保険で揉めたりなどとつづっており、この人に比べれば自分なんてまだまだとか思う程度ですが。
話は本題に入りますが、先週の金曜から昨日まで関西地域へ遠征に言っていました。主な目的は親戚や友人に会うためでしたが、昨晩に東京に帰ろうとしたところで上海で知り合った友人から連絡がありそのまま東京で夕食してくるなど、スケジュールの割に会ってきた人間の数は多かったです。もっとも、あちこち移動していた関係でブログの更新は出来なかったけど。
まとまりのない内容になりますが思いつくことを片っ端から挙げると、これ以前に関西に行ったのは2010年ですが、あくまで私の実感ではあるものの当時より関西の人の表情は明るくなっているように見えました。この点について友人などと話してみると、やはり民主党政権が終わって自民党政権になった去年の12月から世間の空気がマシになったと言っており、私もこれが大きいように思えます。
それと今回は高速バスに乗って移動しましたが、行きも帰りも疲労しないために昼便を使いました。行きでは東京駅を早朝に出発して夕方に梅田に着くJRバスでしたが、何の気なしに中央道を通る便を選んだら例の笹子トンネルを通って思わず天井を見てしまいました。
体力の話でもう少し続けると春先の寒暖差を受けちょっと体が疲れ気味というかだるい日が続いており、遠征前にじっくり体を休めておりましたが今日あたりはまだしんどさを感じます。もともと、毎年3月前後の春先はツキのない事態に振り回されることが多いだけにこの時期であるってだけで気分が悪いです。実際に帰国から一ヶ月半経って面倒くさい事態に巻き込まれて実際には書きませんが、聞く人によっては真面目にドン引きする状態に陥ってます。といっても、「殺し屋さん」のネーム担当の作者は自宅が焼けて保険で揉めたりなどとつづっており、この人に比べれば自分なんてまだまだとか思う程度ですが。
2013年3月18日月曜日
WBCでの日本敗退について
毎日が日曜日というあまり笑ってばかりもいられない環境を使って、今日は朝早くからWBCの日本対プエルトリコ戦を見ておりましたが、結果は皆さんも知っての通りに残念ながら日本が敗退しました。選手の方々が頑張っていただけに残念ではあるのですが、大きくニュースになっているように、8回の内川選手、井端選手によるダブルスチール失敗のシーンはリアルタイムで見ていましたが本当に「えっ!?」と驚かされました。
現在までに出ているニュースを見る限りだとどうもベンチが無謀だと言い切ってもいいダブルスチールを指示していたようで、それだけに走塁でアウトになった内川選手が不憫でなりません。元々、内川選手は責任感が強そうに思えるだけに人一倍今回の敗戦の責任を感じているかもしれず、声をかけられるものなら「気にしないでいい」と言いたいくらいです。
それにしても、投手の継投といい今回の監督、コーチ陣の指揮ぶりには素人ではあるものの、私も疑問に感じる点が少なくありません。ショートの位置で守備に不安のある坂本選手がいたり、調子のいい投手を続投させずに細かく変えて失点したりと、もっと人選があったように思えるというのが私の感想です。
現在までに出ているニュースを見る限りだとどうもベンチが無謀だと言い切ってもいいダブルスチールを指示していたようで、それだけに走塁でアウトになった内川選手が不憫でなりません。元々、内川選手は責任感が強そうに思えるだけに人一倍今回の敗戦の責任を感じているかもしれず、声をかけられるものなら「気にしないでいい」と言いたいくらいです。
それにしても、投手の継投といい今回の監督、コーチ陣の指揮ぶりには素人ではあるものの、私も疑問に感じる点が少なくありません。ショートの位置で守備に不安のある坂本選手がいたり、調子のいい投手を続投させずに細かく変えて失点したりと、もっと人選があったように思えるというのが私の感想です。
2013年3月15日金曜日
韓国の近現代史~その三、朝鮮戦争 前編
この連載も三回目で、今日は序盤最大の山場に当たる朝鮮戦争を取り上げます。今回の連載を始める前から勉強していたから、書きやすいと言えば書きやすいんだけど。
・朝鮮戦争(Wikipedia)
朝鮮戦争は1950年6月25日に北朝鮮軍が突如として38度線を突破してきたことから開戦しました。先に開戦時における国際状況を説明すると、一番大きいのは 中国で1948年 、毛沢東率いる中国共産党が蒋介石率いる国民党との戦いに勝利して中華人民共和国が勝利しております。北朝鮮にとっては同じ社会主義の政権が国共の接する中国に成立しただけでなく、共産党軍と共に国共内戦を戦った朝鮮族の部隊が北朝鮮軍に合流しております。実戦を経験した部隊であるだけに、金日成の決定に何らかの影響を与えたのではないかと私は見ます。
ただこうした状況の中、北朝鮮と同じ社会主義勢力の中国、並びにソ連は当初、韓国に攻め込むという北朝鮮の計画に難色を示したと言われております。中国は国民党を台湾へ追い出したと言っても建国まもなく国家機構もきちんと整備されておらず、ソ連も二次大戦で若い男性がほぼ全員戦死したことから労働力不足に喘いでいる上、米軍との直接対決にもなりかねない韓国侵攻を望まなかったと言われており、私もこの説を信じます。
にもかかわらずどうして北朝鮮は侵攻を実行したのかですが、一説ではソ連のスターリンに対しては「中国からは了承を得ている」と話し、中国の毛沢東に対しては「スターリンからは支援してもらうと約束を得ている」と都合のいいことを言って、双方から支援の約束を取り付けたという説があります。その後の経過を見るにつけ、これも多分間違いじゃないんじゃないかな。
こうして開戦した朝鮮戦争ですが、韓国側の防衛計画が甘かっただけでなく指揮系統の面でも混乱があったために、序盤は北朝鮮の連戦連勝が続きます。ましてや北朝鮮軍にはソ連から二次大戦中で最強の戦車であったT-34を筆頭に最新鋭の装備が供与されていたのに対し韓国軍の火力は低く、開戦4日目の6月28日にはソウルが陥落しました。
このソウル陥落時は軍、官憲、市民が一斉に脱出を図ったことからひどい混乱となり、市民が渡河中にもかかわらず橋が爆破され数百人が犠牲となった漢江人道橋爆破事件も起こっております。もっとも朝鮮戦争による非戦闘員こと市民の犠牲はこの後の方がひどく、北朝鮮軍、韓国軍共に進軍先でスパイ容疑をかけるなどして万人単位での大量虐殺を繰り返し、合計すれば少なくとも100万人以上が死亡したと試算されております。
話は戦況に戻りますが、韓国軍は一時は釜山以外の地域を北朝鮮に占領されるところまで追い詰められます。こうした中で米国は、ソ連が拒否権を発動しなかったのもあって北朝鮮に対して国連軍の派遣を決め、日本でGHQを率いていたダグラス・マッカーサーが指揮を執りました。ただ国連軍の派遣後も戦況はなかなか改善せず苦戦が続いたのですが、こうした中でマッカーサーは起死回生を図り、仁川上陸作戦を実行に移します。
この作戦の成功によって長く伸びきった北朝鮮の補給線は寸断され、逆に韓国軍は作戦の成功に勢いづき一気に反撃を開始し、あっという間に北朝鮮軍を38度線以北に追い帰しました。開戦前の領土を奪回したことからここらで和睦という案も当時出たのですが、「いつ統一するのか、今でしょ」って某予備校講師みたいに言ったかどうかは定かじゃないですがマッカーサーは38度線を越境し、北朝鮮軍への追撃を決断します。
このマッカーサーの決断に米参謀本部、並びにトルーマン大統領は反対をしたのですが、その理由というのも「38度線を越えたら中国の参戦も有り得る」という情報を得ていたからです。果たしてその予感は当たり、北朝鮮の領土の大半を占領し中朝国境に当たる鴨緑江へ迫ったまさにその時、中国の人民解放軍は志願軍という形で参戦してきました。既にかなり長くなっているので、続きはまた次回で。
・朝鮮戦争(Wikipedia)
朝鮮戦争は1950年6月25日に北朝鮮軍が突如として38度線を突破してきたことから開戦しました。先に開戦時における国際状況を説明すると、一番大きいのは 中国で1948年 、毛沢東率いる中国共産党が蒋介石率いる国民党との戦いに勝利して中華人民共和国が勝利しております。北朝鮮にとっては同じ社会主義の政権が国共の接する中国に成立しただけでなく、共産党軍と共に国共内戦を戦った朝鮮族の部隊が北朝鮮軍に合流しております。実戦を経験した部隊であるだけに、金日成の決定に何らかの影響を与えたのではないかと私は見ます。
ただこうした状況の中、北朝鮮と同じ社会主義勢力の中国、並びにソ連は当初、韓国に攻め込むという北朝鮮の計画に難色を示したと言われております。中国は国民党を台湾へ追い出したと言っても建国まもなく国家機構もきちんと整備されておらず、ソ連も二次大戦で若い男性がほぼ全員戦死したことから労働力不足に喘いでいる上、米軍との直接対決にもなりかねない韓国侵攻を望まなかったと言われており、私もこの説を信じます。
にもかかわらずどうして北朝鮮は侵攻を実行したのかですが、一説ではソ連のスターリンに対しては「中国からは了承を得ている」と話し、中国の毛沢東に対しては「スターリンからは支援してもらうと約束を得ている」と都合のいいことを言って、双方から支援の約束を取り付けたという説があります。その後の経過を見るにつけ、これも多分間違いじゃないんじゃないかな。
こうして開戦した朝鮮戦争ですが、韓国側の防衛計画が甘かっただけでなく指揮系統の面でも混乱があったために、序盤は北朝鮮の連戦連勝が続きます。ましてや北朝鮮軍にはソ連から二次大戦中で最強の戦車であったT-34を筆頭に最新鋭の装備が供与されていたのに対し韓国軍の火力は低く、開戦4日目の6月28日にはソウルが陥落しました。
このソウル陥落時は軍、官憲、市民が一斉に脱出を図ったことからひどい混乱となり、市民が渡河中にもかかわらず橋が爆破され数百人が犠牲となった漢江人道橋爆破事件も起こっております。もっとも朝鮮戦争による非戦闘員こと市民の犠牲はこの後の方がひどく、北朝鮮軍、韓国軍共に進軍先でスパイ容疑をかけるなどして万人単位での大量虐殺を繰り返し、合計すれば少なくとも100万人以上が死亡したと試算されております。
話は戦況に戻りますが、韓国軍は一時は釜山以外の地域を北朝鮮に占領されるところまで追い詰められます。こうした中で米国は、ソ連が拒否権を発動しなかったのもあって北朝鮮に対して国連軍の派遣を決め、日本でGHQを率いていたダグラス・マッカーサーが指揮を執りました。ただ国連軍の派遣後も戦況はなかなか改善せず苦戦が続いたのですが、こうした中でマッカーサーは起死回生を図り、仁川上陸作戦を実行に移します。
(Wikipediaより引用)
この仁川上陸作戦の上陸地点は上記地図のピンクのポイント、位置にして北緯38度線の西側にあり、当時は北朝鮮の占領地域に当たります。いわば敵地のど真ん中に一気に突っ込むという作戦で米参謀本部ではマッカーサー以外はほぼみんな反対したものの、反対を押し切る形で実行して見事に上陸を成功させました。この作戦の成功によって長く伸びきった北朝鮮の補給線は寸断され、逆に韓国軍は作戦の成功に勢いづき一気に反撃を開始し、あっという間に北朝鮮軍を38度線以北に追い帰しました。開戦前の領土を奪回したことからここらで和睦という案も当時出たのですが、「いつ統一するのか、今でしょ」って某予備校講師みたいに言ったかどうかは定かじゃないですがマッカーサーは38度線を越境し、北朝鮮軍への追撃を決断します。
このマッカーサーの決断に米参謀本部、並びにトルーマン大統領は反対をしたのですが、その理由というのも「38度線を越えたら中国の参戦も有り得る」という情報を得ていたからです。果たしてその予感は当たり、北朝鮮の領土の大半を占領し中朝国境に当たる鴨緑江へ迫ったまさにその時、中国の人民解放軍は志願軍という形で参戦してきました。既にかなり長くなっているので、続きはまた次回で。
2013年3月14日木曜日
中国の反日意識の地域差
中国事情に詳しい方なら当然と思われるかもしれませんが、日本国内にいると意外と見えてこないテーマでもあるので、本日は中国における反日意識の地域差を簡単に解説しようかと思います。
まず大前提の話として、日本は世界でも稀なくらいに国民の意識や文化、果てには収入までもがほとんど均一化された国です。最近は東京一極集中などと叫ばれておりますが首都に富が集中しているという点ではソウルに遥か及ばず、また県民性というものも確かに存在しておりますが投票などと言った政治行動などではほかの国ほど極端な違いはないように思えます。
