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2015年12月31日木曜日

自分の忠の矛先

 本日四本目。

 先日書いた愛国心についての記事で私は「忠」という言葉を用いましたが、これは現代的に言い換えるなら「信念」とした方が案外適当だと思います。通常は主従関係に用いる忠ですが、「他の何よりも優先する対象への意識の深さ」という風に解釈するなら、何も主人に限って使うものではないと思えるからです。
 先の記事では「メタルギアソリッド3」で使われた、「国に忠を尽くすか、任務に忠を尽くすか」というセリフを引用しておりますが、国家への忠は紛れもない愛国心でしょう。では任務への忠は何になるか、どちらかと言えばプライドに近いものになるかもしれません。
 
 ここでそんな私の忠の矛先をを明かすと、それは間違いなく自分自身の能力と才能です。ちょうど先月にも後輩にこの意味を説明しましたが、私が生きる上で何よりも優先するのは自分の能力を最大限に発揮できる場所に自らを置くこと、そして最大限に才能を引き延ばす、自らの感覚を可能な限り広げるということを子供の頃からかなり強く意識して生きてきました。何故こんなみょうちきりんな概念を持ったのかというとナポレオンに強く影響を受け、彼が幼年学校時代に述べたとされる、「人間の最大の幸せとは、自分の能力を最大限に発揮することです」というセリフをみてまさに自分が捜していた概念はこれだと中学生くらいの頃に思いました。

 このような考えだから一般人と常識が異なるのは当たり前で、自分の力が発揮できないとわかればその場を去るし、逆に自分の感覚を広げられると感じられるものには割と率先して学ぼうとしにいきます。その行く末には何があるのか、そんなの他の人間に言われる筋合いはないと言いたいところですが無難な言い方をすると論語における、「朝に道知れば夕に死すとも可なり」といったところです。

 では普通の日本人の忠の矛先はどこなのか。家族か、会社か、生活か、お金か、日常か、世間体か。私の見方だというまでもなく最後の世間体である人が大半であるように思え、如何に集団の中で目立たず浮かず脱落せずに生きていけるか、世間で言われるモデルケースのような人生をなぞることこそが最大にして唯一の生きていく上での信条なのではないかと、皮肉っぽい言い方ですがそう思います。別にこれが悪いというつもりは全くないですが、そうじゃないというのなら何を信じて生きてるのか聞いてみたいです。それこそ名誉やお金、家族を犠牲にしてでもこれだけは欲しい、信じてたいっていう信条をです。

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