私は現在の勤務地までんの出退勤は中国人従業員の車にいつも上司と共に乗せてもらっているのですが、今月初めのある日、たまたまその従業員が早退きしたので私と上司はバスで帰宅しました。バスの中で日本語でどうでもいいことを話していたら若い中国人の男の子が近づいてきて、「貴方たちは日本人?」と中国語で聞いてきました。そのまま少し話をするとなんでも来年日本に留学するそうで日本人に興味があるというので、念のため私の名刺を渡し、帰宅後に少しメールのやり取りを行いました。折角の機会でもあるし一回くらいは腰据えてあってみようと思い、自分の方から「日本語を教えてほしければ教えるよ」と伝えて夕食に誘いましたが、これにはちょっとした下心がありました。その下心というのも、私の元記者として、というよりかはアングラな社会学士としての嗅覚で、「きっとこいつはド底辺の若年労働者だ。取材相手としてこれ以上ない人物になるだろう」という確信めいた予感です。
某日、私が指定したバス停にやってきた彼を近くのケンタッキーに連れて早速話をしてみました。聞いてみると彼の年齢は22歳で、なんでもYMCAの選考を受けて来年七月からの日本への留学切符を手に入れたそうです。話してみると意外と日本語の単語をたくさん覚えており、また日本語の教科書もそこそこ自習しているようで聞き取りにはまだ難があるものの片言での要求や自己紹介といった会話は日本語でもある程度こなしてきました。
割と語学の筋が良いと思いつつ学歴を尋ねると、「高校二年」という回答が返ってきました。それ以上は深くは聞かなかったが大学には通っていないことはもちろんのこと、もしかしたらきちんと高校も卒業していないのかもしれません。この時点で大体想像ついていましたが出身地を訪ねると安徽省の農村(地名聞いてもさっぱりわからんかった)で、高校を出てからは都市部に出稼ぎに来て働いているとのことでした。
では現在の仕事は何かと聞いたところフォークリフトの操縦と答え、より詳しく聞いてみたところ鉄スクラップの集積・販売業者みたいなところで働いているようで、「凄く汚れる」などと言いながら油被ったジーンズを見せてきました。その次に勤務日はと聞いたのですが、実はこの日会ったのは土曜日の夕方で、私はてっきり土日は休みだろうと思ってお昼くらいの時間を最初に指定したら「その時間は勤務中でいけない」と返ってきたので夕方になったわけです。なもんだから平日の何曜日が休みなのかを確認したかったのですが、「休みはない。毎日仕事がある」という、ちょっと想定外の回答が来て私も困っちゃいました。ちなみに曜日感覚は全くなく、「今日って土曜日なんだっけ。花園さんは土日が休みなの?」なんても聞いてきました。
念のため書いておくと、彼の様に全日仕事がある中国人労働者は決して多くはないと思いますが存在することは確かに存在しており、ホテルの従業員や不動産屋なんかには多いものの、面と向かって知り合いになった人物では彼が最初だったのでさすがに私も面喰らいました。しかもその仕事、短期の契約制なもんだから今年の12月で雇止めになるらしく、「1月以降はまた新しい仕事探さないと」だなんて言い出し、「花園さんの所で働けない?そこなら日本語も学べて一石二鳥なんだけど」と、中国人らしくストレートな物言いをしてきましたが、「うちの会社儲かってないから無理」とここはやんわりと断りました。
この時点で私の中にもかなり同情心も芽生えて来たので、「ひとまず毎週一回のペースで会おう。その度に色々教えるよ」と約束しました。無論向こうとしても歓迎する提案だったようですが、多分毎日でも構わないような雰囲気だったもののさすがにそれだと自分がきついと感じたので敢えて触れませんでした。
一通り相手の現況について聞き終えると今度は向こうから、日本の大学について教えてほしいと切り出してきました。なんでも、日本に留学して日本語を学んだらそのまま日本の大学に入りたいとのことで、どの大学がいいかを聞きたかったようです。しかもかなり自分でしらべており、国立は東大京大、私立は早慶上智がトップで、ほかにもMARCHや関関同立なんていう言葉まで知っているなど非常に細かいところまで把握していました。もっとも最初の留学というか日本語学校は福岡県だそうなので九州内で探すか、あとは生活費が比較的安く済むのとアルバイト先も確保しやすいという点で関西の方が良いとは薦めましたが、「東京の大学じゃないと就職きつくない?」なんて言い出してきて、これには私も苦笑しました。
