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2019年3月3日日曜日

長篠の戦いに関する考察

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|.....||__|| (     )  どうしてこうなった・・・
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| ̄ ̄\三  / ̄ ̄ ̄/  ´`ヽ、_  ノ   ´`ヽ、_  ノ
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       ∧_∧      r||__||.....| ノ     どうしてこうなっ・・・
       (     )     └‐、    レ´`ヽ
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/      y   __ノ´`     ・・・ってアレ??
|    | ( ./     /       ( ( ̄  ♪

 
 現在、上記AAのような議論が最も交わされている戦国の合戦を挙げるとすれば、それは恐らく長篠の合戦ではないかと見ています。具体的な論点は以下の通りです(カッコ内は私の意見)。

一、織田軍の鉄砲三段撃ちは本当に存在したのか(一部存在したと思う)
二、武田騎馬軍団は存在したのか(部隊レベルで、軍団レベルでは存在しない)
三、何故武田軍は撤退せず野戦に踏み込んだのか(単なる判断ミス)
四、何故武田は主力武将が軒並み戦死したのか(この後すぐ)

 ざっと上記のような論点に絞られますが、このところよく議論に上がるのは四番目です。何故かと言うと、武田軍は宿将を始め多くの武将がこの戦いで戦死しているのに対し、織田軍はほとんど誰も死んでいないほどの完勝を収めています。その一方、兵力の損耗で言えば武田軍が一万以上に対し、織田軍はほとんど戦死しなかったとする説もあれば、数千単位で実は発生していたとして実際には言われるほどの完勝ではなかったとする説もあります。
 実際、織田軍も戦死傷者がそこそこ出ていたと思われる要素はないわけでなく、というのも武田の武将の多くは織田・徳川軍の陣内で討たれており、これは味方を変えると武田軍は相手陣内にまで進軍して戦闘が起こっていたと示唆されます。論点一の鉄砲三段撃ちの疑義もあり、多量の鉄砲を運用したことは事実であっても一方的な掃射戦ではなく、実際には切合いも多かったとする意見も見受けられ、戦争の経過について議論が賑やかです。

 結論から言うと、自分は織田・徳川陣内でも激しい切合いが起こっていたとする説を支持します。何故このように考えるのかというと、陣形図と戦争結果、そして武田軍が取った戦術を考慮するとそれが適当だと思うからです。

 自分が改めてこの長篠の合戦を考えたところ、まず最初に疑問に感じたのは武田軍は何故中央突破しなかったのかという点です。武田軍は長篠城を包囲していたところ、織田・徳川の援軍が近づいてきた事に気が付き、迎撃するか撤退するかを議論して迎撃を選んだことで合戦が発生しました。
 この決断について、島津の退き口じゃないですが何故武田軍は中央突破してそのまま撤退という戦術を取らなかったのだろうかという疑問を持ちました。これなら相手に一発食らわせた上、安全な撤退も確保できるので一石二鳥になるように思え、また実際存在したか怪しいけど騎馬隊があるんだったら中央突破のほうが戦術として実行しやすいように感じたからです。

 こうした仮定を持った上で改めて武田の陣形を見ると、実は真逆だったというか武田軍は左右両翼に主力を配置して織田・徳川軍に包囲を仕掛けるような陣形を作っていました。この時点で非常に意外というか素人目的にも戦術としてありえないと感じたのですが、何故そう感じたのかというおと兵力差的におかしいからです。
 かなり意見が分かれていますが、兵力比較だと織田軍が3.8万~7.2万だったのに対し、武田軍は1.5万~2.5万です。ハンニバルのカンネーの戦い見たくうまく包囲隊形に持っていければそりゃしめたものですが、実際には兵力で大きく勝る相手に包囲戦を仕掛けるのは難しく、ましてや山間の川を挟む平地でそんなのやろうったって普通できるとは思いません。それこそ、相手兵力がまだ2.5万~3万くらいならまだ望めるでしょうが、種々の状況から察するに織田・徳川軍は武田軍の倍以上の兵力があったとされ、それほどの兵力差では包囲なんて望めるはずもなく、普通に戦ったって実際に勝てるのはフランスのダブー元帥くらいでしょう(アウエルシュタットの戦いで倍の兵力差がある敵軍とばったり遭遇し、自軍の倍以上の損耗を食らわせて完勝している)。

 ここに至りもう一つの疑問が出てきました。おわかりでしょうが、何故武田軍は包囲攻撃を仕掛けようとしたのかです。ちょっとくらいの兵力差ならともかく、現在類推される実際の兵力差からすれば包囲なんて仕掛けるべくもないほど離れているのにどうしてこうなった♪のか。考えられる理由としては、武田軍が織田・徳川軍の兵力を見誤ったからではないかと自分は思います。
 恐らく、武田軍としては相手は多くても自軍より少し多い、下手すりゃ自軍よりも少ない兵力ではないかと考えたのではないかと思います。実際にそのように判断したと思う節はあり、というのも織田軍は敢えて丘陵地帯に陣取り、野戦築城をした上で、後方の部隊を武田軍の視界に入らないようにしたと記録されています。実際に山間の地形であることを考えれば不可能ではないように思える上、こうした兵力を敢えて過小に偽装する戦術は古来から珍しくもありません。そう考えると、野戦築城も騎馬隊対策の防護柵というよりは、兵力を隠すための仕掛けだった可能性もあります。