そんな日本人からすればほかの国は地域差が激しくあるように思え、中国もその例に洩れません。具体的に挙げると、北京市の人々はやや寡黙で政治意識が高いのに対し、上海市の人々は多弁でビジネスライクな思考を取ります。このほか広東省や内陸などの地域も入れると、「中国人」とひとくくりにしてはならないと思うほど性格や行動に違いが見えてきます。全体的な傾向として日本人より個人主義が強いとは言い切れますが。
私の見る限りですとこうした地域差は反日意識にも出てきており、日本人対する風当たりも都市ごとに異なるように思います。ではどういった都市がどのような特徴を持つのかですが、具体的に挙げると以下の都市においては日本人に対する意識が好意的であるように私は考えます。
・上海市
・遼寧省大連市
まず上海市に関しては2012年9月に起きた日本の尖閣諸島国有化に端を発して反日デモが頻発した時期でも露骨な暴動、並びに日本人排斥運動は見られず、いくらか飲み屋で日本人が叩かれるという事件はあったものの比較的平穏を保ちました。この時期は私も実際に上海で生活しており、当時に取材などもしたので強く言えます。
次に大連市については、ここも日系企業への暴動などのニュースはほとんどなく、むしろ日系企業の誘致を進めている関係からか大連市政府が暴動に対して厳しい態度で臨む姿勢を強く打ち出すほどでした。もともと大連市に限らず遼寧省、吉林省、黒竜江省の東北三省は昔から日本との交流が盛んな地域で反日意識は他の地域と比べ低いとされておりますが、近年は日系企業の進出も相まって日本への意識もより好意的になってきていると言われております。
では逆に反日意識が高い地域となるとどんなところになるのか。参考までに昨年9月に日系小売店、企業への暴動が起きた主な都市を挙げると下記の通りです。
・山東省青島市(イオンが被害)
・湖南省長沙市(アルプラザが被害)
・広東省広州市(日本領事館が被害)
パッと思いつく大きなところを上げましたが、日本車が叩き壊されるなど小さな被害があった都市を挙げていけばそれこそ無数に増えていくでしょう。ではここで挙げた都市は普段から日本人に対する風当たりが強いのかですが、そうは言い切れないというのが中国事情の難しいところです。というのも、あの反日デモが吹き荒れた時期に暴動を起こしたのは地元の中国人というより地方から来た出稼ぎ労働者が大半だったからです。
これはほかのケースでも同じですが、中国での暴動の主役はどれもほぼ出稼ぎ労働者と考えて間違いありません。出稼ぎ労働者は教育水準が低いことはもとより、賃金など様々な待遇面で地元の都市住民と比べ大きな差があることから日々の生活上で強い不満を持っているとされます。そのため反日暴動のようにあまり警察に摘発されにくい事案等にかこつけて、日々の鬱憤を晴らすかのように過激な行動を取りやすいと言われます。
以上のような背景があることから、暴動の起こった都市住民は一概に反日的であるとは言えず、その都市に集まってきた労働者が実際には強い反日的思想を持っていないにもかかわらず暴動を起こすというのが実態です。そのため都市全体で反日的であるかどうかの線引きはし辛いのです。
強いて都市ごとの反日行動に対する企業リスクを測る指標を挙げるとすれば、国際的な目を意識しているかどうかです。たとえば先ほどの上海市、そして首都の北京市では日本以外の海外メディアも数多く支局を設けていることから、暴動が発生しないよう徹底的な抑え込みが図られました。仮に暴動の様子が世界中に発信されれば中国としてはマイナスのイメージを持たれかねず、こうした海外の目がある場所では当局も採るべき政策を採ってくれることが期待できます。逆を言えば、海外との交流が少ない地方都市であれば当局も暴動を容認してしまうところがあり、暴動が起こりかねない状況となった場合は注意が必要でしょう。
まず大前提の話として、日本は世界でも稀なくらいに国民の意識や文化、果てには収入までもがほとんど均一化された国です。最近は東京一極集中などと叫ばれておりますが首都に富が集中しているという点ではソウルに遥か及ばず、また県民性というものも確かに存在しておりますが投票などと言った政治行動などではほかの国ほど極端な違いはないように思えます。
そんな日本人からすればほかの国は地域差が激しくあるように思え、中国もその例に洩れません。具体的に挙げると、北京市の人々はやや寡黙で政治意識が高いのに対し、上海市の人々は多弁でビジネスライクな思考を取ります。このほか広東省や内陸などの地域も入れると、「中国人」とひとくくりにしてはならないと思うほど性格や行動に違いが見えてきます。全体的な傾向として日本人より個人主義が強いとは言い切れますが。
私の見る限りですとこうした地域差は反日意識にも出てきており、日本人対する風当たりも都市ごとに異なるように思います。ではどういった都市がどのような特徴を持つのかですが、具体的に挙げると以下の都市においては日本人に対する意識が好意的であるように私は考えます。
・上海市
・遼寧省大連市
まず上海市に関しては2012年9月に起きた日本の尖閣諸島国有化に端を発して反日デモが頻発した時期でも露骨な暴動、並びに日本人排斥運動は見られず、いくらか飲み屋で日本人が叩かれるという事件はあったものの比較的平穏を保ちました。この時期は私も実際に上海で生活しており、当時に取材などもしたので強く言えます。
次に大連市については、ここも日系企業への暴動などのニュースはほとんどなく、むしろ日系企業の誘致を進めている関係からか大連市政府が暴動に対して厳しい態度で臨む姿勢を強く打ち出すほどでした。もともと大連市に限らず遼寧省、吉林省、黒竜江省の東北三省は昔から日本との交流が盛んな地域で反日意識は他の地域と比べ低いとされておりますが、近年は日系企業の進出も相まって日本への意識もより好意的になってきていると言われております。
では逆に反日意識が高い地域となるとどんなところになるのか。参考までに昨年9月に日系小売店、企業への暴動が起きた主な都市を挙げると下記の通りです。
・山東省青島市(イオンが被害)
・湖南省長沙市(アルプラザが被害)
・広東省広州市(日本領事館が被害)
パッと思いつく大きなところを上げましたが、日本車が叩き壊されるなど小さな被害があった都市を挙げていけばそれこそ無数に増えていくでしょう。ではここで挙げた都市は普段から日本人に対する風当たりが強いのかですが、そうは言い切れないというのが中国事情の難しいところです。というのも、あの反日デモが吹き荒れた時期に暴動を起こしたのは地元の中国人というより地方から来た出稼ぎ労働者が大半だったからです。
これはほかのケースでも同じですが、中国での暴動の主役はどれもほぼ出稼ぎ労働者と考えて間違いありません。出稼ぎ労働者は教育水準が低いことはもとより、賃金など様々な待遇面で地元の都市住民と比べ大きな差があることから日々の生活上で強い不満を持っているとされます。そのため反日暴動のようにあまり警察に摘発されにくい事案等にかこつけて、日々の鬱憤を晴らすかのように過激な行動を取りやすいと言われます。
以上のような背景があることから、暴動の起こった都市住民は一概に反日的であるとは言えず、その都市に集まってきた労働者が実際には強い反日的思想を持っていないにもかかわらず暴動を起こすというのが実態です。そのため都市全体で反日的であるかどうかの線引きはし辛いのです。
強いて都市ごとの反日行動に対する企業リスクを測る指標を挙げるとすれば、国際的な目を意識しているかどうかです。たとえば先ほどの上海市、そして首都の北京市では日本以外の海外メディアも数多く支局を設けていることから、暴動が発生しないよう徹底的な抑え込みが図られました。仮に暴動の様子が世界中に発信されれば中国としてはマイナスのイメージを持たれかねず、こうした海外の目がある場所では当局も採るべき政策を採ってくれることが期待できます。逆を言えば、海外との交流が少ない地方都市であれば当局も暴動を容認してしまうところがあり、暴動が起こりかねない状況となった場合は注意が必要でしょう。
2013年3月13日水曜日
韓国の近現代史~その二、独立前後の混乱
本日から早速「韓国の近現代史」の連載を本格的にスタートさせます。まずは当たり前と言えば当たり前ですが、日本の植民地から独立する前後の時代について書いてきます。
韓国は1910年に日本によって併合されて植民地となっておりましたが、第二次世界大戦で日本が敗戦したことに合わせ名目上は独立を回復するに至りました。日本の敗戦後に朝鮮半島の処遇については既に米英ソをはじめとした連合国首脳の間で確認されており、米軍を中心とした連合軍が信託統治する方向で決まっていました。ただ日本がポツダム宣言を受諾する以前にソ連軍が単独で満州地域へ進軍していたことから、米ソの間で北緯38度線を境界に北側をソ連、南側を米が面倒を見ると言ってはなんですが分割して占領する方針が確認されました。
朝鮮半島にとって歴史的に本当に不幸だったのはこの時の分割統治においてほかならないでしょう。朝鮮半島内では1945年に入ってからは早くに日本の敗戦を見越し、朝鮮民族による統一した政府を起ち上げる準備も進められていたのですが、大国の思惑というか戦後の政策を巡って分割されたことによってこれらの統一政府構想は破綻することとなります。
話は韓国に焦点を絞ります。韓国、当時は南朝鮮は独立運動家の呂運亨らが敗戦前に知日派こと日本統治時代に官僚組織に属していたり、日本に留学を果たしていた同士らを集め朝鮮建国準備委員会を起ち上げておりました。朝鮮建国準備委員会は8月15日の日本敗戦の報を聞くや早速活動を開始し、月の明けた9月6日には朝鮮人民共和国の樹立を宣言するのですが、わずか5日後の9月11日に上陸した米軍からは正式な韓国政府として認められず施政権も米軍が持っていったために、その後の朝鮮建国準備委員会は朝鮮人民党へと変わり政党活動を主に行っていくようになります。
この朝鮮人民党というか呂運亨グループの特徴は右派からも左派からも幅広くメンバーを揃えて左右合作を唱えていた点にあるのですが、メンバーの全体的な構成では左派勢力が多かったと言われます。こうなった原因は私の推測ですが、日本の敗戦とともにそれまで囚われていた左派系の政治犯が解放されてこれと合流した事が大きいように思えます。
一方、右派系の独立運動家は朝鮮内よりも上海をはじめとした海外に数多くおり、日本の敗戦から徐々に戻ってきて韓国民主党(韓民党)を結成し、韓国の社会主義化を懸念する韓国財界からも支援を受けて勢力を拡大していきました。また米軍もアメリカでの政治活動経験のある李承晩を推し、彼と韓民党を結びつけて右派勢力の糾合、悪い言い方すると傀儡政権作りを本格化させていきました。
こうした中、韓国国内はもとより北朝鮮領域内の政治勢力との連合も模索していた呂運亨が暗殺されます。記録を見る限りこの呂運亨は穏健派の政治家だっただけにもう少し生きていればまた何か違ったような気もするのですが、彼の死によって韓国では右派勢力がますます力を伸ばし、逆に左派勢力への弾圧は徐々に強化されていきます。
この時期は韓国は北朝鮮に、北朝鮮は韓国で政治工作を活発に行っていましたが、そうした中で済州島では警官の発砲事件をきっかけにゼネストが発生し、これに対し右翼勢力や軍が介入して徹底的な社会主義者への弾圧が実行されます。この事件は済州島四・三事件と呼ばれていますが、島民の5人のうち1人、実に約6万人が虐殺されたそうでこの時の難から逃れるために日本へ渡ってきた在日朝鮮人の方も多かったそうです。この事件は本当につい最近になってようやく事実関係が明らかになってきた事件なのですが、恐らく韓国のほかの地域でもこれほど大きくなくても似たような事件が当時は多発していたと思います。
皮肉な言い方をすればこうした赤狩りの甲斐あってか韓国では米軍の支援の元で右派勢力が多数を占めるようになり、1948年に実施された総選挙を経て韓民党は多数派を占め、李承晩は初代大統領に選出されます。ただ朝鮮半島の南側で独立した政府が成立したことから北側との分断、いわば統一政府構想も破綻することとなりました。
