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2018年4月21日土曜日

財務省次官セクハラ発言議論に対する所感

 なんか自分が語ると立場的にもいろいろまずいかと思ってこの件に関しては黙ってましたが、コメントでリクエスト来てしまったのであくまで個人の立場として思うことを書いていきます。最初に書いておくと、この問題は多面的に捉えられる問題であるだけに見方によって判断が大きく変わるため、具体的にどの見地で立つかによって評価なども変わってくる問題だと思います。なので自分としては主張に立脚する立場、論点を明確にしたうえでポイントごとに書いていくことにします。

1、殴られる覚悟
 私の持論の一つに、「殴られる覚悟がある奴だけが人を殴っていい」というのがあります。これが何を言い表すのかというと、「相手に殴り返されても何も文句を言わない、批判しないというのであれば殴ってもいい」という意味ですが、本意としてはむしろ逆の言い方で、「自分は殴ってもいいが殴る相手が殴り返すことを認めない、というのを認めない」という概念です。具体的に言えば、部活の顧問と生徒の関係のように、殴り返せない立場だとわかっている相手に暴力をふるうのは認めないという考え方ですが、逆に殴り返される、逆襲に遭う覚悟を持っているなら程度を知った暴力はアリではとも考えてます。

 この価値観に立脚して今回の問題を語ると、福田事務次官が自身、若しくは身内にセクハラ発言や行為がなされても気にしないような人間であるのであれば、価値観にズレがあると考え、いくらかしょうがないし許してもいいのではと思っています。さすがにオッサン相手に「おっぱい触らせて」なんて言う発言は不毛この上ありませんが、仮に彼の家族や親戚に女性がいるとして、その人に誰かが「おっぱい触らせて」と言ったり触っても怒らないというような人であれば、いくらか問題があるとは感じるもののこうしたセクハラ発言について世間の認識とズレがあるという彼の主張に私は理解できます。
 ただし、これが逆なら話は違います。逆であるということは「自分はセクハラしてもいいが他人はしてはダメ」というクズの理論になり、強い立場を利用した弱い者いじめ以外の何物でもなくなり全力で叩き潰すべき人間の価値観と言えるでしょう。まぁこの手の「殴られる覚悟のない」クズであることはほぼ間違いないでしょうし、刑法的には自分の行為が犯罪だとわかってやっている「確信犯」と言えるでしょう。

 もし仮に私が何やってもいいってんなら、この点を敢えて突くために財務省の省庁前で目につく女性職員に対して「おっぱい触っていい?」と聞いて、イエスかノーの集計を取って報じます。セクハラだと言われれば「お前らの親玉が言ってることなのに、他の人は言っちゃ駄目だというのか!」と反論して、警察呼ばれたら「事務次官なら捕まえないのか?」と言おうかなと考えてます。まぁさすがにイエスと回答した人のを触っちゃったら紛れもない公然猥褻になるので、集計取るだけにしますが。

2、セクハラ発言録音データのリーク
 今回の問題で大きな議論となっている点として、テレビ朝日の女性記者がセクハラ発言を録音したデータを自社ではなく週刊新潮に渡して記事化したことについて賛否両論が出ていますが、私個人としては女性記者の行動は正しいと考えています。
 というのも女性記者は最初自分の上司にセクハラ発言を報道するべきか取り合ったものの「我慢しなさい」で却下されたと聞きます。いわば、ネタに対する報道化の優先権はテレビ朝日が持っていたにもかかわらずテレビ朝日はそれを使わなかっただけで、そのネタを他に報じるメディアがあるというのならばそこへ渡すのも至極当然でしょう。第一、記者が取ってくるネタというのは基本会社のものではなく記者自身のものだと私は考えます。

 むしろこの件で一番批判されるべきは、福田事務次官というよりテレビ朝日ではないかとすら思います。テレビ朝日は自社社員が受けているセクハラを黙認したにもかかわらず、ことが明るみになってからは他のメディア同様に財務省を批判しており、さらには女性記者が名乗り出ると今度は女性記者が新潮にネタを渡した行動について「遺憾だ」と変な批判の仕方をするなど、自分たちが適切に対応せず報じないと決めたにもかかわらずなんだその言い草はと見ていて感じます。
 そもそも、こんなおいしいネタを何故使おうとしなかったのか?はっきり言えば財務省は福田事務次官を怒らせては取材に支障が出るとビビった、または忖度したから以外ないでしょう。メディアとして、っていうかおいしいネタの料理の仕方的にもテレビ朝日はセンスがないと私には感じます。

3、オフレコ発言の報道可否
 今回の問題でこちらも議論となっているのは、オフレコでの発言を隠れて録音して報じたという点です。これについて否定派の意見をみていると主なものは、「オフレコでの取材は大事」、「取材者と記者の信頼は必要」、「オフレコでしか言えないこともある」などといった所じゃないかと思います。

沖縄防衛局長「犯す前に言いますか」と発言 辺野古巡り(朝日新聞)

 実は今回の報道を見て一番最初に思い出したのは上の記事でした。これは私が香港でモンハンP2Gで遊んでた2011年に出た記事ですが、概要を書くと当時の沖縄防衛局長が非公式且つオフレコでの記者懇談会(つっても居酒屋)で「(女性を)これから犯す前に犯しますよと言いますか」という発言をして更迭された事件です。
 防衛局長が言わんとしたことは、「攻撃は予告なしに来る」という趣旨のたとえだと思え、言わんとしてること自体は表現が下品であるものの私には理解できます。ただこの事件の面白いところh、多くのメディアの記者が同時に発言を聞いていたにもかかわらず(朝日新聞は同席しておらず)最初はどこも報じず、地元の琉球新報のみが報じて、それを見た他のメディアもあとからこぞって報じたという点です。

