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2014年1月13日月曜日

家族関係が異常に希薄な日本民族

 このところ日本人論ばかり書いていていい加減食あたり気味ですが、何故か知らないけどこのところこういうネタばかり思い浮かぶので片っ端から書いていきます。これらの日本人論は基本的に日本人を持ち上げる物ではなくむしろ批判的な内容に染まっていますが昨日に友人から、「好きと嫌いは背中合わせだよ」というようなことを言われ、こういう内容でも参考にしてくれればという思いがもしかしたら自分にあるのかもしれません。
 なお私はプロフィールで専門は国際政治と社会学と書きましたが、大学在学中に在籍した学部は社会学で、その中でも人類学のゼミを受講していました。そういう意味ではこれら日本人論は秦に自分の専門にマッチした内容であるのかもしれません。

 それではそろそろ本題に入りますが最終的な結論から述べると、あくまで私個人の実感ではありますが誇張ではなく、私は日本人ほど家族を大事にしない民族を知りません。もちろん戦争中や宗教上の戒律などがある場合は別ですが、一般的な先進国における家族の中隊を見比べるにつけて日本人が最も家族をないがしろにしているように見えます。

 私が比較対象として考えているのは米国と中国ですが、米国に至っては児童虐待事件なども少なくないものの、普通の家庭では子供が成人した後もハグし合ったりしたり、お互いの誕生パーティを派手に開いたりしていて全く屈託がありません。そして中国に至っては儒教的概念からか明らかに一族意識が強く、旧正月には一族で集まったり、記念日などに親へ贈り物を送ったりする習慣がありその中退は非常に強いです。なお以前に日本で夫婦別姓が議論された際にある議員が、夫婦別姓にしたら日本の家族における紐帯が切れるなどと言って反対しましたが、中国は夫婦別姓にもかかわらず家族仲が日本よりよさそうに見えるのは私くらいなものなのでしょうかね。

 話は戻しますがこうした他国に比べ、残念ながらというべきか日本の家族関係はそれほど濃いようには見えません。子供が幼児であればまだアットホームな光景が浮かびやすいですが、一度成人にもなろうものなら非常に関係が希薄になり、私の周囲でもそれほど顔を合わせたくないという人が少なくありません。
 また仕事との関係でもこうした傾向は顕著で、日本では未だに仕事のために家族を犠牲にすることが美徳というか推奨されます。たとえば野球などでは米国から来た外国人選手が家族が病気などになるとシーズン中でも帰国しますがこれなんか批判の的になるし、このほか家族を優先して残業せずに帰ろうとしたら「やる気あるのか?」とすごまれる職場なんて星の数ほどあるでしょう。多分というか中国人なら家族を優先して仕事をさぼる、もとい頼んだって残業をしないほど自分の気持ちに素直に従うと思います。

 もちろん個別の家庭によってこうした家族意識は千差万別でしょうが、社会全体でみるなら家族という単位が日本では非常に弱く、それが組織への概念意識の低さにもつながっているように見えます。蛇足かもしれませんがやっぱり普段ユースを見ていて、児童虐待を行った親に対する報道というか社会の批判が緩すぎる気がします。今日日一人の殺人でも死刑が判決されるのだし、自分の血を分け、さらには何も抵抗できない子供を殺害する人間に対しては例外なく死刑でもいいと思うし、殺害まで行かずとも暴行を行う親に対してももっと社会が厳しい目を持ってヒートアップした報道がされてもいいような気がします。なんていうか、今の状況は淡白すぎるというか。

 また話は戻しますが、じゃあなんで日本人はこんなに家族意識が低いのか、「団塊が悪い」と団塊の世代のせいにしたら楽っちゃ楽ですしあながち間違っていない気もしますがもう少し考察すると、歴史的には日露戦争が一つの区切りだったかなぁという風に考えてます。
 日露戦争ときたら与謝野晶子で、出征する彼女の弟を心配する短歌が新聞に載ったら与謝野晶子が市民から批判されたという事件がありました。何が言いたいのかというと国家意識を高める教育をしていくうちに外見だけ「お国のために」なんて言っていたらいつの間にか本音と建前が入れ替わってしまい家族意識が微塵もなくなった、というには自分で書いておきながらですがやや強引ですね。

