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2017年11月8日水曜日

「忖度」という中国語

 また内緒で昨日まで日本に一時帰国していましたが、正直散々な滞在でした。短い日程ながら企業関係者を含め多くの人間と会っては移動してを繰り返し、移動距離やスケジュールの過密ぶりはもとより普通に漫画喫茶で寝泊まりするなど体力消耗が著しく激しい日程でした。
 こうした元の計画日程自体は企図時点である程度想定していたため、タイトではあったもののこれだけだったら特に問題はなかったと思います。問題となったのは周りの人間が過密スケジュールの網の目を縫うかのようにこちらが預かり知らぬ予定を勝手に突っ込んできたり、当初私が計画していたスケジュールを変更、先送りしてきたことです。

 非常に過密なスケジュールであったことから自身の休養や、想定外の事態への対応のため敢えてフリーな予備日程をいくつか設けていましたが、こうした予備日程を狙うかのように山登り(ロープウェーだが)や図書館巡りなど興味がなく、体力や神経を無駄に削る予定を隙間なく次々と入れられ、また予備日程のなるべく早い時期に行おうとしていた手続きなどは次々と後回しにされていきました。周囲の人間も悪気はなく自分をもてなそうというつもりでやっていることはわかっているから自分も嫌な顔せず(一回だけはした)に応じていましたが、予定が先送りされてどんどん後ろにたまっていく中、最終日の予備日程まで予告なしに悉く潰され(嫌な顔はこの時一瞬だけした)、相手の顔を立てるため一応我慢して笑顔で付き合いましたが頭の中ではこの時、帰国準備に使える時間を必死で計算していました。
 結果、荷造りから帰国途出発までわずか20分しか持てず、また疲労困憊な上にストレスフルな状態で頭もおかしくなってるから何かしら洩れがあるだろうと想定していた通りに忘れ物があり、またどう考えても必要でない荷物を半ば無理やり持たされたため当初購入を予定していたお土産も買えなくなりました。

 先にも書いた通りに周囲は悪気はないと思ってずっと我慢していましたが帰国途中、すでに荷物パンパンなのに最後の最後で思い付きで持たされたとしか思えないパスコの菓子パン2本に対して、これさえなければ荷物が軽減され別のお土産も買えたと思うだに憎悪が集中し、電車や飛行機の中で「クソっ、菓子パン、クソっ」と、ストレスで右目が半分くらい見えなくなっている状態でずっと呟き続けていました。最終的には上海の自宅に着くや、あまりにもその存在自体が憎らしいことから鞄から菓子パン2本を引っ張り出すと袋入りのまま全力で壁に向かって投げ叩きつけ、そのままごみ箱に捨てました。壁に叩きつけた際はパーンと高い音が鳴りましたが、自分が食べ物に対しこれほどまで粗末に取り扱ったのは初めてかもしれません。

 こんな具合で未だに呼吸すらだるく判断力もほぼない状態(四則計算もなんか怪しい)に追い込まれるほど憎々しい滞在でしたが、2年ぶりに会ってきた友人とは楽しい時間を過ごせたとともに、非常に面白いお土産をいただけました。

お中元ギフト「忖度まんじゅう」のご案内(ヘソプロダクション)
『忖度まんじゅう』まさかの関西土産に。「世の中のニーズを忖度しました」(ハフィントンポスト)

 その友人がくれたお土産というのも上記の「忖度まんじゅう」で、「花園さんにはこれしかないと思って持ってきました」と自分の趣味をしっかり押さえて持ってきてくれました。自分もこのまんじゅうは面白いと思い、ぜひ他の人の反応を見てみたいと思って今日会社に持って行って配りましたが案の定好評で、日本語のわかる中国人スタッフすら、「これ持ってきたの花園さん?」と聞いてきました。

 そこでふと今年の流行語間違いなしのこの「忖度」という言葉は中国語にもあるのかなと思って今日調べてみました。結論から言うとありました。

 中国語で「忖度(cǔn duó)」の意味は日本語と同じく、「人の意思や判断を推し量る」という意味や、単純に「(長さや重さを)推し量る」という意味もあり、現代語ではなく古語となっています。出典の中には三国志の曹操の言葉もあり引用すると、

