昨日の記事の流れというべきか、今日は大学受験時に私が通っていた「創学舎」という予備校について紹介します。
・創学舎ホームページ
この創学舎というのは松戸市や柏市などの地域に教室を置く、言ってしまえば地方予備校です。今は恐らく柏教室で行っていると聞きますが、以前は高校生向けの授業は新松戸教室で行われており、私もこの新松戸教室に大学受験時は通っておりました。
そもそも何故この創学舎に入ったのかというと、高校に進学して親から予備校は入れ、ここなら近くて比較的安いと言われたので言われるがままに入りました。自転車で通える範囲内だったし。
講義科目は高校生向けに限れば高一と高二は英数の二教科、高三からはこれに現代文、古典、漢文、日本史、物理、化学、小論文が加わってきますが、私の時代もこれと同じでした。私は高一から入学して最初は英数、でもって高三からはたしか国語系科目と日本史、それと小論文を取っていた気がします。
授業はここもお手製のテキスト、っていうかコピー機で印刷したものを無理やり閉じた手作り感溢れるテキストが使用されてましたが、テキスト内容は今思い返してもよく整理されていた内容で、大学に進学した後も英語なんかは折に触れて読み返したくらいです。また市販されている受験参考書についてもどれを使うべきか講師に相談すると熱心に教えてくれて、その参考書でわからない点があるとこちらもすぐ相談に乗ってくれました。
私個人の主観で述べると、地方予備校とはいえなかなかしっかりした指導体制で、こと受験に臨むに当たっては信頼が置けるいい予備校だと思います。どの講師も毎年有名大学の受験問題を研究しており、また癖があるというかかなりキャラが濃い面々ですが、一人一人の生徒に対して非常に熱心に受験指導や相談に乗ってくれて、むしろここまで肩入れすると精神的に疲れないのかと逆に心配になるくらいの熱意でした。
私もご多分に漏れず色々指導してもらい、特に京都の大学に通いたいと相談した所、「お前の場合は確かに一回家を出た方が良いかもな」と背中を押してくれて、決断に当たって大きな要因にもなりました。
で、そんな創学舎ですが、多分私の本名を言えば何人かの講師は確実に私のことを覚えていることでしょう。別に目立つ気は全くなかったのですが、生来の性分というか何もしなくてもやたら目立つ傾向があり、通っていた頃はこの予備校でもかなり有名人になっていたと思います。
具体的にどんなことをやらかしていたのかというと、授業中になんかのきっかけでプライベートの趣味はそれぞれなんだという話になり、「小説を書くこと」と自分が話したらじゃあその小説持ってきてと言われ、翌週の授業にでっかいケースの中びっしり原稿用紙積めて持って行ったら、しばらく講師の間で私の小説なりエッセイが回し読みされたそうです。なお読んだ講師の感想はというと、「どことなく坂口安吾のような雰囲気が感じられる」だそうです。多分斜に構えた態度だったからだろうな。
こうした小説の話だけでなくてもどうも普段の授業態度や行動が目に留まっていたらしく、ある日ある講師から、「ついさっきも職員室でお前のことが話題になっていた」と言われ、どんな内容だったのかと聞いたところ、「あいつは頭がいい、でもノートに何も書かないっていう点で一致した」と言われました。
これも私の行動の中でかなり顕著な行動で、授業中で教えられた内容はおろか、数学の途中計算式をやたらと省いてノートに書こうとしない所があります。具体的には数学の問題で出された式の後、途中式はなるべく暗算してすぐにイコールで回答を書こうとします。
このような行動を見られて何度も講師からは途中式を書けと言われましたが、はっきり言ってその度に無視してました。別にその講師が嫌いだったわけじゃないのですが、なんかだらだらと計算式を書くのが面倒くさくて、「結果があってればそれでいい」とばかりに抵抗をし続けました。
そんでもって極め付けは日本史の授業です。知ってる人には有名ですが私は日本史、というより歴史科目は昔からやたらと強く、小学校からずっと歴史だけは何も勉強しなくてもいつもハイスコアを叩きだしていました。多分日本史、世界史の両方をまとめていいなら、この予備校の中でも通っていた高校の中でも成績は私が一番よかったと思います。
なもんだから、日本史の授業では実質的に私がペースメーカーとして扱われました。具体的にどんなかというと講師が授業中に誰かを当てて何か質問すると、
講師「○○、この時の人物は誰だ?」
生徒「わかりません」
講師「じゃあ××はどうだ?」
生徒「わかりません」
講師「よし、花園答えてやれ」
花園「□□です」
という具合に、大体前二人が答えられなかったら私が最後に正しい答えを言って授業は進む形で、一種の進行役みたいな役割を演じてました。なお聞かれた質問には一回も打ち洩らさず、全部正しい答えを言っていたと記憶しています。
またある日の日本史授業の際にも、一回だけおかしなことを言ったことがあります。
講師「このような過程を経て、アジア初の憲法である大日本帝国憲法が生まれたわけだ」
花園「先生、アジア初の憲法はオスマントルコのミドハト憲法です」
というように、妙な釘刺しを一回やりました。後で講師も、「今まで日本史の授業を行ってきて一番ビビった」と言っていました。
こんな具合で、割と好き放題にやらせてもらったこともあってか、まぁ楽しい予備校生活を送らせてもらいました。そういう恩もあってか大学に合格した後は購入した赤本を全て寄贈して、新年度の生徒募集を呼び掛けるチラシにも「お前の文章力が必要だ」と言われてこっちもやる気で宣伝文というか合格体験記を書いてよこしました。
最後にちょっと本題とは外れるかもしれませんが、この創学舎ではどの講師にもとても親身に接してくれてこちらとしては本当にありがたかったのですが、こちらからしたら大学受験は一回こっきりの経験であっても、講師の側からしたら毎年のイベントで、その度に各年度の生徒たちに親身に接するとなると身が持たないのではないか、燃え尽き症候群にならないのかなと、大学に進学してから思うようになりました。親身に接してくれるのは確かにありがたいですが、生徒の側もそれに甘え続けてはならないのではないか、相談は受けつつも頼り過ぎてはならないという事実に、大学合格後に気が付いたのが私の失敗です。
上のバナー広告の本は仲の良かった講師が書いた教育理念本です。私も読みましたが興味があればぜひ手に取っていただきたいのと、改めてみると男臭いタイトルだなぁって気がします。
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。
注:ブラウザが「Safari」ですとコメントを投稿してもエラーが起こり反映されない例が報告されています。コメントを残される際はなるべく別のブラウザを使うなどご注意ください。