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2015年7月15日水曜日

平成史考察~名古屋中学生5000万円恐喝事件(2000年)

 本題とは関係ありませんが、学生時代に私は喫茶店でアルバイトをしていたのですがたまたまそこのマスターが戦国武将の中川清秀の子孫ということを知り、同じ歴史好きの友人に教えてやろうとしたらこんな会話が生まれました。

花園「山口君、中川清秀って知ってる?」
友人「うん、(ゲームの「信長の野望」で)よく使ってるよ」

 他人の先祖を「使ってる」呼ばわりかよ、なんて思ってちょっと私の中で微妙な空気が流れました。

 そんな私のセンチメンタルな思い出は過ぎて今日の本題ですが、平成史ネタで今日は2000年に起きた「名古屋中学生5000万円恐喝事件を取り上げます。」

名古屋中学生5000万円恐喝事件(Wikipedia)

 事件概要を簡単に説明すると、当時名古屋市内の中学校に通っていたある中学生(被害者)が同じ学校の生徒数人(加害者)からいじめを受け、当初は暴行からでしたが次第に現金も恐喝されていくようになりました。被害者は言われるがままに加害者にお金を渡し、また被害者の母親も子供が暴行されて帰ってくることが忍びなく事故死した父親の生命保険で得たお金すら少年に渡してまで加害者の要求に答え続けました。
 加害者らは恐喝して得たお金をほぼすべて豪遊に使い、移動にはタクシーを使ってカラオケやパチンコ店で散財していたそうです。加害者の豪遊ぶりは周辺も見聞きしており、当時よく使われたタクシーの運転手がある日どこでそんなにお金を得ているのかと尋ねたところ、「パチンコ、パチンコ」などとほざいたとされています。
 もっともそんな加害者らも暴力団関係から恐喝を受けており、被害者から受け取っていた金を一部その関係者へ手渡していたという、二重恐喝の構造を持っておりました。最終的にはこの関係者も一緒に捕まるんですがね。

 話は被害者に戻りますが一方的に恐喝され続けた結果、被害者が渡した金額は累計で5000万円という常識では考えられない金額にまで達していました。しかし言われるままにお金を渡していたにもかかわらず暴行は収まるどころかむしろ激しさを増し、鼻や肋骨まで折られ病院に入院する羽目となり、しかも入院先の病院にまで加害者らは現れ被害者を屋上に連れて行くと、なおもお金を無心したと言われています。

 しかしそこが皮肉にも一つの転換点となりました。屋上に来ていた少年らに、被害者と同室に入院していたある青年男性が突然割って入り、加害者らを強い視線で凄みました。この男性は父親が暴力団組長ですが本人はホワイトという出自の人で、同室となった被害者の怪我を見て暴行されているのではとうすうす勘付いており、それ以前にも何度か被害者にトラブルを抱えているのではと尋ねていました。被害者は男性には暴行の事実を頑なに否定し続けおりましたが、突然やってきた被害者らに屋上へ連れて行かれるのを見るや後をつけ、絶好ともいう場面で現れ被害者の側に立ってくれたのです。
 男性に凄まれた加害者らは態度を急変してすごすごと去り、また心を閉ざしていた被害者もこの男性には心を開いて徐々に打ち合け、男性の側も被害者の気持ちに応えようと被害者の母親を交え対策を取ろうと動き出します。

 ただここがこの事件の一番の特徴なのですが、暴行の事実を打ち明けられた男性が被害者の母親に手を打とうと持ちかけたところ、この母親は当初拒否したそうです。母親は非常に大人しい性格の方だったらしく、戦うくらいならお金を出し続け嵐が過ぎるのを待つ方が良いと考えるような人だったと当時報じられており、それ故に被害金額が5000万円という途方もない金額にまで達した一つの要因となりました。
 しかし男性の熱心な説得を受け母親も最終的には対策を取ることに同意し、母親と男性、そして男性の知人らは加害者宅を回って恐喝され取られた金額の弁済を求めると共に、警察への通報も行ったことで事件は発覚しました。

