現在やっている「韓国の近現代史」の連載を始めるに当たって友人に意見を求めたところ、「サムスンを一回取り上げてくれ」というリクエストを受けました。確かに韓国経済を考える上でその代表格であるサムスンは確かに外せない企業なのでよっしゃこいとばかりに引き受けて勉強し始めたのですが、書き始めたらそこそこの分量に行くと思ったのでこの際、連載からは独立して書くことに決めました。そんなわけでまず今日は、これまでにどのような経過をサムスンは辿ってきたのか、その歴史について解説することにします。
サムスン、といっても実際には企業複合体なのでサムスングループは1938年、李秉喆(イビョンチョル)が大邱市で「三星商会」を設立した頃を創立期としております。李秉喆についてもう少し詳しく書くと、この人は戦前に日本の早稲田大学に留学(病気で中退)しており、二代目の李健熙(イゴンヒ)氏も早稲田大学を卒業、三代目の李在鎔(イ・ジェヨン)氏は慶応大学大学院を出ており、割かし日本の学校と縁があります。個人的には早稲田、慶応ともに派手なPRはしてないような気がしますが。
話は戻りますが、設立当初の三星商会は雑貨など生活必需品を取り扱っていたようですが日本や中国の戦争が激しくなるなど戦時色が濃くなったことから李秉喆は家族らの避難を優先し、1942年に三星商会の経営を人に任せて疎開します。
その後、李秉喆は日本の敗戦した後の1948年、ソウルで砂糖など生活必需品を取り扱う総合商社「サムスン物産」を設立し、しばらくは上々の経営が続いていたそうです。しかし1950年から朝鮮戦争が始まると保有していた物資が略奪されたことにより無一文となり、これまた家族を連れて非難するためにかつて三星商会を任していた人物に会うため大邱市へ向かいます。この時、三星商会を任されていた人物は健全な経営を続けており、快く迎え入れると蓄えていた大量の資金を提供して李秉喆に再起を促したそうです。こうした助けもあってサムスン物産は朝鮮戦争後に蘇り、その後は自前で製糖工場や製紙工場を持つなど徐々に財閥化していきます。
その後、李秉喆は1969年に日本の三洋電気と提携し、テレビの生産や半導体の組み立てを行う合弁会社「サムスンSANYO」を設立すると同時に、現在のサムスングループの中核と言っていい「サムスン電子」を設立します。そして1977年には「韓国半導体」という韓国の半導体メーカー(まんまやん)を買収し、サムスングループ躍進の要因となった半導体の製造事業に着手します。この頃からサムスングループは総合商社から電子メーカー的性格が濃くなっていくわけですが、半導体事業における研究開発には投資を惜しまず、元三洋の井植敏氏によると、「日系メーカーが256KのDRAM開発に着手していた頃、サムスンは1MのDRAMに着手していた」と話しています。
このように韓国内で押しも押されぬ大企業となったサムスンでしたが、真に国際企業となるのは2代目の李健熙氏が就任してからです。李健熙氏は三男でしたが、その才覚を父親の李秉喆に見込まれたことによって一度は後継者に指名された長男・猛熙氏を押しのけ、1987年に会長に就任します。
結果的にはこの後継者指名は当たったと言えるでしょう。李健熙氏は会長職に就くと、国内ナンバー1企業となって大企業病に陥っていた社内に対し、「妻と子供以外はすべて変えろ」と、私なら「ペットも?」と言いたくなるような訓令を発して社内改革に手を付けます。李健熙氏は自著でもインタビューでも度々話していますが、米国のスーパーでサムスン製品が埃被っておかれていたのを見てショックを受けたものの、当時のサムスン社内は海外市場なぞまるで気にしておらず、まずは大企業病を克服しなけれならないと相当な危機感を抱いたそうです。そしてこれは私の推測ですが、国内1位では意味がなく、世界市場でシェアをとらなければならないという意識もこの頃にサムスンの中で育ったのでしょう。
その後、アジア通貨危機の際は一時破綻寸前となるものの、この時に社内合理化を進め機器の去った後のサムスンはそれ以上の競争力を持つに至っています。ただ李健熙氏については2008年に政界などへの不正送金が摘発されて一旦は引退して息子の李在鎔氏にサムスン電子社長職を譲りますが、ここが韓国でよくわからないところなのですが「平昌オリンピック招致のために必要な人材」ってことで李健熙氏は恩赦を受けます。でもって2010年にはまたサムスン電子の会長職に復帰してます。
ざっとこれまでがサムスンの歴史です。オーナー色の強い会社だからオーナー追ってけばそれなりに見えてくるというのが書き手にとっては書きやすかったです。で、この後の展開ですが、サムスンがどうして日系企業を現状で上回る会社へと成長したのか、その躍進の秘密について私なりの分析を紹介して行こうと思います。
参考文献
・サムスンの戦略的マネジメント 片山修 PHPビジネス新書 2011年
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