 まぁこの際原因は何だったかは置いといて今後日本人はもっと家族関係を濃くするべきなのか、このままを維持するべきなのかを少し考えます。私自身リアルに親戚と絶縁に踏み切るほど家族関係が希薄な人間の一人ですがそれでも敢えて述べると、本気で少子化対策を進める気があるというのであれば「家族を大事にするべきだ」というような標語を国家レベルで普及させるべきでしょう。
 昨日の記事にも続きますが突き詰めると日本の少子化は家族関係の希薄さが大きな原因のように思え、家族というものを大事にする日本人が増えることによってこの方面の問題が少し改善するような気がしないでありません。なのでそれこそさっきみたいに家族を優先したいのに残業を強制する様な企業に対して目立つところを二、三社くらい業務停止させ、大々的に発表しさえすればみんな一斉に黙るんだし、こういうところに着眼点を置いて政策立てたらどうかなって思います。

 最後に面倒な説法は嫌いな人は読まないことをお勧めしますが、自分の思想の原点は良くも悪くもキリスト教の概念が非常に強いです。そのキリスト教における重要な協議の一つに「隣人愛」という概念があり、これはどの人間に対しても隣人の様に愛せよという説明がよくなされていますがそれ以外の解釈として、ただ隣人を何よりも愛せよという説明のされ方もあります。これはどういう事かというと私の解釈で言えば、距離が近い身内の人間を大事にできない人間がどうして多くの人を大事にできるのか、身近な人から大切に思うことが博愛の精神につながるという風に見ております。

4 件のコメント:

  1. 片倉(焼くとタイプ)2014年1月13日 22:34

    もしかしたら元々日本人は家族を大事にしない気質があったのかもしれません。 
    日本には宦官がいませんでした。宦官の利点の一つとして権力は1代限りという点があります。
    どんなに強大な権力を持っても、子供を残すことは出来ないため、老いてしまえば(死亡すれば)
    その影響力は失われます。 だからこそ皇帝は、問題がありつつも皇位を簒奪される危険性の
    少ない宦官を重用したわけです。
    ではなぜ権力者にとって都合のいい、宦官が日本では普及しなかったか、私が考える限り、次の
    ような理由です。    元々日本人は家族のことより、社会(仕事)を優先する気質があった。
    権力を与えても家族より仕事や主君に対する忠義を優先させる人間が多かったので、わざわざ
    宦官のような制度を作る必要はなかったというのが私の考察です。
    さて、いつから日本人が仕事や忠義を家族より優先させるようになったかは、不明ですが新渡戸稲造
    の武士道には「忠義と孝行、どちらを選ぶか判断がつかないときは、忠義を優先しなさい」と書いて
    あるので、このころから仕事や忠義を優先する思想や要素があったのでしょうね。

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    1.  片倉(焼くとタイプ)さんからはいつもしびれるコメントをいただけてますが、今日のコメントは別の意味で驚愕しました。というのもこの記事を書くに当たって家族関係を考えている際、自分も全く同じように中国の宦官が頭に浮かんだからです。
       宦官は何故権力欲、禁欲に貪欲なのかを突き詰めると、やはり家族が作れず一代で終わりという点に尽き、それが彼らがまめまめしく働く理由ではないか、こうした感覚が少なからず日本人の家族大事にしない民族性に似通っていないかと、同じように考えていました。いやはやというべきか。
       おっしゃる通りに記事では日露戦争前後からと曖昧にしていますが、実態的にはそれ以前から、有史以降から家族を大事にしない傾向が日本人に見え隠れします。ついこの間に百田尚樹氏の「風の中のマリア」という小説を読みましたが、働き蜂も働きアリも子孫を残せないからこそまめまめしく働く本能があるように書かれてあり、日本人のルーツはこのどっちかにあるのかもしれません。

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  2. 家族関係のみならず、人間関係も極めて薄いですわ。
    原因を究明してください。

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    1.  金と時間があればじっくり研究して論文書きたいね。このテーマについてはそこそこ面白い気がするし、国際比較データもありそうだから一人アームチェアの上でも書ける気がするけど。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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