そうまでして出来た政府ですが、設立当初は大統領の李承晩と議会が何度も対立するなど国家形成の面ではやや足踏み状態が続きます。一方、強大な権力で基盤を固めていた北朝鮮ではソ連の支援の元、 まさにこの時に 戦争準備を固めていたのでしょう。そういうわけで次回は、前半の山場に当たる朝鮮戦争を解説します。
韓国は1910年に日本によって併合されて植民地となっておりましたが、第二次世界大戦で日本が敗戦したことに合わせ名目上は独立を回復するに至りました。日本の敗戦後に朝鮮半島の処遇については既に米英ソをはじめとした連合国首脳の間で確認されており、米軍を中心とした連合軍が信託統治する方向で決まっていました。ただ日本がポツダム宣言を受諾する以前にソ連軍が単独で満州地域へ進軍していたことから、米ソの間で北緯38度線を境界に北側をソ連、南側を米が面倒を見ると言ってはなんですが分割して占領する方針が確認されました。
朝鮮半島にとって歴史的に本当に不幸だったのはこの時の分割統治においてほかならないでしょう。朝鮮半島内では1945年に入ってからは早くに日本の敗戦を見越し、朝鮮民族による統一した政府を起ち上げる準備も進められていたのですが、大国の思惑というか戦後の政策を巡って分割されたことによってこれらの統一政府構想は破綻することとなります。
話は韓国に焦点を絞ります。韓国、当時は南朝鮮は独立運動家の呂運亨らが敗戦前に知日派こと日本統治時代に官僚組織に属していたり、日本に留学を果たしていた同士らを集め朝鮮建国準備委員会を起ち上げておりました。朝鮮建国準備委員会は8月15日の日本敗戦の報を聞くや早速活動を開始し、月の明けた9月6日には朝鮮人民共和国の樹立を宣言するのですが、わずか5日後の9月11日に上陸した米軍からは正式な韓国政府として認められず施政権も米軍が持っていったために、その後の朝鮮建国準備委員会は朝鮮人民党へと変わり政党活動を主に行っていくようになります。
この朝鮮人民党というか呂運亨グループの特徴は右派からも左派からも幅広くメンバーを揃えて左右合作を唱えていた点にあるのですが、メンバーの全体的な構成では左派勢力が多かったと言われます。こうなった原因は私の推測ですが、日本の敗戦とともにそれまで囚われていた左派系の政治犯が解放されてこれと合流した事が大きいように思えます。
一方、右派系の独立運動家は朝鮮内よりも上海をはじめとした海外に数多くおり、日本の敗戦から徐々に戻ってきて韓国民主党(韓民党)を結成し、韓国の社会主義化を懸念する韓国財界からも支援を受けて勢力を拡大していきました。また米軍もアメリカでの政治活動経験のある李承晩を推し、彼と韓民党を結びつけて右派勢力の糾合、悪い言い方すると傀儡政権作りを本格化させていきました。
こうした中、韓国国内はもとより北朝鮮領域内の政治勢力との連合も模索していた呂運亨が暗殺されます。記録を見る限りこの呂運亨は穏健派の政治家だっただけにもう少し生きていればまた何か違ったような気もするのですが、彼の死によって韓国では右派勢力がますます力を伸ばし、逆に左派勢力への弾圧は徐々に強化されていきます。
この時期は韓国は北朝鮮に、北朝鮮は韓国で政治工作を活発に行っていましたが、そうした中で済州島では警官の発砲事件をきっかけにゼネストが発生し、これに対し右翼勢力や軍が介入して徹底的な社会主義者への弾圧が実行されます。この事件は済州島四・三事件と呼ばれていますが、島民の5人のうち1人、実に約6万人が虐殺されたそうでこの時の難から逃れるために日本へ渡ってきた在日朝鮮人の方も多かったそうです。この事件は本当につい最近になってようやく事実関係が明らかになってきた事件なのですが、恐らく韓国のほかの地域でもこれほど大きくなくても似たような事件が当時は多発していたと思います。
皮肉な言い方をすればこうした赤狩りの甲斐あってか韓国では米軍の支援の元で右派勢力が多数を占めるようになり、1948年に実施された総選挙を経て韓民党は多数派を占め、李承晩は初代大統領に選出されます。ただ朝鮮半島の南側で独立した政府が成立したことから北側との分断、いわば統一政府構想も破綻することとなりました。
そうまでして出来た政府ですが、設立当初は大統領の李承晩と議会が何度も対立するなど国家形成の面ではやや足踏み状態が続きます。一方、強大な権力で基盤を固めていた北朝鮮ではソ連の支援の元、 まさにこの時に 戦争準備を固めていたのでしょう。そういうわけで次回は、前半の山場に当たる朝鮮戦争を解説します。
5種類のカツラで結婚詐欺を繰り返した男
わざわざこんなのを記事化する理由はあるのかと思いつつ、「それでもあるのだ」と思うから記事化します。
・医師名乗り、薄毛にかつら…結婚詐欺容疑の47歳男追送検(産経新聞)
リンク先の記事によると、その捕まった47歳の詐欺師の男は5種類のカツラを使い分けながら5人の女性から計1330万円をだまし取ったそうです。騙す際には医師などと経歴を偽ったことはもとより年齢も30代半ばと名乗っていたそうなのですが、被害者が「30代にしては老け顔と思った」という証言がなんていうかいろいろ深く考えさせられます。
それにしても、こんだけカツラ被ったらモテるのかな?幸いというか中国人の理髪師に、「お前は毛髪量多いからハゲナイヨ」となんで髪切ってもらっている最中にそんなこと言われなきゃいけないんだろうと思う一言をかけられたことがありますが。
・医師名乗り、薄毛にかつら…結婚詐欺容疑の47歳男追送検(産経新聞)
リンク先の記事によると、その捕まった47歳の詐欺師の男は5種類のカツラを使い分けながら5人の女性から計1330万円をだまし取ったそうです。騙す際には医師などと経歴を偽ったことはもとより年齢も30代半ばと名乗っていたそうなのですが、被害者が「30代にしては老け顔と思った」という証言がなんていうかいろいろ深く考えさせられます。
それにしても、こんだけカツラ被ったらモテるのかな?幸いというか中国人の理髪師に、「お前は毛髪量多いからハゲナイヨ」となんで髪切ってもらっている最中にそんなこと言われなきゃいけないんだろうと思う一言をかけられたことがありますが。
2013年3月12日火曜日
モバイル向けゲーム会社2強に対する私の評価
私自身は購入したり遊んだりすることはないのですが、スマートフォンやタブレットPC向けゲームことモバイルゲームを利用している方は多いかと思います。私なんかはゲームときたらファミコン、スーパーファミコン、(セガサターン)、プレイステーション、プレイステーション2と数多くの据え置きゲームを渡り歩いてきた経験からかコントローラーのないゲームには抵抗感があるため手を出しませんが、人から話を聞いたりニュースで見ている限りだとモバイルゲームも新たな娯楽というかゲームの形態として認知されつつあるようです。
そんなモバイルゲームですが日本における開発会社ときたらディー・エヌ・エー(DeNA)とグリーの2社がトップ2強であることは周知の事実でしょう。2社とも売上高が近年急成長を続けておりますが、一時期に未成年者に対する高額請求問題が大きく取り上げられて経営に対する影響もあるのではと取り沙汰されたものの、その高成長ぶりを維持しているようです。
このモバイルゲーム開発会社ですが、先ほど挙げた高額請求問題、並びにコンプリートガチャ問題などで批判的な意見も多く出ております。私自身も自分が直接遊んだことがないこともあって一連の問題が取り上げられた際は正直に言ってあまりいい目を持っておりませんでしたが、変な話ですが中国で生活しているうちに段々と考えが変わっていきました。
アップルは国・地域別販売台数は発表してないですが、i-Phoneの販売台数は中国が世界で最大と言われているだけあって上海では持っている人、っていうか持ってない人を捜す方が大変なくらい普及しておりました。でもって i-Phoneを持っている人がどんなことにそれを使っているのかというと、地下鉄なんかに乗ってる時に見ていると電話とメール以外だとやっぱりゲームでした。
単純に考えてもスマートフォン、タブレットPCは今後もまだまだ普及していくことが予想されますし、普及台数が増えれば増えるほどモバイルゲーム市場も広がっていきます。また中国や韓国でもこの手のゲーム開発会社が急激に成長しており、世界的にも開発競争が過熱している感があります。
こうした状況においてやはり日本国内においても、世界で戦っていけるだけのモバイルゲーム開発会社を育成していく必要性をよく感じます。また開発競争を抜きにしても今の日本は投資先となる業種や企業が少ないだけに、数少ない成長分野であるだけに大事にと言っては変ですが批判ばかりして潰してはならない企業分野ではないかと考えるようになりました。
ただこんなことを言っておきながらですが、先程挙げた2強のうちグリーに対して私は未だに批判的な見方を持っております。何故かというと最大の要因はこちらも先ほど挙げた未成年者への高額請求が当局から一回注意されてもうしないとか言ってたのに、消費者から要求されるまでは返金手続きを取らなかったりとあまり反省した態度が見られないからです。
一方、DeNAに対しては対照的に好印象を持っております。好印象を持つようになった理由は複数あり、一つは去年末に廃部が決まっていたエスビー食品の陸上競技部をスタッフ、選手共に丸ごと受け入れたことからです。
・DeNA、陸上チーム創設のお知らせ エスビー食品陸上競技部スタッフ・選手の移籍(DeNA)
仮にDeNAが受け入れなければこの陸上部関係者は路頭に迷う状況だっただけに、総監督の瀬古利彦氏も会見で何度もお礼を言っておりましたが私も見ていて涙腺が少し緩みました。DeNAはこの前にも横浜ベイスターズを買収しているだけに、企業のスポーツ向け投資が先細る中で熱心さを強く感じます。
・【中国】海信電器とゲーム配信で提携、DeNA(NNA)
上記リンク先のニュースは昨年、DeNAが中国での提携事業を行うと発表したニュースですが、実はこのニュースは私も前の会社にいた時に取材しております。それ以前からもゲーム関連のリリースは全部自分の担当に回されていたので何度かDeNAの広報に電話していたのですが、はっきり言ってどれも対応が非常によかったです。こういう実体のないサービス事業の提携とか新規事業話っていうのは詳しく内容を聞かないと記事が書けないのですが、企業によっては担当者がサービスの中身をよく理解しておらず、取材してもしょうもない記事になってしまうことが多いのですが、DeNAの担当者に関してはそういうことは全くなく、わかりやすく説明してくれるので取材をしながらいつも好感を持っておりました。
なんていうか何も金もらってないくせにちょっとDeNAを持ち上げ過ぎかなとも思うのですが、グリーかDeNAかというのならば私としてはDeNAをモバイルゲーム業界における育成対象企業にすべきだと思います。逆にグリーに関してはあまり反省する態度がないのだし、最悪潰してしまった方が業界の改善につながるかなというくらいに評価しておりません。
無論、今後DeNAも何かしら企業倫理に反する行為を行った場合は遠慮なく批判するつもりです。そういうことなんかせず地道に頑張っていくことを陰ながら祈っているわけですが。
そんなモバイルゲームですが日本における開発会社ときたらディー・エヌ・エー(DeNA)とグリーの2社がトップ2強であることは周知の事実でしょう。2社とも売上高が近年急成長を続けておりますが、一時期に未成年者に対する高額請求問題が大きく取り上げられて経営に対する影響もあるのではと取り沙汰されたものの、その高成長ぶりを維持しているようです。
このモバイルゲーム開発会社ですが、先ほど挙げた高額請求問題、並びにコンプリートガチャ問題などで批判的な意見も多く出ております。私自身も自分が直接遊んだことがないこともあって一連の問題が取り上げられた際は正直に言ってあまりいい目を持っておりませんでしたが、変な話ですが中国で生活しているうちに段々と考えが変わっていきました。
アップルは国・地域別販売台数は発表してないですが、i-Phoneの販売台数は中国が世界で最大と言われているだけあって上海では持っている人、っていうか持ってない人を捜す方が大変なくらい普及しておりました。でもって i-Phoneを持っている人がどんなことにそれを使っているのかというと、地下鉄なんかに乗ってる時に見ていると電話とメール以外だとやっぱりゲームでした。
単純に考えてもスマートフォン、タブレットPCは今後もまだまだ普及していくことが予想されますし、普及台数が増えれば増えるほどモバイルゲーム市場も広がっていきます。また中国や韓国でもこの手のゲーム開発会社が急激に成長しており、世界的にも開発競争が過熱している感があります。
