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2022年9月12日月曜日

戦場の記憶と記録 後編

 前回記事では漫画「機動戦士ガンダム デイアフタートゥモロー —カイ・シデンのレポートより—」で言及されている、「記憶と記録」の相互比較の重要性について少し触れました。この点についてもう少し触ると、例え本人に関する記憶であっても、時間とともに変化することはままあります。具体的には、十年前にある事実について語った内容が、十年後にはかなり異なる内容になるとかです。
 この点は半藤一利が戦後の旧軍人らへのインタビューで非常に多かったと話しており、大抵は自己弁護のため責任箇所をぼやかしたり、美化したりするような形で変容します。それに対し半藤一利は徹底的に記録を漁り、「当時の任地はここで、あんたはその場にいなかったはずだ」などと事実面から追及してたりしたそうです。
 
 一方、記録についても同じ事実内容が永遠にそのままというわけでもありません。時々の情勢や政治などによって記録が改竄される、都合のいい内容に置き換えられるということは古今数多く、中にはそれほど特段の事情がなくても、枝葉を切り落とすような感じで整理される過程で、なかったことにされる歴史も少なくありません。

 映画「父親たちの星条旗」で語られている内容なぞ、まさにその典型と言えます。現在、米国海兵隊のシンボルともなっている「硫黄島の星条旗」の写真ですが、現代においては当時の細かい事実背景なども詳細に記録されていますが、発表当時はいろいろと現場の事実とは異なる点が多かったそうです。
 具体的には、この写真は硫黄島で2度目に掲げられた旗でした。1度目に掲げた際に旗が小さく見栄えが悪いとのことで、改めて大きな旗を用意して撮影しなおしたものですが、発表当時はこの辺の事実はあまり語られなかったそうです。

 また1度目と2度目で旗を掲げたメンバーも異なっていたほか、2度目に掲げたメンバーも一1人が別人(1度目のメンバーだった)であったりしました。旗を掲げたメンバーらはその後国債募集のヒーローとして全米各地を回らせられるのですが、若干PTSDも入っていたメンバーもおり、その後精神病となった人もいました。
 そもそも、この旗が掲げられた当時はまだ硫黄島の戦闘は終わっておらず、1度目に掲げたメンバーも複数人が戦闘中に亡くなっています。こうした事実は後年になって当事者以外にも明らかになっていきましたが、当事者付近、具体的には遺族らはこうした自らが聞き及んだ事実との相違に苦しんだと言われます。

 こうした現場の事実と報道されている事実の相違を「父親たちの星条旗」は細かく取り上げており、私は見た当初は「そこまで気にするような内容なのかな」と正直思いました。しかし冒頭に挙げた「カイ・レポ」を読んで、実際に戦場を共にしたメンバーやその遺族らからすると、ほんの小さな事実の相違とはいえ、現場の記憶と報道内容との差はいかんともしがたいストレスを感じるものになりうるもので、それほどまでに戦場の記憶というのは深いものがあるのだという風に思えるようになりました。

 この点は今のウクライナ戦争においても言えるかもしれません。ロシア軍の軍人はロシア国内では正義のための戦争に出征していることになっていますが、実際は何の大義もなく、また多くの民間人が被害に遭い、ロシアを疎む現実から脱走兵も多いと言われ、実際に亡命した兵士らもロシア国内とウクライナの現場とのギャップに我慢できなかったとも語っています。
 戦場というのはやや特殊な環境であり、その刻まれる記憶も日常のものとは一線を画すとされ特に戦友との記憶は深いものといわれます。そうした戦争体験の記憶が報道、公式記録とギャップがあれば、他の一般人からしたらそうではないものの、当人らにとっては耐え難いものにもなりうる気がします。

 一方で冒頭でも語ったように、記憶は時とともに変容しやすいです。そうした意味でも、記憶と記録をともに絶対視せず、時折比較するということは非常に重要なプロセスとなりうると思います。そうした価値観を身に着けるに当たり、この漫画はマジおすすめです。



  

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