 なお当時の報道では恐らく被害者を救ってくれた男性の出自からでしょうが、「恐喝された被害者が暴力団組員をつれて加害者を逆に恐喝してきた」という報道がありました。実際には弁済を求めただけなので恐喝なわけないのですが、結構誤った報道も大手を振って歩くというか報道なんていい加減なもんだなと思います。
 一方、息子が恐喝でとんでもない金額を奪っていたことを知った加害者の両親は弁済を求められて最初、その金額のとんでもなさに頭が真っ白になったと書いてありますが、まぁそりゃそうでしょう。そしてその弁済協議に当たって名古屋の緑署に相談へ行ったところ、「被害者から被害届が出ておらず、事件化していないから対応できない」などと意味の分からない対応されて、何にも相談に乗ってくれなかったそうです。なおこの緑署はそれ以前に少年と母親から恐喝について相談を受けたもののこれまた真面目に相手せず、結局この事件は中署が捜査して事件化して、事件後には警察庁も緑署の対応の不手際を認めています。

 事件が公になってからは立場が逆転というかワンサイドペースになり、全国から加害者とその家族への批判が大きく集まったほか、加害者らもほぼ全員が逮捕され処分が下されました。なお加害者家族への批判はほかの事件に劣らず激しかったそうで、中日新聞に至っては取材をしていないにもかかわらず加害者家族は反省の意識が低いと思わせるような記事を載せて発行してくださったそうです。まぁそういう新聞社だけどねあそこは。

 その後、この事件については続報がなくネットを見ると加害者らはきちんと被害者に弁済をしたのかどうかが少し議論となっていますがこれは確認の取りようがないので置いておくとして、加害者についてはその後の続報が出ました。何でも主犯格だった男二人は2002年に少年院を出所したものの定職には就かずまた変な連中と付き合いだし、2006年にパチンコ店の売上金を強奪する事件を起こして揃って逮捕され、揃って懲役刑を喰らいました。なおこの時強奪した金額は約1200万円で、クズは所詮はクズのままですが金額的にはスケールダウンしたんだなというのが私の印象です。

 今日になって一体何故こんな昔の事件を掘り起こしたのかというと、一言で言えば矢巾町の中学生自殺事件がきっかけです。この名古屋の恐喝事件もそうですが学校側は薄々いじめと恐喝の事実に気が付いていたものの何の対策や被害者への詳細な聞き取りを行わず、事件が発覚した後は「知らなかった」、「やるべき対策は取っていた」、「防ぎようがなかった」と、いわゆる「でも、だって、どうせ」の無責任三拍子が15年前も今も同じように繰り返されています。特に矢巾町の事件ではいじめで不登校になっていた女子生徒もいたっていうのに委員会への報告ではいじめはゼロってことにされていたとされ、まともな報告・連絡・相談の「ホウレンソウ(このフレーズは内心大嫌い)」という三拍子すらまともにできてないのかよと見ていて呆れます。大津の事件だって、そんな昔じゃないってのに。

 思うにこういういじめ事件は歪んだ教育とか家庭環境、あと受験ストレスが原因だなどとよく言われたりしますが、突き詰めれば目の前で起きている現実を直視するどころか放置する教育機関こと学校側に最大の原因があるのではないかと思えてきました。いくつかの例を見ていると、いじめる側も学校側が何の対策を取らないことを見て図に乗り、いじめられる側も学校側が何の対策を取らないことを見て心を閉ざしていくように見えますし。
 そういう意味ではいじめを根絶する上で真に教育を受けるべきは生徒ではなく平気で隠蔽しようとする教師たちでしょう。生徒に向かって「いじめはよくない」などと言うのではなく、教師に向かって「現実を見ろ!放置してたらお前をぶっ殺すぞ」と言った方が対策として効果ある気がします。もっともこう言ったら、「国からの強いプレッシャーがあって報告義務を……」なんて言い訳するのが出てくるんだから、案外そうでもないかな。

  参照サイト
--5000万円恐喝事件はなぜ起きた--名古屋の現場を歩く(ZAKZAK)
『息子がなぜ 名古屋五千万円恐喝事件』(三日坊主日記)

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