あと関係ないけどさっき「じぶんしか→自分鹿」と変換されましたが、Microsoft IMEは年月を経るごとに変換効率が悪化している気がします。前なんか一度も変換したことなかったのに「せっけい→雪渓」とされて会社で暴れそうになりました。
話は本題ですが先ほどふと、自分の精神は正常な状態を保っているのだろうかと考えました。理由は何故かというと手に持ってたものを落としそうになって「アブドゥルっ!」と口走ったからです。
アブドゥルというのはジョジョの奇妙な冒険に出てくる例の濃ゆいエジプト人の名ですが、自分が初めてジョジョ読んだのは幼児の頃で、しかもDIOの館でアブドゥルがゴゥンッされて片手だけ残して異次元に吹っ飛ばされる回で、激しく記憶に打ち付けられる場面でした。
このゴゥンッの際にその場にいたポルナレフが必死な形相で「アブドゥルーー!」と叫ぶのですが、なんかこれが妙にハマったというか、何か驚くようなことがあった時に何気なく「アブドゥルっ!」とつぶやいてたらガチで「おっと!」という場面でも「アブドゥルっ」というようになっていました。しかも些細なミスを犯すことを「アブドゥる」という動詞で表現することもあり、「アブドゥっちった」みたいに言います。
この癖、自分から見てもかなり変な癖で他の人には見せないようにしてますが、実際見られるというか聞かれたら「何この人(;´・ω・)」と思われることは必至です。そのため、ガチでこの癖については若干おかしいなと自分でも思っててて「正常」じゃないと思いました。
そこからまた話が急展開するのですが、思えば傍目にも完全に頭がおかしくなっててまともな判断が下せられなくなっている人も、というよりそういう人ほど自分のことを「正常だ」と言い張る場面をよく見てきたことを思い出しました。具体的にどういう人かというと、明らかに支離滅裂な指示を連発したり、道理に合わないことを急に口走ったり、完全に公私混同な行為を会社や周りのための行為だと言い張ったりなど、まとも判断を期待することの方が難しいと感じさせられるような人たちです。
一見するこういう人たちは正常に見えるのですが、何度も言う通りにまともな意思決断や取捨選択ができなくなっています。日常生活こそできるものの、集団の行動に係るような決断であっても自己保身を優先したり、どう考えてもその後不利にしかならない方針を選んだりなどと、単純に迷惑な存在です。しかもそうした誤った判断を止めようとするとやたら「自分は正常だ!」などと不必要なくらい正常アピールしてくるのも目立ちます。
はっきりいえば脳機能が低下したからかどうかまではわかりかねますが、こういうのは本人の個性とかそういう以前にもうとっくに狂ってる人たちです。しかしそんな狂ってる人ほど周りの批判とかに対して正常アピールが強く、いうなれば、正常であろうが狂ってようが、人は自分のことを正常であると言うものなので、自分が狂っていてもほぼ確実に自分自身では気づけないものだと思います。それこそ、多重人格症を自己認識とかしているようなケースを除けば。
そういう意味で冒頭に書いた通り、私自身が今の精神状態を正常であるかどうかを考えた際、自分自身ではどう頑張ったって判断のしようがないなと思い、それこそカウンセラーとか精神科医にでも相談しないとわからないなと思ったわけです。もっとも精神科医も、「日常生活でよく『アブトゥル』ってつぶやいちゃうんですけど」と相談されたら反応に困る気がしますが。
その上で、自分自身はともかく他人がもう狂ってるかどうかを判断する指標はないかなと少し考えてみたのですが、やはりキーとなるのはさっきちょこっと書いた「自己保身」じゃないかという気がします。
基本人間というのは、年を取れば取るほど欲が強くなると言いますが、中でも自己保身欲というものはこれまで自分が見て来た中で例外なく年齢とともに高まる心理だとみています。また私自身が見て来た「とうに狂ってる人」たちもまた、例外なく自己保身が常人より強い、というより自己保身の塊となっている人たちでした。そもそも彼らがめちゃくちゃな判断や行動を採る理由というのもほぼすべて自己保身に端を発するもので、自己保身そのものが人を狂わせているようにすら見えます。
仮にそうだとした場合、その人が狂ってるかどうかの一つのベンチマークとしては、自己犠牲的な行動を採れるかどうかが大きくなるように思えます。自分が一端しか関わっていなくても全責任をおっ被るとか、助ける義理もなければ将来的なリターンも期待できないのに損失を負ってでも助けようとするなど、こうした行動を直近で大なり小なり採っているかどうかが、少なくとも自己保身に狂ってるか狂ってないかを見る上で大きな指標になるんじゃないかと思えます。
でもって繰り返しになりますが、「自分は正常」というセリフには何の説得力も根拠もなく、むしろ正常な人は普通自分でそうは言わないだけに、このセリフを言う人ほどもう狂ってる可能性が高いとみるべきでしょう。
途中で書いたように、人間は精神が狂ってしまっても自分自身で認識することは難しいものです。今これ書いてる自分自身もおかしくなっている可能性もあるし、何か夢見ながら書いてる可能性もあります。といっても、自分が狂ってることを前提にすると何も行動取れなくなるので、そういう意味では狂ってないと思い込んではいるのでしょう。
それだけに、日常の判断とかで自分が狂ってる要素がないかという点についてはやっぱり注意していきたいものです。狂ってた場合、自分だけでなく周囲の足も引っ張ることとなりますし、精神ケアこそ自分自身でできないものの、体調を整えるなど体力方面から精神の回復を促すことはできるだけに、疲れなどで判断がおかしくなってきていると考えたら意識して休むようにしています。
もっとも、私は必ずしも正常であり続けたいとは全く思っていません。特に芸術などの方面においては、思考的に狂っている要素が要求されることが多々あり、私に関しては文芸ですが、その作品の価値を高める上では自らが精神的に狂うことを厭いません。
なお、「チェンソーマン」の作者の藤本タツキ氏の短編集をこの前買いましたが、あとがきで「死んだメダカ食っておなか痛くした」と書かれたエピソードみて、「やべぇこの人(;´・ω・)」と思いました。
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