こうした状況においてやはり日本国内においても、世界で戦っていけるだけのモバイルゲーム開発会社を育成していく必要性をよく感じます。また開発競争を抜きにしても今の日本は投資先となる業種や企業が少ないだけに、数少ない成長分野であるだけに大事にと言っては変ですが批判ばかりして潰してはならない企業分野ではないかと考えるようになりました。
ただこんなことを言っておきながらですが、先程挙げた2強のうちグリーに対して私は未だに批判的な見方を持っております。何故かというと最大の要因はこちらも先ほど挙げた未成年者への高額請求が当局から一回注意されてもうしないとか言ってたのに、消費者から要求されるまでは返金手続きを取らなかったりとあまり反省した態度が見られないからです。
一方、DeNAに対しては対照的に好印象を持っております。好印象を持つようになった理由は複数あり、一つは去年末に廃部が決まっていたエスビー食品の陸上競技部をスタッフ、選手共に丸ごと受け入れたことからです。
・DeNA、陸上チーム創設のお知らせ エスビー食品陸上競技部スタッフ・選手の移籍(DeNA)
仮にDeNAが受け入れなければこの陸上部関係者は路頭に迷う状況だっただけに、総監督の瀬古利彦氏も会見で何度もお礼を言っておりましたが私も見ていて涙腺が少し緩みました。DeNAはこの前にも横浜ベイスターズを買収しているだけに、企業のスポーツ向け投資が先細る中で熱心さを強く感じます。
・【中国】海信電器とゲーム配信で提携、DeNA(NNA)
上記リンク先のニュースは昨年、DeNAが中国での提携事業を行うと発表したニュースですが、実はこのニュースは私も前の会社にいた時に取材しております。それ以前からもゲーム関連のリリースは全部自分の担当に回されていたので何度かDeNAの広報に電話していたのですが、はっきり言ってどれも対応が非常によかったです。こういう実体のないサービス事業の提携とか新規事業話っていうのは詳しく内容を聞かないと記事が書けないのですが、企業によっては担当者がサービスの中身をよく理解しておらず、取材してもしょうもない記事になってしまうことが多いのですが、DeNAの担当者に関してはそういうことは全くなく、わかりやすく説明してくれるので取材をしながらいつも好感を持っておりました。
なんていうか何も金もらってないくせにちょっとDeNAを持ち上げ過ぎかなとも思うのですが、グリーかDeNAかというのならば私としてはDeNAをモバイルゲーム業界における育成対象企業にすべきだと思います。逆にグリーに関してはあまり反省する態度がないのだし、最悪潰してしまった方が業界の改善につながるかなというくらいに評価しておりません。
無論、今後DeNAも何かしら企業倫理に反する行為を行った場合は遠慮なく批判するつもりです。そういうことなんかせず地道に頑張っていくことを陰ながら祈っているわけですが。
2013年3月11日月曜日
韓国の近現代史~その一、はじめに
本日からまたしばらくこのブログで連載記事の執筆に取り掛かろうと思います。今回取り掛かるテーマはタイトルにもある通りに韓国の近現代史で、二次大戦後の日本の植民地からの独立から現在の朴槿恵大統領に至るまでの通史をなるべく簡潔にまとめていこうと考えています。
今回連載をはじめようと思ったのはちょっと前にコメントでまた何か連載をはじめないのかとの書き込みがあったのがきっかけで、執筆するに当たっても現状は余裕がある状態だったのが決め手です。連載をはじめるに当たってどのテーマに手を付けようとしばらく考えていたのですが、中途半端なものにはしたくなかったから自分が比較的得意とする歴史物でなにかと照準を定め、当初は中国の明、または宋の通史が候補でした。
中国史であればリアルに中国人よりも詳しい自信あるし(実際に中国人にもそう言われた)さらっと書くなら現状の知識でも対応できると踏んではいたのですが、なんかそれだともったいないというか、せっかく勉強する余力もあるのだからまだ手を付けてないテーマの方がいいようにも思えてきました。そう考えている中、朝鮮というか韓国の歴史は今まであまり勉強してきて来なかったことを思い出し、今この時点で勉強することによって日中韓の東アジア三ヶ国の歴史を同時に語れるようになるのではと欲が芽生えました。仮にその範囲が近現代に留まるとしても自分が国際政治を見る上でいいツールになると判断し、最終的な決断へと至ったわけです。
この連載テーマについて相談した友人からは、「各方面から批判が来るかもよ」と軽い注意を受けましたが、そもそも日本において韓国史は特定の問題、具体的に挙げると竹島問題と従軍慰安婦問題に絡んで特定の部位にのみ説明されることが多く、全体を眺める通史が極端に不足しているように私は感じます。実際に今回の連載に当たって何か一つでもいいから資料に目を通そうとAmazonで検索をかけたところ、近現代の通史を解説する本は自分の想像以上に極端に少なかったです。逆に言うならば、だからこそブログなりなんなりで通史を解説する価値もあるように思え、前の「文化大革命とは」の連載ほどまで行かなくともそれなりに面白い連載になるような気がします。
先に今回使う、というより自分が買った資料を紹介すると、文京洙氏の著書の「韓国現代史」(岩波新書)です。近現代の通史を取り扱っている本がタイトルを見る限りこれしか見つからなかったので買いました(今日Amazonから届いた)が、厳しいことを言わせてもらうと必ずしもタイトルと内容が一致する本ではありませんでした。一応は独立から盧武鉉政権まで解説がありますが、その大半は韓国全体の近現代史というよりも光州事件をはじめとする済州島、全羅南道地域における市民らの政治闘争史の解説で占められております。はっきり言えばタイトルと内容が一致しておらず、勝手な推測ながら言わせてもらうと筆者が書きたかったテーマと編集者が意図していたテーマが一致せず、いわばコミュニケーション不足が原因でこんな本になったんじゃないかと邪推しております。
特に編集者の方に対して強く言わせてもらうと、本の中盤ではベトナム戦争のことを「インドシナ戦争」と表記してあるのに後半では「ベトナム戦争」という表記になっていたりと、用語の統一すらおぼついておりません。それだけにさきほどのコミュニケーション不足を強く疑わざるを得ません。
以上のような本であることから、当初は引用するのだしAmazonのアフィリエイト広告でも貼り付けようかと考えておりましたが、韓国近現代史の解説本としてはちょっと紹介しづらいので見送ります。実際に政治上で結構重要な事件とかがさらりと流されたり、紹介されてなかったりするし。
そんなわけでまた今度から連載を始めていくので、興味のある方はどうかご覧ください。方向性としては竹島とか従軍慰安婦とか面倒な話はほかでもたくさん解説サイトがあるので無視し、韓国国内の政治の動きと現在の朴槿恵政権にどう繋がっていくかに焦点を絞っていく予定です。
今回連載をはじめようと思ったのはちょっと前にコメントでまた何か連載をはじめないのかとの書き込みがあったのがきっかけで、執筆するに当たっても現状は余裕がある状態だったのが決め手です。連載をはじめるに当たってどのテーマに手を付けようとしばらく考えていたのですが、中途半端なものにはしたくなかったから自分が比較的得意とする歴史物でなにかと照準を定め、当初は中国の明、または宋の通史が候補でした。
中国史であればリアルに中国人よりも詳しい自信あるし(実際に中国人にもそう言われた)さらっと書くなら現状の知識でも対応できると踏んではいたのですが、なんかそれだともったいないというか、せっかく勉強する余力もあるのだからまだ手を付けてないテーマの方がいいようにも思えてきました。そう考えている中、朝鮮というか韓国の歴史は今まであまり勉強してきて来なかったことを思い出し、今この時点で勉強することによって日中韓の東アジア三ヶ国の歴史を同時に語れるようになるのではと欲が芽生えました。仮にその範囲が近現代に留まるとしても自分が国際政治を見る上でいいツールになると判断し、最終的な決断へと至ったわけです。
この連載テーマについて相談した友人からは、「各方面から批判が来るかもよ」と軽い注意を受けましたが、そもそも日本において韓国史は特定の問題、具体的に挙げると竹島問題と従軍慰安婦問題に絡んで特定の部位にのみ説明されることが多く、全体を眺める通史が極端に不足しているように私は感じます。実際に今回の連載に当たって何か一つでもいいから資料に目を通そうとAmazonで検索をかけたところ、近現代の通史を解説する本は自分の想像以上に極端に少なかったです。逆に言うならば、だからこそブログなりなんなりで通史を解説する価値もあるように思え、前の「文化大革命とは」の連載ほどまで行かなくともそれなりに面白い連載になるような気がします。
先に今回使う、というより自分が買った資料を紹介すると、文京洙氏の著書の「韓国現代史」(岩波新書)です。近現代の通史を取り扱っている本がタイトルを見る限りこれしか見つからなかったので買いました(今日Amazonから届いた)が、厳しいことを言わせてもらうと必ずしもタイトルと内容が一致する本ではありませんでした。一応は独立から盧武鉉政権まで解説がありますが、その大半は韓国全体の近現代史というよりも光州事件をはじめとする済州島、全羅南道地域における市民らの政治闘争史の解説で占められております。はっきり言えばタイトルと内容が一致しておらず、勝手な推測ながら言わせてもらうと筆者が書きたかったテーマと編集者が意図していたテーマが一致せず、いわばコミュニケーション不足が原因でこんな本になったんじゃないかと邪推しております。
特に編集者の方に対して強く言わせてもらうと、本の中盤ではベトナム戦争のことを「インドシナ戦争」と表記してあるのに後半では「ベトナム戦争」という表記になっていたりと、用語の統一すらおぼついておりません。それだけにさきほどのコミュニケーション不足を強く疑わざるを得ません。
以上のような本であることから、当初は引用するのだしAmazonのアフィリエイト広告でも貼り付けようかと考えておりましたが、韓国近現代史の解説本としてはちょっと紹介しづらいので見送ります。実際に政治上で結構重要な事件とかがさらりと流されたり、紹介されてなかったりするし。
そんなわけでまた今度から連載を始めていくので、興味のある方はどうかご覧ください。方向性としては竹島とか従軍慰安婦とか面倒な話はほかでもたくさん解説サイトがあるので無視し、韓国国内の政治の動きと現在の朴槿恵政権にどう繋がっていくかに焦点を絞っていく予定です。
2013年3月10日日曜日
大学の統廃合について
今日は国公立大学の前期試験の合格発表日だったらしいのですが、なんでも今年の東大文Ⅰは志願者数が少なかったためにセンター試験の結果による足切りが行われなかったそうです。近年は手の届きやすい大学に志望が集まる傾向があることから東大が敬遠された結果とも言えますが、それと共に少子化による影響も見逃せないでしょう。確かセンター試験の受験者数もこのところは年々減少していると言いますし。
そんな受験者数が減る時代、個人的に大学教育で進めるべき改革は統廃合ではないかと思います。既に定員割れを起こしているFランク大学は数多く存在しておりますし、より学生数を絞り重点的な教育が行えるよう大学数を減らすことは私が主張するまでもなく重要です。ただ大学を減らすことによって弊害ももちろん生まれ、真っ先に思い付くのは大学教員のさらなる募集減少です。現状でも理系のポストドクターが仕官(就職)先もないまま不安定な立場に置かれていると言いますし、文系でも研究者を目指す立場の方々には逆風となるでしょう。更に言えば、廃校になる大学の教員なんかその次の日から職がなくなるからもっと深刻でしょう。
だからといって統廃合をためらう必要はないでしょう。大学の統廃合を進めることによって一行当たりの学生数を増やすことで大学経営に当たっての資金問題も改善が期待できますし、また多くの学部・学科の学生が同じ学内で学ぶことによって得る経験も少なくないように思えます。
