そんな購入したはいいけどまだ全然遊んでいないFF10とかの話はいいとして、以前に平成時代も終わったというのに「昭和的」という単語がニュース記事に出てくることについて触れましたが、あの記事書いてからしばらくして、よく昭和は前期と後期(戦前と戦後)で分けられるけど、次元の狭間的に狭間の時代があるのではと思いつきました。言うまでもなくそれはGHQ占領時代で、具体的には1945年のマッカーサー上陸から1952年のサンフランシスコ講和条約発効(締結自体は1951年)までの約7年間です。
なんとなくイメージ的には前漢と後漢の間の王莽が支配した「新」のような時代を連想させるのですが、このわずか7年、実際にはマッカーサーが激しく政策を打ち出した最初の3年間くらいの間、日本国憲法をはじめとして現在の日本の骨格なり方針がほぼすべて定められています。それだけ濃密で且つ重要な時代ではあるものの、やはり占領下ということと、その後の高度経済成長期の方が日本人の感情的によろしいためか、「昭和」という時代枠でこのGHQ占領時代、というよりマッカーサー時代が語られることは少ない気がします。
私は大分前、このGHQ占領時代に行われた農地改革について、「日本はこの農地改革を日本人自身で実行できなかったがために侵略戦争に走った節がある」と指摘しました。この意見はあまりよそでは聞かない独自性の強い意見ですが、我ながらいい点を突いているという自負があり、日本が戦争に走った一因ながら、日本を打ち負かした米国人の手によって解決されるという歴史の皮肉を上手く言い当てられたと考えています。
この農地改革を含め、やはりGHQ占領時代においてはもっと研究、検討すべき内容があるのではないかとふとこの前思い、もう一回この時代を調べないとと思ってひとまずとばかりびに「半藤一利 GHQ」で検索して買った本を今読んでいます。やはりというか自分の知らなかった事実がまだ多かったことと、1950年の朝鮮戦争勃発以前の日本の姿はどうだったのかが気になりました。ぶっちゃけこの辺、「ギブミーチョコレート!」と叫ぶ子供たちの姿ばかりが映されて、それ以外のところ、地方の生活や復員者の生活などは映されてない気がします。
その辺とかいろいろ気になるし、この時代はある意味今だからこそもっとスポットを当てるべきだと思ったのと、「孤高の人」を急に買い始めてお金減ってきたから「1946」とかいうタイトルで小説でも書こうかなとか最近考えています。このタイトルだと別の小説をパクってるとか言われそうですが、私個人としては彩京の「1945」シリーズに連なるタイトルにしたいからこうしているだけで、他意はありません。
ただ冗談をのけると、やはり日本人は1945年に過度に集中してみ過ぎており、その直後に何があったのかを再認識すべきという意味で、「1946」という単語は極めて重い意味と役割を果たすと私は考えます。具体的には1948年、マッカーサーが大統領選を見据えてある意味本気で対日政策に取り組んでいた3年間の時代はやはり、「昭和後期」とくくるのではなく、「第一生命館時代」として独立して取り扱うべきでしょう。
そういうわけでしばらく研究したらまたおいおい記事にまとめます。それにしても今どきマッカーサーを研究している人とかいるのかなぁ。
土地改革は中国でも蒋介石政権もやろうとしたけどうまくいかず、中国共産党に手柄を取られる形になってしまったのですよね。
返信削除日本は成功して蒋介石は失敗したのはやはりアメリカの力の入れように差があったのも大きいかもしれない、と思いました。
帝政ロシアも農奴解放は宣言したけど結局有名無実に終わっており、やはり難しい者なんでしょう。日本の場合は全くしがらみがなく、米軍をバックにしたマッカーサーには地主程度じゃ全く相手にならなかったというのが大きいものの、短期間であれだけスムーズに行ったのは大した手腕だと個人的に評価しています。
削除個人的にも終戦と高度経済成長期の間の空白は気になっていて、どうもこの頃ものすごく貧しい思いをした人がすごく多いっぽいんですよね。
返信削除この頃の食事がトラウマで質素なおかずを嫌う人とか、この頃の経験から貯蓄の必要性を過剰に意識してる人が多いとか、そう受け取れる話を年長者からよく聞きます。
高度経済成長からバブルまでの物質的な豊かさを求める価値観は、この時代の反動だったんじゃないかなと思ってます。
昨日書いた中内功なんかまさにその典型で、物質的豊かさが全幸福感につながると信奉していた人でしたね。もっとも失われた30年を継続中にあっては、品質的な幸福感よりも物質的な幸福感を求める人がまた増えてきた気がします(;´・ω・)
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