・中国における新会社設立に関するお知らせ(シャープ)
本題と関係ありませんが上記のシャープが出したプレスリリース中にある「当社の幅広い事業や技術、商品企画力を活かし、オールシャープの総合力を発揮すべく」という文言について友人が、「ワン・オブ・ホンハイの間違いじゃね」と身も蓋もない事言ってました。間違っちゃないしむしろこっちの方が正しいけど、こんなの聞いたらシャープ社員泣いちゃうぞ。
・示現流(Wikipedia)
そんなわけで本題に入りますが多少剣道や時代劇にかじった者なら「示現流」という言葉を聞いてすぐピンと来るでしょう。示現流とは薩摩藩だったころの鹿児島で主流となった剣法で、その特徴はとして「初太刀にすべてを懸ける」、というより「二発目なんて甘い事言ってんじゃねぇ、一撃で殺せ!」と言わんばかりに一撃にすべてを懸けるという流派で、それだけに斬撃の威力が凄まじく受け太刀した人間が受け止めた自分の刀ごと切られたり、受けた自分の刀の峰や鍔が頭蓋にめり込んで死んだこともあるという信じ難いエピソードもあります。実際に他流派からも恐れられ、新撰組ですら示現流相手には警戒するよう隊内で訓示を出していたそうです。
そんな示現流の歴史について軽く説明すると、元々は九州地方で盛んだったタイ捨流から独立して成立し、開祖が薩摩藩の初代藩主島津忠恒の師範役に就いたことから薩摩で正統流派として普及するようになります。当主は代々開祖の東郷重位に端を発する東郷家が継承して藩内に多くの門弟を抱えていましたが、四代目の東郷実満は父親が中風にかかったことによって満足な指導を受けられないまま当主となってしまい、高弟たちからはその実力を軽んじられどんどんと門弟は減り、一時は師範役の人も解かれた上に困窮する羽目にもなりましたが東郷家に忠を尽くす高弟たちの努力もあって再び師範役に返り咲いて東郷家のピンチを乗り切ます。
しかしこの四代目実満の後を巡り、後継者争いが勃発します。後継者には人格も実力も周囲から高く評価されていた長男の東郷位照(たかてる)が継ぐと見られていましたがこれに対し異母弟の実勝が猛烈に抵抗して家督への執着を見せたことにより、位照を脱藩に追いやった上に遠島への流罪に処されるまで追い込むことに成功します。しかし兄を追いやったものの家督は位照の息子の実昉(さねはる)が継ぐこととなり、若年で未熟な実昉に代わって高弟の薬丸兼慶が師範役となりました。
面白くないのはもちろん実勝で、彼は甥であり当主の実昉をないがしろにして自らが当主のように振る舞ったことから藩主の怒りを買い、兄と同じく遠島へ流刑されます。時を経て家督を争った位照も実勝も罪を許されて城下に戻ってきますが、何故か実昉は最初は実の父親である位照を受け入れたにもかかわらず叔父で自分をないがしろにした実勝が帰ってくると位照を追放して叔父を受け入れたそうです。なにか弱みでも握られたのか?
しかし道場内では実力も人格も備えた位照を支持する層が常にいたそうで、また生活に困窮した位照は町人などに剣を教えることで生活していたため、真に実力を求めようとする者は位照の元で学ぼうとしたそうです。
そんな位照の元で学んだ者の中に先程出てきた薬丸兼慶の孫の薬丸兼富という人物がおり、この兼富の才能を見出した位照は「俺に教えさせろ」とわざわざスカウトした上で弱冠二十歳前後で免許皆伝まで与えてしまいます。これにより、「示現流の本当の奥義を知る位照から伝授されたのは薬丸家だ」という風に見られ、兼富の養子となり跡を継いだ兼武の代になってついに示現流から独立し、薬丸自顕流という分派が成立することとなります。
ただ薬丸自顕流が独立した際、本流である東郷家の示現流からも弟子が大量に移動するなどして一悶着があり、開祖の薬丸兼武は怒りを買った藩主から遠島に処せられ刑地で没する羽目となっています。しかし時代を経て子の薬丸兼義の代にその実力が藩から認められた薬丸自顕流も剣術師範として認められ、下級武士を中心に大勢が門を叩いたそうです。
そのため、幕末における主な示現流の使い手は薬丸自顕流を学んでおり、騒動や暗殺が起こる度に名声が高まり薬丸自顕流には弟子がどんどんと集まったそうです。しかし弟子の多くは寺田屋騒動、戊辰戦争、西南戦争で大半が亡くなったとも言われます。
前回の「首切り浅右衛門」こと山田浅右衛門とその一族と合わせて何故示現流を取り上げたのかと言うと、やはりこういう武術系は血筋だけでは継承はどうにもならない所があると言いたかったからです。事務作業ならともかく武術ともなれば実力がなければお役目を果たすことが出来ず、だからこそ山田家は優秀な弟子を養子に取るという方法で継承しましたが、示現流の東郷家の場合はなまじっか高い実力を持った位照を放逐したがゆえに薬丸自顕流の分派を招いており、継承でトラブルを起こしています。
現代においてはそんな武術家の継承などはそんな気にするほどでもないですが、何気に「優秀な部外者を養子に取る」というのは最も安定的で効率的な継承方法かもしれません。現代では自動車のスズキが毎回これで継承してきましたが、もっと他の会社でもこういうことあってもいいんじゃないかという気がします。
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