最後に一つ雑談を入れますが、昨日にうちの親父から大学に戻る気はないかと問われました。私自身は勉強自体は好きですがあの大学のアカデミックな雰囲気というか、やんちゃしちゃいけない空気はどうにも好きになれずに研究者とかそういったものには一切憧れたことがないので「お断りだっ( ゚Д゚)」と拒否しました。大学生時代の恩師からも、「君からそう言う話が全く出てこないのが不思議に思ってた」と言われてましたが。
そんな受験者数が減る時代、個人的に大学教育で進めるべき改革は統廃合ではないかと思います。既に定員割れを起こしているFランク大学は数多く存在しておりますし、より学生数を絞り重点的な教育が行えるよう大学数を減らすことは私が主張するまでもなく重要です。ただ大学を減らすことによって弊害ももちろん生まれ、真っ先に思い付くのは大学教員のさらなる募集減少です。現状でも理系のポストドクターが仕官(就職)先もないまま不安定な立場に置かれていると言いますし、文系でも研究者を目指す立場の方々には逆風となるでしょう。更に言えば、廃校になる大学の教員なんかその次の日から職がなくなるからもっと深刻でしょう。
だからといって統廃合をためらう必要はないでしょう。大学の統廃合を進めることによって一行当たりの学生数を増やすことで大学経営に当たっての資金問題も改善が期待できますし、また多くの学部・学科の学生が同じ学内で学ぶことによって得る経験も少なくないように思えます。
最後に一つ雑談を入れますが、昨日にうちの親父から大学に戻る気はないかと問われました。私自身は勉強自体は好きですがあの大学のアカデミックな雰囲気というか、やんちゃしちゃいけない空気はどうにも好きになれずに研究者とかそういったものには一切憧れたことがないので「お断りだっ( ゚Д゚)」と拒否しました。大学生時代の恩師からも、「君からそう言う話が全く出てこないのが不思議に思ってた」と言われてましたが。
2013年3月9日土曜日
マンガレビュー「極黒のブリュンヒルデ」
かなり久々の漫画レビューです。今回からアフィリエイト広告も貼っておりますが基本的に自分の読んだものしか貼るつもりがないので、興味がある人はクリックしてくれたら幸いです。そんな今回紹介するのは、自分が日本に帰ってきて真っ先に買った、岡本倫氏が現在ヤングジャンプで連載している「極黒のブリュンヒルデ」というマンガです。
このマンガのあらすじを簡単に話すと、幼い頃に幼馴染の女の子を事故で失った高校生の少年のクラスにある日、幼馴染そっくりの少女が転校してきます。その少女は自らのことを魔女だと称して現実に非科学的な能力を主人公に見せる一方、毎日薬を飲まなければ24時間後に死ぬ体だと明かします。しかも研究所から脱走してきたため薬はあとわずかで切れてしまうと話し、主人公は幼馴染とその少女を重ねつつ、なんとか生き残る道を探る……というのが一巻の主な筋立てです。
これだけ書くとよくありがちなSF漫画の筋書きに見えますが、一番肝心なのはこの漫画を描いているのはほかならぬあの岡本倫氏であるということです。知っている人には早いですがこの人の代表作は「エルフェンリート」という漫画で、アニメ化もされて日本国内よりも海外の方がよく知られています。この作品がどういう意味ですごいかというと一見すると美少女が表紙を飾ってて萌え漫画にしか見えないのですがその実、中身は日本の漫画史上でも屈指のえげつなさを誇り、容赦なく登場人物が次々と死にます。さも重要そうに出てきたキャラクターが次のページでは首が飛んでたりすることが誇張ではなく頻繁にあり、一説では「HUNTER×HUNTER」の作者の冨樫義博氏がこの漫画を読んで影響されたのか、自分の漫画でも首チョンパのシーンを増やしたとまで言われております。
自分はエルフェンリートも読んでいますが、初めて読み終えた時は感動というより一体この作者はなんなんだという恐ろしさの方が大きかったです。岡本氏の次回作である「ノノノノ」はスキージャンプをテーマにした漫画で前作にあったグロテスクさは陰をひそめましたが、相変わらず読者の予想を裏切る展開で個人的に非常に気に入っている作品です。生憎というか途中で打ち切りを食らって連載を終了してしまいましたが……。
話は最新作「極黒のブリュンヒルデ」に戻りますが、作者曰く「エルフェンリートのようなノリを読者は求めていると友人に言われた」と書いており、はっきり言ってその通りというか、あの有り得ない展開の運びと共に遠慮容赦のないグロテスクさが見事復活しております。第一巻からぶっ飛んでるというか、幼馴染が事故で死ぬシーン(ダムの水門から小学生二人が真っ逆さまに落ちる)の情景とか、よくこんな絵を書いて載せてくるなと読んでて冷や汗を感じましたが、一番ビビったのはこの前出たばかりの四巻です。詳しくはネタバレになるのですがある重要なキャラクターが死ぬシーンを見てはっきりと、「この作者は狂ってる」と冗談抜きで思いました。
以上のような内容からこのマンガは大衆受けするものではないと思う一方、単純にストーリーで魅せるマンガというならその異彩ぶりは群を抜いていると言えます。そんなわけで一応広告貼り付けておきますが、グロテスクなのが苦手な人は見ない方がいいでしょう。
それにしても、なんだかんだ言って自分はこの人のマンガをちゃんと全部読んでるなぁ。
このマンガのあらすじを簡単に話すと、幼い頃に幼馴染の女の子を事故で失った高校生の少年のクラスにある日、幼馴染そっくりの少女が転校してきます。その少女は自らのことを魔女だと称して現実に非科学的な能力を主人公に見せる一方、毎日薬を飲まなければ24時間後に死ぬ体だと明かします。しかも研究所から脱走してきたため薬はあとわずかで切れてしまうと話し、主人公は幼馴染とその少女を重ねつつ、なんとか生き残る道を探る……というのが一巻の主な筋立てです。
これだけ書くとよくありがちなSF漫画の筋書きに見えますが、一番肝心なのはこの漫画を描いているのはほかならぬあの岡本倫氏であるということです。知っている人には早いですがこの人の代表作は「エルフェンリート」という漫画で、アニメ化もされて日本国内よりも海外の方がよく知られています。この作品がどういう意味ですごいかというと一見すると美少女が表紙を飾ってて萌え漫画にしか見えないのですがその実、中身は日本の漫画史上でも屈指のえげつなさを誇り、容赦なく登場人物が次々と死にます。さも重要そうに出てきたキャラクターが次のページでは首が飛んでたりすることが誇張ではなく頻繁にあり、一説では「HUNTER×HUNTER」の作者の冨樫義博氏がこの漫画を読んで影響されたのか、自分の漫画でも首チョンパのシーンを増やしたとまで言われております。
自分はエルフェンリートも読んでいますが、初めて読み終えた時は感動というより一体この作者はなんなんだという恐ろしさの方が大きかったです。岡本氏の次回作である「ノノノノ」はスキージャンプをテーマにした漫画で前作にあったグロテスクさは陰をひそめましたが、相変わらず読者の予想を裏切る展開で個人的に非常に気に入っている作品です。生憎というか途中で打ち切りを食らって連載を終了してしまいましたが……。
話は最新作「極黒のブリュンヒルデ」に戻りますが、作者曰く「エルフェンリートのようなノリを読者は求めていると友人に言われた」と書いており、はっきり言ってその通りというか、あの有り得ない展開の運びと共に遠慮容赦のないグロテスクさが見事復活しております。第一巻からぶっ飛んでるというか、幼馴染が事故で死ぬシーン(ダムの水門から小学生二人が真っ逆さまに落ちる)の情景とか、よくこんな絵を書いて載せてくるなと読んでて冷や汗を感じましたが、一番ビビったのはこの前出たばかりの四巻です。詳しくはネタバレになるのですがある重要なキャラクターが死ぬシーンを見てはっきりと、「この作者は狂ってる」と冗談抜きで思いました。
以上のような内容からこのマンガは大衆受けするものではないと思う一方、単純にストーリーで魅せるマンガというならその異彩ぶりは群を抜いていると言えます。そんなわけで一応広告貼り付けておきますが、グロテスクなのが苦手な人は見ない方がいいでしょう。
それにしても、なんだかんだ言って自分はこの人のマンガをちゃんと全部読んでるなぁ。
TPP交渉の先行き予想
日本にいるといろいろ情報が手に取りやすいので時事問題も語りやすいです。そういうわけで今回は国論を見事に二つに分けているTPP交渉の先行きについて私なりの予想を紹介いたしましょう。前もって断っておくと、私はTPP参加賛成派です。
まずTPP交渉に日本が参加するか否かと言ったら、安倍政権は間違いなく交渉参加を決断するでしょう。施政方針演説でも事実上参加するようなことを言ってましたし、この前のオバマ大統領との会談でもこの点について双方がそれぞれ話をしてきたかと思います。またこれが一番重要というか、安倍首相の周りにいわゆる農水族こと国内農業を保護するべきという思想の議員がほとんどいません。強いてあげるとしたら石破茂氏ですが、彼自身は農水族でこの方面の政策に詳しいもののTPP交渉には前向きな姿勢を持っているだけに、JAが期待するような反対行動はとらないと思えます。
では交渉参加となると日本側はどういう風な姿勢で臨むのか。やはり国内のJAを中心とした団体向けに国内農業保護こと農産物への高関税維持の例外を米国に対して求めていくでしょう。
私個人としては日本の農業をダメにしたのはまさにJA自身と旧来の自民党であるために守るに値しないと考えており、輸出できるような高付加価値作物を作っているJAの枠外で活躍する一部の農家の方々はTPP賛成を打ち出していることからこの際気にしないでいいと思います。ただ自民党にとっては票田ですし、一応パフォーマンスとして農業を守る交渉をしていくことが安倍政権に求められるでしょう。
ただ高関税維持を主張するにしても、要求するだけでは相手こと米国は動きません。農業の高関税を維持するために日本側は何を差し出すのか、何を妥協するのかですが、一番可能性があると私がにらんでいるのは米国の自動車関税です。米国の自動車団体は既に日本をTPPに参加させることに対して反対運動を展開しており、米国側の自動車関税を例外として日本は認めるというのであれば米国としてもカッコがつきやすいように思えます。
でもそれでは日本は自動車を米国に売ることが出来ず旨味がないのでは。そう考える人も多いでしょうが実は現時点で米国の自動車輸入関税は極端に低い水準にあり、自動車関税が現状を維持したところで販売面では何も障害がありません。更に大手日系自動車メーカーはほとんどが米国内に工場を持っており、円高は多少は影響するもののそもそも関税が影響することはないのです。唯一というかトラックなど大型商用車に対してはやや高い関税率が設置されているのですが、この点についてはあきらめるしかないでしょう。
以上のような観点からすれば、日本は自動車で妥協し、米国は一部農産物で妥協する、といった交渉に持っていくことが私の考える中でベストです。これだと日本は得する面が多く、国内の世論もまとめやすい気がするのですが、それでも米国としては関税を維持させる代わりに現状からの引き下げを求めてくる可能性が高いです。それをどの辺で落とすか、多分こんな交渉になるんだと思います。
補足
ちょっと前にNHKの昔の映像特集で、日米貿易摩擦時の映像を見ることがありました。その映像ではデトロイトの市民が日本車をストリートファイター2のボーナスステージみたいに、鉄パイプでガンガン叩いて壊したりひっくり返したりしていて、なんていうかこの前の中国の反日デモみたいな映像が流れてました。時代が変われば所も変わるもんだとしみじみ感じます。
まずTPP交渉に日本が参加するか否かと言ったら、安倍政権は間違いなく交渉参加を決断するでしょう。施政方針演説でも事実上参加するようなことを言ってましたし、この前のオバマ大統領との会談でもこの点について双方がそれぞれ話をしてきたかと思います。またこれが一番重要というか、安倍首相の周りにいわゆる農水族こと国内農業を保護するべきという思想の議員がほとんどいません。強いてあげるとしたら石破茂氏ですが、彼自身は農水族でこの方面の政策に詳しいもののTPP交渉には前向きな姿勢を持っているだけに、JAが期待するような反対行動はとらないと思えます。
では交渉参加となると日本側はどういう風な姿勢で臨むのか。やはり国内のJAを中心とした団体向けに国内農業保護こと農産物への高関税維持の例外を米国に対して求めていくでしょう。