なお彼との会話はほぼすべて中国語で行いましたが、私からすれば綺麗な中国語の標準語を向こうは話してくれるので非常に聞き取りやすいです。その点を彼に伝えたら、「僕だってこっち(昆山市)の人の言葉は聞いててよくわかんないよ」とホッとさせてくれること言ってきてくれました。あとケンタッキーであれこれ話してたら掃除のおばさんが寄ってきて、「なに?あんたら起業でもすんの?」と話し掛けてきて、「あたしも昔会計士目指して勉強してたんだけどさー」なんて大阪のおばちゃんみたいにいきなり苦労話をしてきました。
こんな具合でほぼ私の予測通りのステイタスを持ったいい取材相手だし、近年の中国の若者はどんな生活をしているのか、何に関心を持っているのか、でもって最底辺に近い労働者はどういう生活水準なのかを知る上でいいパートナーを見つけたと考えています。同時に私の中国語も少なからず上達が見込めるだけに、なるべく彼には自分からもいい刺激を与えようと考えてその後も会い続けています。今週に至っては彼が「味千ラーメン」という中国で一番有名な日系ラーメンチェーンのラーメンを食べたことがないというので、待ち合わせ場所からタクシーに乗って連れて行ってあげましたが、「昆山に来てこんな遠くまで来たの初めてだよ。普段は家と勤務地の往復で休みなんてないし」と話しだし、まぁ引っ張ってきてよかったと思いました。もちろんタクシー代とラーメン代は私の負担。
以上までが観察日記でこっからが私の論評ですが、まず彼のようなタイプの日本人は確実に存在しないでしょう。一週間毎日休みもなく働き詰めにもかかわらず日本への留学を企図し、備えるため勉強し、さらには日本の大学への入学を目指す。一言で言えば非常にやる気があり応援したくなるような人物ですが、ここまでガッツある日本人を捜すとなると割とハードワークな気がします。もちろん彼のような中国人もレアと言えばレアだし、上海人の友人にも話したところそんな人間は周りにはいないし、同じ中国人ながら同情するし応援したいと話していました。
しかし、一言で言うならやはり中国はまだまだ発展途上国であるということに尽き、親のお金で何不自由なく大学に通う上に車を乗り回す人間もいれば、故郷を離れ毎日働きながら勉強、そして立身出世への意欲を強く燃やす若者も同時に存在する。これこそが中国の縮図であって日本には存在しない世界のように思えます。
私個人としては先ほどにも書いたように取材相手としてほぼ最高の材料であるとともに強い同情心を覚える相手で、また彼のような中国人にこそ日本に来てもらい、学問を修め世に出るべきだと思えるだけに出来る範囲で今後も応援していきたいと考えています。また最近は日中の関係が密になって中国人を取材する本もたくさん出ておりますが、それらの本は主に元から裕福な中国人が主な取材相手であるのに対し、ド底辺な中国人、しかも若者となると実際に取材するのも難しいこともあってそんなには出ていない気がします。そういう意味で彼のエピソードというかライフヒストリーを書くことはブログレベルでも価値あることだと思え、多少なりともライターとして燃え立つ気持ちを覚えます。
なお、日本でも就職戦線や労働状況に関する話題は基本的に世代間約50%の大卒しか取り上げられず高卒者の話はほとんどなく、中卒者に至っては皆無に近いでしょう。しかしド底辺こそ地に足がついており、本当に目を向けるべき場所というのはここにあると私は常々考えており、彼から聞ける話はそこそこ価値があると思えるのと同時に日本でもこうはならないものかと、ちょっとやるせなさを覚えます。
おまけ
味千ラーメンを食べた帰り、同じショッピングセンター内にあって前から匂いが気になっていたチーズケーキ屋に寄りました。看板を見てみると「RIKURO」という文字とコック帽のヒゲ親父の絵が書いてあって後で調べてみましたがどうやら大阪にある「りくろーおじさんの店。」のフランチャイズか何かだったようです。
この店で私はチーズケーキを自分用に買うのと同時に連れてきた彼にも買ってあげようとしたら向こうが遠慮して、「いや、僕はそんなに甘いのが好きじゃないから」と言ったところ、「甘くないっ!( ゚Д゚)」と、すかさず女の子の店員が否定してきたので、それならばと二つ買って一つは彼に持たせました。その次の日に彼から来たメールには、「あの店の女の子かわいかったね。けどケーキはめちゃくちゃ甘かったよ(´・ω・`)ダマサレチッタ」と、書かれてありました。
中日関係回復の為、ぜひ彼と仲良くしてくださいね。
返信削除また、この優秀な中国青年をぜひ同志社大学に入学させて頂きたく。
まぁいい大学だと思うけど、あそこ中国人留学生の入学はやたら厳しいからなぁ。
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