先月書いた「漫画業界のデジタル化」という記事で漫画業界でもIT化(これももう死語?)が進み切っててデジタル作画はもはや一般化しているという現況を紹介するとともに、デジタル作画のパイオニアでありながら、恐らく現時点においてもこの分野で最高級の技術とクオリティを有し、一漫画作品としてみても稀にみる傑作として奥浩哉氏の「GANTZ」を称賛しました。
この「GANTZ」ですが、先週にAmazonのKindleでまとめ買い20%オフセールやっていることに気が付き、37巻もあるから非常に悩んだけど、「いつも頑張っている自分へのご褒美オィース(笑)」として思い切って買っちゃいました。なおこのセールは私が買った直後に終了したので、マルクス主義的に社会主義革命が成就したくらいのレベルでうれしくなるというおまけもついていました。
私は「GANTZ」を漫画喫茶で読んでおり、通し読みは複数回しているものの全巻揃えてじっくり読むのはこれが初めてになりますが、改めてその作画のクオリティの高さと、戦闘シーンの迫力が桁違いな作品だと読んでて思います。この感動を伝えるために買ってから毎日友人にチャットで「GANTZめちゃ面白い」と書いているのですが、うざいと思われているのかこのツィート(笑)に対して友人は何も返事してくれません(´;ω;`)ウッ…
今回改めて読み返して感じたこととしては、やはり中盤の新宿編、大阪編が盛り上がりとしては最高潮であるように思えます。新宿編ではオニ星人が出てきますが、ラスボスを目の前にして登場キャラクタが涙を流しながらガタガタ震えるシーンがありますが、読んでるこっちも震えそうなくらい絶望的な状況で、その後に続く激しい展開と相まって激しくテンション上がります。
そんなオニ星人編を読み終わった後、特に意図せず普段から遊んでいる「討鬼伝2」というゲームをある日プレイしたのですが、その際にふと、「あれ、このゲームの世界もGANTZと一緒じゃね?」という考えが頭をよぎりました。
「GANTZ」を知らない人向けに説明すると、この漫画では一度事故死した主人公らが何の説明もなく甦らせられ、見知らぬ場所に転送されてそこで正体不明の化物たちと戦わせられるというのが大まかなあらすじです。そこで化物に殺されてしまうと今度は本当に死にますが、見事化物を撃退すると集合場所の部屋へと戻され、倒した化物の数に応じて得点がもらえ、100点になると解放されるというシステムが骨子になっています。
この戦闘のシステムは後半で明らかにされますがゲームを模したもので、化物との戦いは賭けの対象にもなっています。そしてこのシステムは、「モンスターハンターシリーズ」や先ほど挙げた「討鬼伝シリーズ」といったいわゆる「狩りゲー」と呼ばれるゲームジャンルに酷似している、というかまんまそのままです。
狩りゲーでは通常、プレイヤーは挑戦するミッションを選び、そのミッション内でターゲットとなる敵キャラを倒せばミッションクリアとなって報酬がもらえます。この報酬はゲーム内の通貨だけでなく化物から剥ぎ取った部位こと素材も含まれ、こうして集めたお金と素材を使ってキャラクターのより強力な装備を作っていくことでより難しいミッションにチャレンジできるようになります。
なお漫画の「GANTZ」でも、100点を取れば解放を選ぶこともできる一方、「より強い武器」を要求して手に入れることが出来ます。
私が今遊んでいる「討鬼伝2」なんかまさにこういったシステムのゲームで、何気に敵キャラもオニ星人、ではなく「鬼」で、相手の腕とか足とか切断して(スパーンと切れる)素材をガリガリ剥ぎ取っていく典型的な狩りゲーです。だからこそ今回気が付いたのだと思いますが、ある意味このゲーム内でやっていることは「GANTZ」における戦闘とほぼ同じで、負けるとキャラクターが死亡ならぬロストすることすらないものの、流れや報酬やシステムは酷似しています。
元々「GANTZ」自体が先ほどにも述べたようにその戦闘はゲーム性を付けて作られたものなので当然と言えば当然なのですが、今回この点に気が付いた際、狩りゲーのシステムは「GANTZ」と同じだというのであれば、ゲーム内のキャラクターも「GANTZ」と同じなのかな、という妙な考えが浮かんできました。具体的に言うと、ゲーム内のキャラクターは本人らの意思に反して無理やり殺し合いをさせられているのでは、と思ったわけです。
「GANTZ」の中で各キャラクターは例外こそいるものの、大半が早く化物との殺し合いから解放されたいと願っており、自分が死ぬかもしれない戦闘から逃れたいと願っていながらも意思に反して戦闘に参加させられています(拒否すると殺される)。これと同じように、狩りゲーでキャラクターを操るプレイヤーは何とも思っていませんが、ゲーム内で操られるキャラクターたちはもしかしたら、自分より遥かに巨大な化物たちとの戦いをそもそも望んでいない、というより戦いたくないと思っているかもしれません。
実際にゲーム内では馬鹿でかい鬼たちに殴られたり蹴られたり、燃やされたり凍らされたりして、喰われたり切断されたりってのはありませんが、それでもプレイヤーの意思に従って戦わせられます。もし自分が同じ立場だったら、はっきり言ってまっぴらごめんで、自分がされたら嫌なことをゲームの中では呵責なくキャラクターにはさせられるものだなという風に思えてきました。
また狩りゲーでは体力が尽きてミッションに失敗したとしても「GANTZ」みたいにキャラクターが死ぬということはありませんが、失敗したミッションには「再チャレンジ」することができ、敵を打ち倒してミッションを成功させるまで何度でも戦わせられます。また欲しい素材が手に入らなければ手に入るまで何度でも戦わせられ、「アフリカの密猟者ってこんな感じなのかな」って気分にも浸らせられます。
そもそもこのミッション失敗ですが、これもどこか「GANTZ」と被るというか、死んだ人間を何度も甦らせてプレイヤーが飽きるまで戦わせ続けるとも見えるこの行為は、改めて考えるとすごい残酷なことやらせているような気がします。もっともゲームのキャラクターがプレイヤーの意思に反し、「俺はもう戦わない!戦いたくない!」なんていうことはなく好戦的にプレイヤーの操作に従ってくれますが、そういう風に考えるのはもしかしたらプレイヤーだけだったりとかという想像も膨らみます。
果たしてここで使うのは適切かというとそうではないと思いますが、シミュレーテッドリアリティな世界がもしこういう狩りゲーの世界の中にもあるならば、狩りゲーのキャラクターたちは「GANTZ」のキャラクター達同様に非常に過酷な運命を背負わされていると言えるでしょう。
まぁそんなの気にせず今日もこの後で鬼を狩るつもりですが、ゲームの中にも現実の世界が広がっていると考えたら、狩りゲーのプレイヤーは多くのキャラの運命を弄ぶ実に残酷な神として君臨することになるでしょう。そしてこれはある意味で漫画の「GANTZ」のラストシーンにも通じると思え、だからこそ作者の奥氏は終盤で主人公らに何度も、「それでも人間の運命には、感情には価値がある!」と叫ばせたのかもしれません。
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