私個人としては日本の農業をダメにしたのはまさにJA自身と旧来の自民党であるために守るに値しないと考えており、輸出できるような高付加価値作物を作っているJAの枠外で活躍する一部の農家の方々はTPP賛成を打ち出していることからこの際気にしないでいいと思います。ただ自民党にとっては票田ですし、一応パフォーマンスとして農業を守る交渉をしていくことが安倍政権に求められるでしょう。
ただ高関税維持を主張するにしても、要求するだけでは相手こと米国は動きません。農業の高関税を維持するために日本側は何を差し出すのか、何を妥協するのかですが、一番可能性があると私がにらんでいるのは米国の自動車関税です。米国の自動車団体は既に日本をTPPに参加させることに対して反対運動を展開しており、米国側の自動車関税を例外として日本は認めるというのであれば米国としてもカッコがつきやすいように思えます。
でもそれでは日本は自動車を米国に売ることが出来ず旨味がないのでは。そう考える人も多いでしょうが実は現時点で米国の自動車輸入関税は極端に低い水準にあり、自動車関税が現状を維持したところで販売面では何も障害がありません。更に大手日系自動車メーカーはほとんどが米国内に工場を持っており、円高は多少は影響するもののそもそも関税が影響することはないのです。唯一というかトラックなど大型商用車に対してはやや高い関税率が設置されているのですが、この点についてはあきらめるしかないでしょう。
以上のような観点からすれば、日本は自動車で妥協し、米国は一部農産物で妥協する、といった交渉に持っていくことが私の考える中でベストです。これだと日本は得する面が多く、国内の世論もまとめやすい気がするのですが、それでも米国としては関税を維持させる代わりに現状からの引き下げを求めてくる可能性が高いです。それをどの辺で落とすか、多分こんな交渉になるんだと思います。
補足
ちょっと前にNHKの昔の映像特集で、日米貿易摩擦時の映像を見ることがありました。その映像ではデトロイトの市民が日本車をストリートファイター2のボーナスステージみたいに、鉄パイプでガンガン叩いて壊したりひっくり返したりしていて、なんていうかこの前の中国の反日デモみたいな映像が流れてました。時代が変われば所も変わるもんだとしみじみ感じます。
2013年3月8日金曜日
中国で働くには
大分以前にも同じ内容で記事を書いておりますが、中国での転職を考えている人にとって有益な情報を出せるのではないかと思うので、改めて注意事項などを加えて書くことにします。
まず中国での働き方というか雇用方法は二種類あり、一つは企業に日本で採用されて中国法人に派遣される駐在方式、もう一つは現地の中国法人か中国企業に直接雇用される現地採用方式です。
どっちがいいかと言ったら言うまでもなく駐在方式で、給与は日本水準であるだけでなく会社によっては家賃補助、果てには駐在手当なども手厚く出ます。ただ駐在方式は基本的に「元からいる従業員」に充てられるため、転職してこの方式で中国に送ってもらうには以前に実績でもないとあまり可能性はないでしょう。
一方、我らが現地採用方式では給与は中国水準。私が転職した頃などは初任月給8000元(1元=14円で換算したら12万円)がベースとなっており、これより高いか安いかが交渉材料となっておりましたが、現在もあまり変わってないように思えます。でもって家賃補助、駐在手当なんておいしいものはまずなくて、海外保険も自己負担であるケースが多く、あるとしたら年に一回だけ日本への一時帰国チケットを会社が負担してくれるくらいです。ただ給与が安い分、現地採用方式は募集数が多いので希望の職種が見つけやすいという利点と、単純に中国で仕事してみたいならまず確実に入り込むことが出来ます。言うまでもないですが、私の雇用形態はこの現地採用方式でした。
では具体的に、どうすれば中国での仕事をGETできるのか。駐在方式であれば日本の転職サイトで探すほかありませんが、現地採用方式であれば現地の人材紹介会社に登録するのが近道です。現在、中国各地では既に日系を含む人材紹介会社が多数進出しており、「中国 転職」とでも検索すればたくさんヒットするので、複数の会社に登録すれば何かしら当たるでしょう。たまに別々の人材会社から同じ会社の紹介が来るのが鬱陶しいですが。
紹介を受けた後、面接は基本的に現地で行います。ごく少数ではありますが日本の本社で面接して現地採用として中国に送る会社もありますが、いろんな会社を受けたいというのであれば、あらかじめ面接日程を組んだ上で中国に渡航するといいでしょう。中国に渡航する場合、滞在日数が15日以内であればノービザでOKですが、これ以上となる場合はビザが必要となるので観光ビザを申請・取得する必要があります。
ただこうやって実際に中国での仕事を求めて転職活動をする前に、いくつか確認すべき注意点があります。一つは、言うまでもないですけど具体的なビジョン。もう一つは日本での正社員での勤続年数です。
昔は違ったのですが、中国も増え続ける外国人労働者によって国内の雇用が減少する恐れから労働ビザ(Zビザ)を発行するに当たりいろいろと条件を出すようになってきております。具体的には、
1、中国語の会話能力があるのか
2、四年制大学を卒業しているか
3、特定の仕事を行える技術・知識を有するか
このうち最初の中国語の会話能力はあまり突っ込まれることはありませんが、2番目はビザ申請時に卒業証書の提出がほぼ義務付けられます。そして3番目の点ですがこれが一番重要で、はっきりと書けば日本で正社員として2年間働いた実務経験がないとほぼ突っぱねられます。会社の総務によっては2年間でなくても力技(コネ)で無理矢理にZビザを発給させてのけますが、2年間の経験があるかないかは中国での転職に当たって非常に重要です。そのため過去に実務経験があるなら話は別ですが、中国での留学を終えてそのまま現地で就職みたいな話は現実にはあまりありません。今現在、日本では新卒で正社員となることが難しい時代ですが、だからと言っていきなり中国に行ってもZビザは発給され辛いので気を付ける必要があります。
最後に自分のケースについて少し感傷を入れて話しますが、別に隠してたわけじゃないですが中国に渡った時の年齢は26歳でした。日本での正社員経験は2年半あり、四大を卒業してなおかつ中国での1年の留学経験もあったことからZビザ発給では何も障害はありませんでした。
中国に渡った当初、中には新卒で駐在や出張で来ている人間もいるのだろうし26歳という年齢では出遅れたという劣等感があったのですが、いざ実際に渡ってみると20代で中国で働いている日本人は思ったよりいませんでした。大学の校友会でも最年少の部類に入っていましたし、やはり来ている日本人のメインは40歳前後で30代前半も多いとは言えません。おまけに仕事で取材に赴くと、やっぱり若いことから「どういう経緯で来たの?」と質問される回数も多かった気がします。
周囲から言われている間はそれほど気にしなかったものの自分が上から見下ろす立場というか、同じ会社に26歳の後輩が入ってきてからは「こんな若くて頼りなさそうのに大丈夫なのか(;゚Д゚)」と思うようになり、おいおいお前もその年齢で中国に来たんじゃねぇかと自分でツッコミ入れるようになりました。
ややまとまりのない締め方ですが、これから中国での転職を考える人に言いたいのは「必要以上に焦る必要はない」という一点です。30代になってから来るのであっても決して遅いわけじゃないのですから、自分みたいに色んなものを犠牲にしてくることはないと言いたいです。海外にいた結果、自分も祖母の葬式には行けませんでしたし、両親の死に目に間に合わなかった人もたくさん見ています。あらゆることを考慮した上で、海外転職は考えるべきでしょう。
まず中国での働き方というか雇用方法は二種類あり、一つは企業に日本で採用されて中国法人に派遣される駐在方式、もう一つは現地の中国法人か中国企業に直接雇用される現地採用方式です。
どっちがいいかと言ったら言うまでもなく駐在方式で、給与は日本水準であるだけでなく会社によっては家賃補助、果てには駐在手当なども手厚く出ます。ただ駐在方式は基本的に「元からいる従業員」に充てられるため、転職してこの方式で中国に送ってもらうには以前に実績でもないとあまり可能性はないでしょう。
一方、我らが現地採用方式では給与は中国水準。私が転職した頃などは初任月給8000元(1元=14円で換算したら12万円)がベースとなっており、これより高いか安いかが交渉材料となっておりましたが、現在もあまり変わってないように思えます。でもって家賃補助、駐在手当なんておいしいものはまずなくて、海外保険も自己負担であるケースが多く、あるとしたら年に一回だけ日本への一時帰国チケットを会社が負担してくれるくらいです。ただ給与が安い分、現地採用方式は募集数が多いので希望の職種が見つけやすいという利点と、単純に中国で仕事してみたいならまず確実に入り込むことが出来ます。言うまでもないですが、私の雇用形態はこの現地採用方式でした。
では具体的に、どうすれば中国での仕事をGETできるのか。駐在方式であれば日本の転職サイトで探すほかありませんが、現地採用方式であれば現地の人材紹介会社に登録するのが近道です。現在、中国各地では既に日系を含む人材紹介会社が多数進出しており、「中国 転職」とでも検索すればたくさんヒットするので、複数の会社に登録すれば何かしら当たるでしょう。たまに別々の人材会社から同じ会社の紹介が来るのが鬱陶しいですが。
紹介を受けた後、面接は基本的に現地で行います。ごく少数ではありますが日本の本社で面接して現地採用として中国に送る会社もありますが、いろんな会社を受けたいというのであれば、あらかじめ面接日程を組んだ上で中国に渡航するといいでしょう。中国に渡航する場合、滞在日数が15日以内であればノービザでOKですが、これ以上となる場合はビザが必要となるので観光ビザを申請・取得する必要があります。
ただこうやって実際に中国での仕事を求めて転職活動をする前に、いくつか確認すべき注意点があります。一つは、言うまでもないですけど具体的なビジョン。もう一つは日本での正社員での勤続年数です。
昔は違ったのですが、中国も増え続ける外国人労働者によって国内の雇用が減少する恐れから労働ビザ(Zビザ)を発行するに当たりいろいろと条件を出すようになってきております。具体的には、
1、中国語の会話能力があるのか
2、四年制大学を卒業しているか
3、特定の仕事を行える技術・知識を有するか
このうち最初の中国語の会話能力はあまり突っ込まれることはありませんが、2番目はビザ申請時に卒業証書の提出がほぼ義務付けられます。そして3番目の点ですがこれが一番重要で、はっきりと書けば日本で正社員として2年間働いた実務経験がないとほぼ突っぱねられます。会社の総務によっては2年間でなくても力技(コネ)で無理矢理にZビザを発給させてのけますが、2年間の経験があるかないかは中国での転職に当たって非常に重要です。そのため過去に実務経験があるなら話は別ですが、中国での留学を終えてそのまま現地で就職みたいな話は現実にはあまりありません。今現在、日本では新卒で正社員となることが難しい時代ですが、だからと言っていきなり中国に行ってもZビザは発給され辛いので気を付ける必要があります。
最後に自分のケースについて少し感傷を入れて話しますが、別に隠してたわけじゃないですが中国に渡った時の年齢は26歳でした。日本での正社員経験は2年半あり、四大を卒業してなおかつ中国での1年の留学経験もあったことからZビザ発給では何も障害はありませんでした。
中国に渡った当初、中には新卒で駐在や出張で来ている人間もいるのだろうし26歳という年齢では出遅れたという劣等感があったのですが、いざ実際に渡ってみると20代で中国で働いている日本人は思ったよりいませんでした。大学の校友会でも最年少の部類に入っていましたし、やはり来ている日本人のメインは40歳前後で30代前半も多いとは言えません。おまけに仕事で取材に赴くと、やっぱり若いことから「どういう経緯で来たの?」と質問される回数も多かった気がします。
周囲から言われている間はそれほど気にしなかったものの自分が上から見下ろす立場というか、同じ会社に26歳の後輩が入ってきてからは「こんな若くて頼りなさそうのに大丈夫なのか(;゚Д゚)」と思うようになり、おいおいお前もその年齢で中国に来たんじゃねぇかと自分でツッコミ入れるようになりました。