 この事件は女性蔑視発言やオフレコ内容の報道など、今回の事件と共通する点が多いように感じるのですが現時点で比較しているのは多分私だけじゃないかと思いますが(西山事件との比較は見たが)、やはりこの事件の時と今回の事件の世間の反応を見ていると本来あるべきではないずれがあるように感じます。具体的なずれの内容については触れませんが、何故そのずれが生まれるのかと言えば報じたのが女性記者本人だったからではないかと内心考えています。

 話は戻りますが、オフレコでの発言、しかも隠れ録音内容を報じることの是非について私の意見を言えば、「これの何が問題だ?」ってところです。そもそも、相手が記者であればオフレコだろうが盗み聞きだろうがその発言がニュースネタとして価値を持つ限りは報じられてしまうのが当然で、また記者としてもそれがニュース価値のあるネタであれば「今夜のおかずはイカリング」というどうでもいい発言であっても報じるのが私に言わせれば責務です。
 一例を挙げると、以前私が報じた上海大江戸温泉の記事で日本の大江戸温泉側が私の質問内容を「否定」ではなく「回答を拒否」したことを敢えて強調して記事に書きましたが、これは「回答拒否」自体がニュースであると私が考えたからです。そして今回の件でも、「おっぱい触っていい?」という発言はニュースネタとして十分価値があるように思え、実際にこれだけ大きな話題になっているんだから報じない方がおかしいというかテレビ朝日はセンスがないとしか言いようがありません。

 そして記者との信頼関係についてですが、私に言わせれば記者を信用する奴はタダの馬鹿だと思います。よくサイコパスは会社経営者とかジャーナリストに多いという人いますが、記者に関しては私もそう思え、「友人を突然ドブに蹴落として大笑いする奴ほど職業適性あるよ」と周りにも言っています。実際に多くの記者は人を躊躇なく裏切るし、同僚ですら騙し討ちし、部下にも平気で暴行するような人間ばかりというか、そういう人間じゃないと心身持ちません。そして何よりも、相手が一番嫌がる内容を暴露することこそが一番の仕事であり、一般市民ならまだしも官僚でありながら記者と信頼関係を構築するなんてアホ以外の何物でもありません。記者からしたらそんな奴いいカモで、利用するだけ利用したら情報リークして消えてもらうだけです。
 実際私も教えられましたが、記者と取材相手に友好関係などはなく、緊張感を持った敵同士の対立関係しかありません。記者としてはネタになるニュースをどう引き出すか、取材相手としては自分(自社)にとって有利な情報を如何に発信し、不利な情報を如何に隠すかというやり取りこそが「取材」であり、そこにあるのは相手をどう利用し倒すかという勝負だけです。

 もっともこう言いながらも、「協力による見返り」が期待できる相手にはそりゃ記者も便宜図ります。また何でもかんでも暴露すればいいというわけではなく、記事にしても意味ないニュース価値のない、相手にとっては暴露されたくはない情報に関しては聞かなかった振りくらいはします。これを「信頼関係」というなら言うで構いませんが、今回のセクハラ発言の件に関しては報じれば辞任に追い込めるネタなので、「利用しつくしてのポイ」なので余計な同情はいらんでしょう。

 さっきちょっと書きそびれましたけど、盗み聞き、盗み見による報道はこの世界では当然です。見られるってんなら携帯だろうが引き出しの中なんてためらいなく盗み見ますし、飲食店で何かしら面白そうな話題を誰か話していたら私だってそ知らぬふりして盗み聞いて、ネタになるなら記事化します。こうした行為からすれば隠し録音なんて、まだ面と向かって話を聞いてるんだからかわいい方じゃないかとすら思います。

 そもそも、といったらなんですが、今回のセクハラ発言は政治的内容ではないというのが私にとってはポイントです。政治的内容を含む発言であれば将来の見返りというか一部の人間の言う「信頼関係」が働いてオフレコにと言われたら確かに取り扱い上で打算が動くものの、問題となった発言はそういった類ではなくただのセクハラ発言です。そんな低レベルな発言内容に「信頼のために報じない」なんてのは私の中ではありません。ましてや、これだけのニュース価値を持つのであればなおさらです。
 中には今回の報道をハニートラップだという人もいますが、それもだからなんだってところです。特に社会報道で顕著ですが取材では如何に「相手を怒らせるか」が重要で、取材相手を挑発するだけ挑発し、怒らせて殴らせればしめたもので、「記者にも暴行」という見出しが翌日書けます。ハニートラップも同様で、記者だとわかっている相手という見え見えの罠に引っかかる奴の方が馬鹿なだけでしょう。まぁ今回の件はハニートラップ以前でしょうが。

 総じていえば、「信頼感」なんていうのは報道の世界、いやむしろ一般社会においてもまやかしでしかありません。基本的には利用価値があるかないかという打算以外なく、それすらも理解できてないというのは「利用される側」だからではないかというのが私の偽らざる心境です。

  おまけ、
 つい最近に人気声優の日笠陽子氏がラジオの番組で、カレーうどんをホースで食わされたという事実を知ってすごいカルチャーショックを受けました。声優、しかも女性で人気も高いのに、芸人以上に芸人らしいことやっててなんなのこの人と変な感銘を受けました。

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