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2019年2月3日日曜日

責任を取る人が去り、取らない人が残る社会

 昨年秋に日本へ一時帰国した際に喫茶店でたまたま目撃した「思春期ルネサンス!ダビデ君」の単行本が出ていると知って先程購入しましたが、期待を裏切らない内容で非常に満足しています。やっぱりギャグ漫画には厨二病的なのりが重要なんだということを再確認しました。
 なお「僕のルネサンスに洗濯ばさみが」ってセリフがツボに来ました。

 話は戻りますが例の明石市の泉市長がこのほど辞任を発表しました。統一地方選前に人気切れになることから、だったらもう早くに決着をつけようっていう魂胆だったら全く問題ないですが、そうでなくもし本気で今回の一件で辞任を考えたというのであれば、個人的には非常に残念というか惜しいという気がしてなりません。
 すでに各所でも報じられている通り、泉市長自身の手腕を疑う声はほとんどなく、今回の一件に関しても必要でありながら放置されていた道路拡幅問題という内容であり、むしろあそこまで熱心にこの問題に向き合って対処したという風に世間も受け取っているように感じます。そして何より、直接叱責された職員本人が「パワハラだと感じていない」と証言していることからも、勝手にパワハラだと勘違いしたメディアを含む周囲の人間によって優秀な行政担当者を去らせてしまったともいえるかもしれません。

 以前にもこのブログで主張したことがありますが、現在の日本の出世ルートにおいて非常に重要な要素と言えるのが「責任を取らない、回避する」という概念があります。如何に社会で責任から逃れ続けて無傷で年季を重ねられるかが企業、官界、芸能界などあらゆる業界において非常に重要で、はっきり言えば自分の責任すらも他人におっかぶせるような奴ほど出生しやすいとも言えます。
 その逆に、本来取らなくてもいい、無視してもいいような問題の責任すらもきちんと取って、自らをきちんと処罰するような責任感の強い人間ほど、今の日本社会では日の目を見ません。こうした社会の空気を何となくみんな感じ取っているのか、リスクのある事案に対して誰もが忌避するような傾向が日本人を見ていて感じられます。野球で言えば、頑張れば取れるかもしれないけど失敗したらエラーとなるフライに対し、誰もキャッチを試みないような状況と言えます。

 何もこうしたリスク回避思考、無責任者がのさばるような社会は現代日本に限るわけじゃなくどの時代、どの世界でも多かれ少なかれ存在しますが、はっきり言ってその「程度」で言えば現代日本のレベルは相当高いように感じます。そう感じるのも、20年くらい前の日本であればもう少しきちんと責任を取る人間に対して評価する空気が感じられましたが、今の日本だとネット社会の隆盛故か、糾弾しようとする人の声があまりにも強くなりすぎており、責任をとったが最後一巻の終わりのような空気を感じます。

 で、はっきり言えばこんな無責任者、または責任から逃げ続けてきた人間が出世する社会が良くなるなんて私には思えません。ヤクザの世界にも「お務め」という言葉があるように(今もあるか知らないけど)、責任をとった人間に対してきちんと評価する仕組みや社会がなければ、やはり世の中はどんどんおかしくなっていく気がします。
 今回の明石市の問題ではまだ市長の発言の前後が報じられて世間は再評価を行いましたが、それでもこのような辞任というある意味ごく一部の不心得者以外誰も得しない最悪の結果を招いており、これでなにか良くなることよりも悪くなることのほうがはっきり言って多いでしょう。

 そもそもパワハラというのは、言葉の苛烈さが決めるものではなく、言葉の主張と現実実態の理不尽さによって決まるものだと私は思います。今回の場合は叱責するに足る不手際があったからこそ強烈な言葉(私はそう思わないが)で叱責が起こりましたが、明らかに実現不可能な要求であったり、規制を無視した残業強制などの事案など、理不尽な状況における罵倒こそがパワハラの条件だと考えます。具体的には、「このハゲー!」とか。

 ある意味、自分も必要以上に責任を撮ろうとする人間だからこそ日本の社会から若干追い出された感があります。本来こうした問題は上に立つ人間がきちんと識別して責任と処分をはっきりさせなければならないのですが、責任から逃れ続けて上に立った人間にそんなの期待することはできないだけに、今後もこの問題は続くことでしょう。

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