ややまとまりのない締め方ですが、これから中国での転職を考える人に言いたいのは「必要以上に焦る必要はない」という一点です。30代になってから来るのであっても決して遅いわけじゃないのですから、自分みたいに色んなものを犠牲にしてくることはないと言いたいです。海外にいた結果、自分も祖母の葬式には行けませんでしたし、両親の死に目に間に合わなかった人もたくさん見ています。あらゆることを考慮した上で、海外転職は考えるべきでしょう。
2013年3月7日木曜日
北朝鮮の休戦協定白紙化宣言について
友人から直々にリクエストが来たので本日は北朝鮮が5日に発表した、朝鮮戦争の休戦協定を白紙化するという宣言について自分の意見を紹介します。発表当日の5日から少し時間が経っていますが、元々このブログはワンテンポ遅れてからじっくり解説するのがスタイルですし、そういう意味ではいいタイミングです。
まずこの休戦協定ですが、この場合の北朝鮮のカウンターパートは米国と韓国です。そもそもこの白紙化発言は北朝鮮側の言い分によると、米韓の合同軍事演習に抗議するためだとしており、期日は今月11日以降、つまり今度の月曜日以降となります。
期日に関してはどうして11日を選んだのかはわかりかねますが、休戦協定の白紙化というかなり踏み込んだ行為に出てきたのは米韓の合同軍事演習だけが原因ではないでしょう。そもそも合同軍事演習自体はこれまでも何度も行われているだけに別の何か、具体的にはやはり前回に強行した核実験とそれに伴って国連で採択された制裁強化により態度を硬化したためではないかと思います。
では白紙化されることによってどんなことが起こるかですが、現時点ではまだ何とも言えません。仮説をいくつか挙げると、いつもの様な瀬戸際外交よろしくより危機感を煽って交渉で譲歩を引き出す戦略なのか、続けての核実験を強行するのか、はたまた嫌がらせにまた韓国の領土や艦船に遠距離射撃を実施してくるのか。もちろん、一番いいのは何も起こらないことですが。
それにしても休戦協定の白紙化とは随分と踏み込んだ内容のように思えます。ただ日本としては既に行えるだけの制裁をやり尽くしている感があるだけに特に新たな対策はほぼありません。一方、国連の安保理ではこれまで何度も北朝鮮をかばってきた中国の外務省に当たる外交部がかなり早い段階で制裁決議に同調すると発表しています。
・外交部:朝鲜半岛应以和平机制取代停战机制(北京晨報)
自分のバックグラウンドもあるためやや中国に沿った解説となりますが、やはり今回のこの行動は中国側も相当怒り心頭に来ているように思えます。というのも中国では今週から日本の国会に当たる年に一回の全人代が開催され、習近平体制も今回の国家役職任命を経て正式にスタートするわけです。そんな晴れの舞台、しかもやや緊張した状況下でほぼ間違いなく確信犯で北朝鮮がこんな宣言をしてきたことに対し、中国政府内でも反感が芽生えているのかもしれません。
もっとも、反感という意味では北朝鮮でも同じかもしれません。というのも金正日政権の頃は中国に対して警戒をするものの一定の譲歩というか気遣いはありました。しかし金正恩政権になってからは中国に対する意識はほとんど見られず、まさに傍若無人な行為ばかりが目立つようになってきました。
だからといって中国は北朝鮮に対する軍事制裁に同調するかと言ったら、さすがにそれは望まないでしょう。それは米国、韓国、ひいては日本も同様で、各国の思考としては如何に難民を流出させず資本主義化させるかの一点に尽きます。それにしても、中国が北朝鮮を資本主義化させたいっていうのもなんだか妙な言い方です。
まずこの休戦協定ですが、この場合の北朝鮮のカウンターパートは米国と韓国です。そもそもこの白紙化発言は北朝鮮側の言い分によると、米韓の合同軍事演習に抗議するためだとしており、期日は今月11日以降、つまり今度の月曜日以降となります。
期日に関してはどうして11日を選んだのかはわかりかねますが、休戦協定の白紙化というかなり踏み込んだ行為に出てきたのは米韓の合同軍事演習だけが原因ではないでしょう。そもそも合同軍事演習自体はこれまでも何度も行われているだけに別の何か、具体的にはやはり前回に強行した核実験とそれに伴って国連で採択された制裁強化により態度を硬化したためではないかと思います。
では白紙化されることによってどんなことが起こるかですが、現時点ではまだ何とも言えません。仮説をいくつか挙げると、いつもの様な瀬戸際外交よろしくより危機感を煽って交渉で譲歩を引き出す戦略なのか、続けての核実験を強行するのか、はたまた嫌がらせにまた韓国の領土や艦船に遠距離射撃を実施してくるのか。もちろん、一番いいのは何も起こらないことですが。
それにしても休戦協定の白紙化とは随分と踏み込んだ内容のように思えます。ただ日本としては既に行えるだけの制裁をやり尽くしている感があるだけに特に新たな対策はほぼありません。一方、国連の安保理ではこれまで何度も北朝鮮をかばってきた中国の外務省に当たる外交部がかなり早い段階で制裁決議に同調すると発表しています。
・外交部:朝鲜半岛应以和平机制取代停战机制(北京晨報)
自分のバックグラウンドもあるためやや中国に沿った解説となりますが、やはり今回のこの行動は中国側も相当怒り心頭に来ているように思えます。というのも中国では今週から日本の国会に当たる年に一回の全人代が開催され、習近平体制も今回の国家役職任命を経て正式にスタートするわけです。そんな晴れの舞台、しかもやや緊張した状況下でほぼ間違いなく確信犯で北朝鮮がこんな宣言をしてきたことに対し、中国政府内でも反感が芽生えているのかもしれません。
もっとも、反感という意味では北朝鮮でも同じかもしれません。というのも金正日政権の頃は中国に対して警戒をするものの一定の譲歩というか気遣いはありました。しかし金正恩政権になってからは中国に対する意識はほとんど見られず、まさに傍若無人な行為ばかりが目立つようになってきました。
だからといって中国は北朝鮮に対する軍事制裁に同調するかと言ったら、さすがにそれは望まないでしょう。それは米国、韓国、ひいては日本も同様で、各国の思考としては如何に難民を流出させず資本主義化させるかの一点に尽きます。それにしても、中国が北朝鮮を資本主義化させたいっていうのもなんだか妙な言い方です。
2013年3月6日水曜日
陽月秘話、約2年ぶりの復活!\(^o^)/
昔からの読者の方々、並びにgooブログの陽月秘抄から移って来た方々、この記事を読んでいる方には恐らくこの2種類の方々が大半を占めるかと思いますが、こうしてまたbloggerの陽月秘話を再開することになるとは管理人の自分にとっても意外で、なおかつ感慨深いものがあります。
このブログは2010年の12月から私が中国で働くことになったものの、中国ではbloggerに対するアクセスが禁止されていたため泣く泣く更新を停止いたしました。その後、中国でもアクセスできるgooブログにプラットホームを移して「陽月秘抄」として記事の更新を行うようになったのですが、今年2月に日本に帰国し、アフィリエイトサービスなどを利用するに当たりあまりにも仕様が制限されることからこうしてまたbloggerに舞い戻ることとなりました。
我ながら自分の無計画さに色々呆れてくるのですが、元々このbloggerは他のブログと比べて構造が非常にシンプルで、徹底したシンプルにこそ機能美は宿るというダイハツ・ブーンのキャッチコピーに共感する自分にとってはやっぱり使っていてそこそこ愛着を感じます。
あと地味に、過去記事を右バーにあるツリーで見出しから検索できるのが非常にいいです。何故かほかのブログはこの機能を初めから持っておらず、こんな便利なのにどうして採用しないのかなかなかに不思議です。
それにしても記事入力画面も昔と違ってなんていうかシンプルになっていて、なんか書いてて前と違うなぁとつくづく思います。地味にこの入力画面の構成から入力文字数とか推量するために、恐らくこれからしばらくはやや短めの記事が増えてくことでしょう。むしろ「陽月秘抄」に移ってからは長くダラダラした記事が増えていたから、ここで短めを意識した方が文章が締まってくかもしれません。
そんなわけで心機一転、また陽月秘話を今後ともよろしくお願いします。
このブログは2010年の12月から私が中国で働くことになったものの、中国ではbloggerに対するアクセスが禁止されていたため泣く泣く更新を停止いたしました。その後、中国でもアクセスできるgooブログにプラットホームを移して「陽月秘抄」として記事の更新を行うようになったのですが、今年2月に日本に帰国し、アフィリエイトサービスなどを利用するに当たりあまりにも仕様が制限されることからこうしてまたbloggerに舞い戻ることとなりました。
我ながら自分の無計画さに色々呆れてくるのですが、元々このbloggerは他のブログと比べて構造が非常にシンプルで、徹底したシンプルにこそ機能美は宿るというダイハツ・ブーンのキャッチコピーに共感する自分にとってはやっぱり使っていてそこそこ愛着を感じます。
あと地味に、過去記事を右バーにあるツリーで見出しから検索できるのが非常にいいです。何故かほかのブログはこの機能を初めから持っておらず、こんな便利なのにどうして採用しないのかなかなかに不思議です。
それにしても記事入力画面も昔と違ってなんていうかシンプルになっていて、なんか書いてて前と違うなぁとつくづく思います。地味にこの入力画面の構成から入力文字数とか推量するために、恐らくこれからしばらくはやや短めの記事が増えてくことでしょう。むしろ「陽月秘抄」に移ってからは長くダラダラした記事が増えていたから、ここで短めを意識した方が文章が締まってくかもしれません。
そんなわけで心機一転、また陽月秘話を今後ともよろしくお願いします。
2013年3月5日火曜日
中国の大気汚染と石油会社
あいも変わらず報道が続いている中国の大気汚染のニュースが続いているのでちょっと向こうの石油会社の事情を書いていきます。
中国には半国営の巨大な石油会社が3社あり、片っ端から挙げると中国石油天然気集団公司(中石油、ペトロチャイナ)、中国石油化工集団(中石化、シノペック)、中国海洋石油総公司(中海油、CNOOC)となります。一つ一つちょこっとエピソードを書いていくとペトロチャイナな数年前に株式をB株で公開して有望銘柄として当時に大きく注目され、うちのお袋も確かこの頃に売り抜いてます。あとCNOOCはつい先日にカナダのエネルギー企業、ネクセンを中国企業の海外買収としては確か史上最高額となる151億米ドルで買収しました。シノペックはなんも思い浮かばないな。
これら石油大手3社は中国国内、ひいては海外での石油探査、発掘、精製まで、それこそ川上から川下まで幅広く事業を行っているのですが、彼らが何故大気汚染と関係するのかというと、中国国内で流通する自動車用ガソリンなども作っているからです。
中国の大気汚染は複数の要因があるため一概に何が最大の原因とは言い切れないのですが、都市部においては近年急増している自家用車の排気ガスが少なくない影響を与えております。それもそのはずというべきか中国は昨年も一国の自動車市場として世界最大で、私もレポートを書いておりますが2012年は1930万台もの新車が販売されております。たった一年で1930万台もの車が増えたのですから、いくら国土が広いったって排気ガスの増加量は半端じゃないでしょう。
ただその排気ガス、元々の生成原料は燃料ことガソリンです。このガソリンがなかなかに曲者というべきか、中国で流通しているガソリンは日本のガソリンと比べて鉛や硫黄の含有量が多く、私も報道ベースでしか確認してませんが単位量当たりの汚染物質排出量では日本製をはるかに上回ると言います。それ故に中国の各地方政府は独自に自動車用ガソリン規格を定め、たとえば北京では「京5」などと基準を作り徐々にガソリンの鉛、硫黄含有量の低下を図るほか、燃費効率が悪く汚染物質の排出量の多い旧型車の淘汰(買い替えに補助金を出すなど)を進めております。
それで話は石油会社に戻りますが、率直に言って上記の大手企業はガソリンの品質向上にあまり乗り気ではありません。品質を向上させるためには新たな設備投資が必要ですし、小売先となるガソリンスタンドなどともいろいろ協議する必要があり、大気汚染が悪化しようが日本をはじめとする先進国並みの品質に高めようとする気はほとんど感じられません。そう思う根拠として先日に読んだ中国の記事で、確か中石油だったと思うけど堂々と、「中国のガソリン品質の向上速度は決して遅くない」と言ってのけて、いくら先進国と品質面で差があるとしても、これまでも品質向上にはちゃんと取り組んでいるという主張を展開していました。