《诗·小雅·巧言》:“他人有心,予忖度之。”
三国 魏 曹操 《让县自明本志令》:“或者人见孤彊盛,又性不信天命之事,恐私心相评,言有不逊之志,妄相忖度,每用耿耿。”
《资治通鉴·汉献帝建安二十四年》:“忖度操意,豫作答教十馀条。”
郭沫若 《虎符》第二幕:“我转来的意思, 侯生 先生,你怕多少可以忖度吧?”
(「忖度_百度百科」より引用)

 中国の古典なのでいまいち意味が取れませんが三番目は恐らく、「資治通鑑(歴史書)・漢の献帝時代の建安24年:(曹)操の意を忖度し、十余条の答えを事前に作った」と訳せ、恐らく三国志に出てくる楊修のエピソードのことを書いていると思われます。

 忖度という言葉が日本で流行していることについては中国でも報じられており、日本新華僑報という新聞にも、「もし日本語に接していなければ、この『忖度』という中国の古語を知ることはなかったろう」というコラムが掲載されてて読んでてなんか笑えました。
 この新聞コラムに限らず、中国人の個人ブログなどでもモリカケ問題と絡めて忖度という言葉を紹介する記事が見かけられます。そうしたコラムでは忖度について「空気を読む」日本人ならではのという風に「忖度=空気を読む」という具合で紹介されていますが、大きな間違いではないものの、厳密には分けた方がいいかなという気が私にはします。

 「空気を読む」という行為も相手の意思や判断を推量してそれに敢えて合わせるという意味になりますが、空気を読む場合はどちらかと言えば「多人数の集団の意思」が合わせる対象な気がします。一方、忖度というのは基本一対一で、「たった一人の特定個人の意思」が合わせる対象であると私には思え、敢えて言うなら「空気を読む」をより限定した用法である気がします。でもって日常ではしょっちゅうこうした事態が起こるのに適切な言葉がないというところ、この「忖度」が彗星の如く登場したことから日本人としては痒い所に手が届く言葉で、「よくぞ来てくれた」的に一気に普及したと考えるわけです。
 このように考えると初めてこの言葉を公(?)で使った森友学園の土地買収に絡む官僚は、日本の国語発展において偉大な一歩を刻んだと改めて思います。よく官僚の答弁や報告書、通達に使われる独特な言い回しのことを「霞ヶ関文学」と言いますが、あながち捨てたものでもないでしょう、

2 件のコメント:

  1. https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/what-is-mizuhonokuni31?utm_term=.qblrX3ady#.ptwKLZXwk

    忖度について、興味深い記事がありました。
    今回の森友学園のような「上役などの意向を推し量る」という意味で使われだしたのはここ十数年だそうです。
    従来の用法では「母の心を忖度する」といった、「単純に相手の心を推測する」というものが一般的だったそうです。
    このことから、中国人ブロガーが「空気を読む」と表現したものこそオリジナルの意味に近いと考えられます。(もちろん一個人に対して働きかける際に使う言葉であると思いますが)

    ちなみに霞ヶ関文学みたいものて、中国でもあるんですか?

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    1.  リンク先の記事でも書かれてありますが、「空気を読む」と区別されて「忖度」が使われているのは間違いなく、またそうした区別に需要があったのでしょう。でも確かに、元の意味だと「空気を読む」で、中国語古語の表現の方が正しいことを考えると今の使い方を継続してもいいのか、確かに不安になりますね。
       霞ヶ関文学の中国語ですが、法律文書においては存在しており、一般の中国語とは明らかに異なる言い回しや表現が見受けられます。中国の官僚同士の会話や報告書ではどのような表現が使われているのかはわかりませんが、あまり口に出せないお偉いさんのことを「かの人」みたいに隠語で呼び合うというのは聞いたことがあります。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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