先日、最新刊が発売されていたため長谷川哲也氏の漫画「ナポレオン~覇道進撃~」の14巻を購入しました。この巻から舞台はロシア遠征に入るのですが、知っている人には早いですがナポレオンとフランスの凋落はまさにここから始まります。このロシア遠征でナポレオンは軍事の天才とい呼ばれたかつての姿と違い、要所要所で決断ミスを犯し、挙句に部下の適切な進言すらも退けて不要な失敗を重ねていくこととなります。かつての英雄と見比べてみるとその姿は別人のようにも見え、かえってその若かりし頃の華々しい活躍を見ているだけにその落ち目ぶりには目をそむけたくなる感情すら覚えます。
「老獪」、という言葉はありますが、この言葉は実は極一部の限られた、選ばれた人間にしか実は使えない言葉だと私は思います。現実には多くの人間は若い時分のピークを過ぎると例外なく能力が落ちていき、年を取ってますます勘や経験がさえるなんて言うことは実際にはほぼ起こらないでしょう。その上で能力が落ちていく様は上記のナポレオンのように、かえってその人のピーク時を知っている人間からしたら見るに堪えない感情というものを喚起させるでしょう。
ここまで長く生きる予定はなかったものの自分もある程度年を食ったせいか、一部周りでそのように能力が落ちていく人間を目にすることも増えてきました。さすがに本人に対して直接言わないものの、「ああ以前だったらこのワードを示唆するだけで感じ取ってくれたのに」、「理解や反論する際の反応速度が前よりガクンと落ちている」などと感じることは、年々増えています。
書くいう私自身もこと表現力においては2009年が明らかにピークで、あの時のような刃物をわしづかみするかのような表現は現時点において再現することは不可能です。慎重さに欠ける文体ではあったものの、内容の深層を抉りほじくるようなあの表現力はあの時分だったからこそできたものだったのでしょう。
一応、普段の日常では反応速度や別視点、切り返しなどの点で目立つほど落ちてはいないものの、前よりコンディションに左右される量が増えている気はします。自分の密かな隠し刀こと観察力に関しては去年あたりから「そろそろヤバイ水準に入ってきた」と思えむしろ意識的に抑え込むようにしてきましたが、無意識に見透かすようなことがなんか増えてきているような気がします。
話は戻りますが、やはり能力が衰退していく様は誰にとっても、誰が対象であっても見ていて辛いものがあります。プロ野球選手なんかはこうして特集記事も作られていますが、やはり往年のスターほど晩年の成績悪化は寂しさを感じずにはいられません。それと比べると規模はちっちゃいですが、周囲の人間でも認知症発祥レベルとまで行かずとも、ちょっとした反応速度や好奇心が落ちているとはっきり認識した際は、言葉にならない感情を私も覚えます。
今思えばですが2013年に一旦日本へ帰国した際、大学時代の友人と久々に会って夜中に軽く討論となった際、「全く衰えがないね」と相手に言われたことがありました。どちらも学生の身分を離れ社会人となり思考がやや理想中心から現実中心へとシフトする立場であったものの、話題によってはまんま学生時代のまま仮定に仮定を重ねた上でどこまで論を発展させるかという鋭さにおいて、私も相手に対し全く同じ感想を覚えていました。
っていうか自分にとって相性的に一番苦手なタイプなだけに、この友人に対しては内心で「むしろ衰えていてくれ……」と願っていたのですが全く期待には応えてくれませんでした。
上記のエピソードは5年前ですが、果たして今の自分が5年前のポテンシャルを維持できているのかは自覚できません。自覚しようにも、現状のポテンシャルを最大限引き出せる相手が今周りにいないというのが大きいですが、上記とは別のまたこちらも偉く優秀だった大学時代の友人に先月会った際、めちゃくちゃハイテンポな会話を久々に堪能出来て、「相手に恵まれてないだけだな」となんか自己納得できました。
ただ真面目な話、自分の限界値と同等もしくはそれ以上の相手でなければ自分の能力は測りようがないというのは真実だと思え、逆を言えば自分の限界値を把握できるかは意識しないとできないし、出来たらすごいラッキーだと思います。自分は学生時代に自分の限界値をある程度見えたのが物凄いプラスでした。
いろいろと行ったり来たりな話をしてますがここで何を言いたいのかというと、自分の能力の衰退を抑えるというのも一つの才能であり努力だと言いたいわけです。最初に述べた通りに加齢とともに来る能力の衰退は避けられません。通常、その能力の衰退に対して知識や経験でカバーするのがこれまでの世界のルールでしたが、最近は技術や知識の陳腐化や更新が早いため、日常だとこれまでの埋め合わせが効かなくなっています。
そうした中、まぁ以前からも同じことでしょうが、年齢が上がっても往年時から衰えない、むしろ前以上にパワーアップするような人というのは非常に稀だし、たとえピーク時の能力自体が低いとしても、それを維持させるというのはもはや一つの才能であり能力だと言いたいわけです。
・【田中圭一のペンと箸-漫画家の好物-】第九話:池上遼一と福井の越前ガニ
こうした例に当てはまる人として、上のリンク先で描かれている池上遼一氏などまさに典型でしょう。この人の場合、昔から絵が綺麗だったのに年々その凄みを増してきているという恐ろしい人で、レポート漫画を描いた田中圭一氏もきちんとその点をついているあたりよく見ていると思います。
にしても、娘の中学校の課題に代筆で昇り竜描いちゃうってなにそれ……。
能力の衰退がない、むしろ前より凄みを増しているという人物として漫画家では池上氏が挙がってきますが、今それよりもホットな人物は何といっても巨人の上原投手でしょう。さすがにスタミナが落ちているからか先発ではないものの、その投球術と現時点でも日本歴代投手の中でぶっちぎりトップの制球力は圧巻というよりほかなく、同年デビューで衰退の激しい松坂投手ともどうしても比べてしまいます。上原投手の場合、メジャー帰りというのもあるからかもしれませんが前よりも投球に余裕がみえるというか、どうやって攻略すればいいのかすらわからない気迫すら感じます。
最後にちょこっとだけ書くと、能力の衰退、減衰に影響する要素を挙げるとしたら攻撃性、排他性だと私は思います。この辺はまたやる気があれば書きます。
能力の衰え・老害については二つのパターンがあると思っています。
返信削除一つ目は意欲だけはあるという衰えです。 植物に例えるなら導管と師管の区別は
つかなくなったが、養分だけは吸い上げ、伸ばさなくてもいい方向に枝を伸ばしたり
鳥も食べないような実をつけるようなものです。 老害といわれる人がこのパターン
です。
二つ目はは枯れ木のような衰えです。老害というほどの勢いもなく残った養分と水分
でかろうじて立っているような衰えです。
落ちてくなら落ちてくなりで、分相応の仕事をやってくれていたらこっちも助かるのですが、変にプライド高い人なんかは第一線に無理やり出てやらかしがちですよね。ある意味、最初に挙げたナポレオンがまさにこのパターンで、自分が全部意のままに動かせるよう、返って不適材適所な人事してワーテルローへと至ってます。
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