経営的な判断からすれば上記のような中石油の主張もわからないでもなく、また日本も東電というとんでもない企業がいるわけだし「これだから中国企業は」などという批判は少しし辛い気がします。ただ先にも書いた通りに中国は今や世界最大の自動車市場です。そうしたことを考えると日本から技術を購入して積極的に導入してはどうだと、あくまで助言するような感じで強く主張してもいいかなとも思います。汚染された空気の直撃を受けるわけだし。
なお汚染空気の話だとハマコーこと浜田幸一氏が生前、「俺の地元の千葉県は東京で汚染された空気を受けているんだから、補助金でもなんでももらって何が悪いんだ」とテレビで言っておりました。この浜田氏の意見は決して間違いではなく、昼間に自動車の排気ガスなどで汚染された空気は風にはこばれ西から東へ、千葉県へちょうど直撃する形で運ばれてきています。環境問題のミソというのはまさにこういうところにあり、加害者と被害者があまり一致しない点にあります。まぁその辺を中国に理解しろというのも、国境をまたぐもんだからなかなか難しいのではありますがね。
中国には半国営の巨大な石油会社が3社あり、片っ端から挙げると中国石油天然気集団公司(中石油、ペトロチャイナ)、中国石油化工集団(中石化、シノペック)、中国海洋石油総公司(中海油、CNOOC)となります。一つ一つちょこっとエピソードを書いていくとペトロチャイナな数年前に株式をB株で公開して有望銘柄として当時に大きく注目され、うちのお袋も確かこの頃に売り抜いてます。あとCNOOCはつい先日にカナダのエネルギー企業、ネクセンを中国企業の海外買収としては確か史上最高額となる151億米ドルで買収しました。シノペックはなんも思い浮かばないな。
これら石油大手3社は中国国内、ひいては海外での石油探査、発掘、精製まで、それこそ川上から川下まで幅広く事業を行っているのですが、彼らが何故大気汚染と関係するのかというと、中国国内で流通する自動車用ガソリンなども作っているからです。
中国の大気汚染は複数の要因があるため一概に何が最大の原因とは言い切れないのですが、都市部においては近年急増している自家用車の排気ガスが少なくない影響を与えております。それもそのはずというべきか中国は昨年も一国の自動車市場として世界最大で、私もレポートを書いておりますが2012年は1930万台もの新車が販売されております。たった一年で1930万台もの車が増えたのですから、いくら国土が広いったって排気ガスの増加量は半端じゃないでしょう。
ただその排気ガス、元々の生成原料は燃料ことガソリンです。このガソリンがなかなかに曲者というべきか、中国で流通しているガソリンは日本のガソリンと比べて鉛や硫黄の含有量が多く、私も報道ベースでしか確認してませんが単位量当たりの汚染物質排出量では日本製をはるかに上回ると言います。それ故に中国の各地方政府は独自に自動車用ガソリン規格を定め、たとえば北京では「京5」などと基準を作り徐々にガソリンの鉛、硫黄含有量の低下を図るほか、燃費効率が悪く汚染物質の排出量の多い旧型車の淘汰(買い替えに補助金を出すなど)を進めております。
それで話は石油会社に戻りますが、率直に言って上記の大手企業はガソリンの品質向上にあまり乗り気ではありません。品質を向上させるためには新たな設備投資が必要ですし、小売先となるガソリンスタンドなどともいろいろ協議する必要があり、大気汚染が悪化しようが日本をはじめとする先進国並みの品質に高めようとする気はほとんど感じられません。そう思う根拠として先日に読んだ中国の記事で、確か中石油だったと思うけど堂々と、「中国のガソリン品質の向上速度は決して遅くない」と言ってのけて、いくら先進国と品質面で差があるとしても、これまでも品質向上にはちゃんと取り組んでいるという主張を展開していました。
経営的な判断からすれば上記のような中石油の主張もわからないでもなく、また日本も東電というとんでもない企業がいるわけだし「これだから中国企業は」などという批判は少しし辛い気がします。ただ先にも書いた通りに中国は今や世界最大の自動車市場です。そうしたことを考えると日本から技術を購入して積極的に導入してはどうだと、あくまで助言するような感じで強く主張してもいいかなとも思います。汚染された空気の直撃を受けるわけだし。
なお汚染空気の話だとハマコーこと浜田幸一氏が生前、「俺の地元の千葉県は東京で汚染された空気を受けているんだから、補助金でもなんでももらって何が悪いんだ」とテレビで言っておりました。この浜田氏の意見は決して間違いではなく、昼間に自動車の排気ガスなどで汚染された空気は風にはこばれ西から東へ、千葉県へちょうど直撃する形で運ばれてきています。環境問題のミソというのはまさにこういうところにあり、加害者と被害者があまり一致しない点にあります。まぁその辺を中国に理解しろというのも、国境をまたぐもんだからなかなか難しいのではありますがね。
2013年3月1日金曜日
千載不決の議
中国史に詳しい方なら一度は耳にしたことがあるかもしれませんが、世間一般にはあまり知られていないと思うので今日は宋代における「千載不決の議」を解説します。
・千載不決の議(Wikipedia)
この千載不決の議とは10世紀の中国を支配してその後も長期政権を維持した宋の時代における皇帝継承問題というか事件のことを指します。主役は初代の趙匡胤と、その実の弟である趙光義の二人です。
趙匡胤は元々、宋の前身にあたる後唐という軍閥の将軍でした。しかしある日、部下や弟に無理矢理推薦される形、恐らくは非難を免れるために敢えてそういう形を取ったのでしょうが、主君を裏切り自らが軍閥の主にのし上がって皇帝へと即位しました。ただ彼の簒奪はほかの政権とは違って、後唐のラストエンペラーこと恭帝とその一族は殺したりせずにむしろ積極的に保護しております。まあその恭帝自身は7歳の頃に簒奪された後、21歳で若死にしてますが。
また趙匡胤は本人がもともと軍人出身だったにもかかわらず自分が政権を握るや軍部の勢力を徐々に削ぎ落とし、逆に文官の権限を大きく拡充するなど文治政治を展開します。この政治姿勢は徹底されており、後継の皇帝達に対して石刻遺訓という碑文を残し、その碑文中には「言論を理由に士大夫(官僚/知識人)を殺してはならない」と書かれ、自由に議論をさせるようにと伝えています。このような人物だったことから趙匡胤の評価は現代においても高く、私自身も好感が持てる人物であります。
ただそんな趙匡胤は皇帝即位から16年後に死去するのですが、その死因が非常に怪しいというかあからさま過ぎて「千載不決の議」、つまり千年議論をしても結論が出ない死に方となっているのです。
趙匡胤は976年に死去しているのですが、その様子について後代の歴史書はただ「死んだ」とだけしか書かず、具体的な記述がほとんどされておりません。巷間で伝えられている内容では雪の降るロマンチックな夜、趙匡胤は弟の趙光義と共に兄弟水入らずで酒を飲んで夜を明かしたところ、朝になって趙光義が起きたら趙匡胤は既に死んでいたとされています。元々、趙匡胤は大酒のみであったことから深酒による脳溢血ではないかという説もあり、この後に何もなければそういう風に信じられていたと思います。そう、本当に何もなければ……。
もったいぶらずに書くと、初代の趙匡胤の死去後に皇帝に就いたのは既に成人していた彼の息子ではなく、なんと弟の趙光義でした。しかも趙光義は皇帝位に就いた後、ちゃっかり本来跡目を継ぐとみられていた趙匡胤の息子を自殺に追い込んで、自分の後には自分の息子を皇帝にしております。こうした即位形式は以前にも全くなかったというわけではないのですが趙匡胤の曖昧な死に方といい、宋代にあってもおかしな即位の順番だと批評されており、早くから「弟の趙光義は兄を暗殺し、皇帝位を簒奪したのでは?」という噂が出ていたようです。仮に趙匡胤と趙光義が昔から仲が悪かったらほぼ疑いようもなかったでしょうが、一応この兄弟は若いうちから一緒に頑張って来ていたこともあり、またはっきりと暗殺したことを指摘する歴史書もないことから真相は藪の中のままです。
私個人の意見を言わせれば、誰がどう見たってこれは弟がやっぱり暗殺してるでしょう。疑わしきは罰せずとは言いますが、歴史評価においては確かチャーチルが言ってた言葉だと思いますが、「政治の世界に偶然はない」です。
もっとも、こうして2代目皇帝に就いた趙光義こと太宗は若い頃から揉まれていただけあって皇帝としての仕事を着実にこなし、中国の再統一も見事に果たしております。これで施政も悪かったら完全に暴君扱いされたでしょうがやることはやってるだけに、「千載不決の議」ってことになってるのでしょう。
・千載不決の議(Wikipedia)
この千載不決の議とは10世紀の中国を支配してその後も長期政権を維持した宋の時代における皇帝継承問題というか事件のことを指します。主役は初代の趙匡胤と、その実の弟である趙光義の二人です。
趙匡胤は元々、宋の前身にあたる後唐という軍閥の将軍でした。しかしある日、部下や弟に無理矢理推薦される形、恐らくは非難を免れるために敢えてそういう形を取ったのでしょうが、主君を裏切り自らが軍閥の主にのし上がって皇帝へと即位しました。ただ彼の簒奪はほかの政権とは違って、後唐のラストエンペラーこと恭帝とその一族は殺したりせずにむしろ積極的に保護しております。まあその恭帝自身は7歳の頃に簒奪された後、21歳で若死にしてますが。
また趙匡胤は本人がもともと軍人出身だったにもかかわらず自分が政権を握るや軍部の勢力を徐々に削ぎ落とし、逆に文官の権限を大きく拡充するなど文治政治を展開します。この政治姿勢は徹底されており、後継の皇帝達に対して石刻遺訓という碑文を残し、その碑文中には「言論を理由に士大夫(官僚/知識人)を殺してはならない」と書かれ、自由に議論をさせるようにと伝えています。このような人物だったことから趙匡胤の評価は現代においても高く、私自身も好感が持てる人物であります。
ただそんな趙匡胤は皇帝即位から16年後に死去するのですが、その死因が非常に怪しいというかあからさま過ぎて「千載不決の議」、つまり千年議論をしても結論が出ない死に方となっているのです。
趙匡胤は976年に死去しているのですが、その様子について後代の歴史書はただ「死んだ」とだけしか書かず、具体的な記述がほとんどされておりません。巷間で伝えられている内容では雪の降るロマンチックな夜、趙匡胤は弟の趙光義と共に兄弟水入らずで酒を飲んで夜を明かしたところ、朝になって趙光義が起きたら趙匡胤は既に死んでいたとされています。元々、趙匡胤は大酒のみであったことから深酒による脳溢血ではないかという説もあり、この後に何もなければそういう風に信じられていたと思います。そう、本当に何もなければ……。
もったいぶらずに書くと、初代の趙匡胤の死去後に皇帝に就いたのは既に成人していた彼の息子ではなく、なんと弟の趙光義でした。しかも趙光義は皇帝位に就いた後、ちゃっかり本来跡目を継ぐとみられていた趙匡胤の息子を自殺に追い込んで、自分の後には自分の息子を皇帝にしております。こうした即位形式は以前にも全くなかったというわけではないのですが趙匡胤の曖昧な死に方といい、宋代にあってもおかしな即位の順番だと批評されており、早くから「弟の趙光義は兄を暗殺し、皇帝位を簒奪したのでは?」という噂が出ていたようです。仮に趙匡胤と趙光義が昔から仲が悪かったらほぼ疑いようもなかったでしょうが、一応この兄弟は若いうちから一緒に頑張って来ていたこともあり、またはっきりと暗殺したことを指摘する歴史書もないことから真相は藪の中のままです。
私個人の意見を言わせれば、誰がどう見たってこれは弟がやっぱり暗殺してるでしょう。疑わしきは罰せずとは言いますが、歴史評価においては確かチャーチルが言ってた言葉だと思いますが、「政治の世界に偶然はない」です。
もっとも、こうして2代目皇帝に就いた趙光義こと太宗は若い頃から揉まれていただけあって皇帝としての仕事を着実にこなし、中国の再統一も見事に果たしております。これで施政も悪かったら完全に暴君扱いされたでしょうがやることはやってるだけに、「千載不決の議」ってことになってるのでしょう。