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2023年9月10日日曜日

何故松戸はレトロになったのか

 昨日、ゲーム関係の仕事をしている中国人の友人が日本から送られてきたある写真を自分に転送してきました。その写真というのもレトロ喫茶店にあるテーブル筐体のゲーム機で、こんなゲーム機があるなんて知らなかったと伝えてきました。
 なお筐体と画面に映る「ジャレコ」のロゴから、多分その写真のゲーム機はスーパーリアル麻雀じゃないかと推測しています。

 この昔懐かしいテーブル筐体ゲーム機もさることながら、発信地が千葉県松戸市となっていたことに自分の方は反応しました。でもって 改めて中国の百度で松戸市と検索してみると「昭和風のレトロな街」として写真と共に紹介するブログが見つかりました。まさか中国人にもレトロな街と言われるとは思ってみなかったなと思うとともに、何故松戸がレトロな街になったのかちうのをちょっと考えてみました。

 松戸市は都内のベッドタウンとして主に1970年代、80年代に発達した街で、住宅情報を見てもこの時代に建てられた建物が大半だという事実も裏付けています。それに加え、バブル崩壊以降はいわゆるドーナツ化現象がぴたりと止み、再び都心へと回帰する動きが広がって、90年代以降は大きな再開発も行らなかった点もあるような気がします。
 もっともこの条件だけなら恐らくほかの地方都市にも当てはまると思いますが、松戸の場合はそこそこ都心に近く、人口も多かったこともあり、昭和にできた街が崩壊せず経済的にそのまま持続し続けることができたのではないかと推測しています。関東以外の地方都市などはアーケードがシャッター街となるなどレトロな街並みどころかゴーストな街並みを呈しているところが多く、それらと比べればまだ松戸は保存状態がいいと思えてきます。

 以上は観点な自分の当て水量ですが、レトロであるということはレトロな状態で維持、残り続けたと言い換えることもできます。その点では松戸は比較的よく持ちこたえた方だなとは思いますが、このところはようやくここにきて再開発も広がっており、また新たな転換を迎えるかもしれません。その転換は悪い方向に向かう可能性もあるでしょうが、個人的にはレトロなまんまでやってく方が松戸にとってもいいんじゃないかと思っています。

2 件のコメント:

  1. 松戸は高度経済成長期に発展しただけでなく、その頃に家を買った人々が都心で大企業や官公庁に勤める比較的裕福な家庭で、そのまま昭和の生活を続け、残す余力がある人々だった上に、その子の世代はあまり松戸に残っていないのが大きな要因なのかなと思います。
    当時建てられた建物は耐用年数的に限界があるのでいつまで残せるか怪しいですが、立て壊してゼロから作り直すのではなく、ある程度既存の雰囲気を残したまま再生したほうが、他の地域と差別化できるのかもしれませんね。

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  2.  いつもながら補足ありがとうございます。松戸に関して毎回的確に指摘してくれる辺り、もはや松戸アンバサダーと名乗っていいかもしれません。こんな称号、全くありがたくないでしょうが。
     レトロとはいえその佇まいを維持するだけでも十分誇れるのですが、松戸の建物の大半は旧建築基準で作られており、補修改修ができないというのもこのレトロ継続の密かな立役者だったりします。逆を言えば再開発には一から再開発しなくてはならず、この辺を今後行政がどういう方針を持つかで松戸の運命が決まるでしょう。
     個人的には、今のままレトロでいてくれた方が自分もいいと思うのですが。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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