 それ以上に、織田軍が敢えてそのように兵力を過少に見せる動機がいくらでもあることも見逃せません。鉄砲の多量配備、野戦築城を始め、明らかに織田軍は救援に来ておきながら武田軍を戦場で迎え撃つ体勢を取っており、如何に武田軍を誘引、というか攻めてこさせるかが肝心であり、そのため兵力を過小に見積もらせる戦術も意識的、というか最重要で実行されたとしても不自然ではありません。
 また過去の三方原の合戦でも、織田家は徳川家に援軍を送っていますが、連合軍の兵力は武田軍に劣っていたこともあって徳川家は大敗しており、そうした過去の成功体験も武田軍に影響したかもしれません。

 以上をまとめると、武田軍の真の敗因は鉄砲三段撃ちでもなく、騎馬隊の不在でもなく、相手兵力の過小見積りに伴い包囲攻撃を選択したという判断ミスではないかと自分は考えます。ある意味で織田軍は伏兵に近い戦術を取り、攻めかけてきた武田軍を自陣に誘い込んで鉄砲運用を含め余りある兵力で袋叩きにした、つまり自陣付近(陣内含む)でボコボコにしたのではないかという推察に自分は至りました。
 なお言うまでもないですが、武田騎馬軍団についてはその存在をかねてから疑問視しているため、騎馬突撃という戦術ははじめから考慮していません。武田軍は普通に部隊を動かして攻めかかってきたという前提で考察しています。

 ポイントを改めて述べると、やはり何故中央突破ではなく包囲攻撃を武田軍は選んだのかという点がキーです。何気に、中央には織田信長も結構前線に近いところに陣取っており、武田軍は位置をつかめなかったかもしれないけど中央突破を仕掛ける理由はあったかもと思ったのに全くそういう素振りが見えないことから、今回の考察に至りました。
 その上で、長篠の戦いにおける織田軍の最大の勝因は何かと言うと、やはり鉄砲というよりは伏勢、兵力の過小偽装による誘引にあると思います。武田軍の武将が数多く戦死したのも、敵陣深くに誘い込まれたと考えれば納得できるし、また通説より織田・徳川軍の損耗も多かったとする説も、伏兵攻撃を仕掛けたと考えれば自然でしょう(それでも完勝といえるくらい一方的だが)。

 今回、何故このような考察に至れたのかというと、やっぱり漫画の「ナポレオン-覇道進撃」を読んでるせいだと思います。この漫画だと包囲戦に持ち込むための駆け引きが非常に事細かく書かれており、何故成功したのか、失敗したのかがよく分かるように描かれています。でもって丘陵地帯での伏勢ですが、これが一番効果的に作用したと思えるのがあのワーテルローで、まさに決勝点となった箇所でもあるだけに、織田と武田の布陣図からみてはっとひらめきました。

2 件のコメント:

  1. 面白い仮説ですね。また、長篠の戦いの戦地がぬかるみの多い地で歩兵や馬の進軍がうまくできなかったことも武田軍の敗因のひとつにあげられますよね。それと武田信廉と武田信豊と穴山梅雪の優柔不断な対応も足を引っ張りましたよね。鶴翼之囲は左右の突破がうまくいけば包囲出来るのですが、それは中央がうまく敵を引き付けていればの話で、中央が瓦解すれば左右に出すぎた部隊は取り残されて殲滅されます。その中央に上記の親戚筋3将がおり、満足に戦うこともなく、撤退したために両翼の四天王をはじめ真田兄弟が戦死してますよね。極めつけは高坂昌信の不参戦も、痛かったです。

    ちなみに信長の野望戦国立志伝では武田勝頼シナリオで、ある程度持ちこたえれば、高坂昌信が救援に来て、上記の3武将が撤退することもなく逆転勝ちを収められるストーリーを見ることができます。数は織田軍4万対武田軍2万5000くらいでなかなか、やり応えのあるイベントでした。

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    1.  指摘のとおりに包囲戦仕掛けるなら中央軍が敵を引き寄せる必要があるのに、なんか戦況を見る限りだと明らかに両翼から攻めてって武田軍は自壊してるんですよね。中央軍がやる気なかったのかもしれないけど、そこらへんはやはり不自然で、自分の説的にも追加で検討が必要だと思います。
       ゲームのシナリオ戦闘だと、自分の中では「ラングリッサー2」の独立軍シナリオが一番印象深いです。光輝の軍を裏切って闇の軍に加入し、闇の軍を裏切って魔族に肩入れし、魔族も裏切ったら光輝と闇の軍に総攻撃を食らって、かつての仲間を皆殺しにしてのける呂布もびっくりなシナリオでした。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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