先日、ウクライナ軍はクリミア半島にあるロシアのセバストポリ基地をミサイル攻撃し、収容中だった揚陸船と潜水艦を撃破するとともに、軍艦の修理、メンテナンスを行う乾ドックにも火災を起こすことに成功しました。潜水艦の撃破もさることながら、軍艦の補修を行う乾ドックに損害を与えたことは黒海艦隊の今後の活動にも大きく影響を与えるとされ、ロシア側もその被害の大きさを認めるほどのウクライナの大戦果となりました。
上記リンク先はその今回の攻撃について報道、解説した記事なのですが、この記事の中で「サン・ナゼール」という単語が出てきます。この単語こそ、自分が今回のウクライナの攻撃を初めてみたときに頭に浮かべた単語でした。
・サン=ナゼール強襲(Wikipedia)
サン・ナゼールとはフランスにある港町です。二次大戦中、フランスを占領したナチスドイツはこのサン・ナゼールを大西洋における主要な軍港として扱い、海軍基地を置くとともに大きなドックも設置していました。これに対し向き合う英国は、ドイツ潜水艦Uボートの主な発進拠点でありブリテン島から目と鼻の先にもあることから非常に厄介な拠点だと認識しており、大戦の途中からこの軍港を占領とまではいかずとも破壊することを検討し続けていました。
最終的に英国作戦本部は、この軍港をとんでもない作戦で破壊することを計画します。その作戦名は「チャリオッツ作戦」といい、爆薬を満載して偽装した軍艦をサン・ナゼールに突っ込ませるというものでした。
この作戦に英国は米国から供与されたキャンベルタウンという駆逐艦を使用することにし、可能な限りギリギリまで敵の攻撃を受けずに接近できるよう、ドイツ艦に見せる偽装を施します。その上で、突入に至るまでの地上施設破壊、そして突入後の爆破などを果たすため、まだその概念すらなかった時代において後の特殊部隊の原型となる「コマンドス」と呼ばれる特殊な訓練を受けた部隊を投入しました。
このコマンドスはキャンベルタウンの縁などに身を潜め、突入時に妨害を行うドイツ軍兵器を破壊し、突入後は敵基地施設を破壊するという任務を帯びていました。当然、言うまでもなく非常に危険な作戦であり、また撤退方法も突入後に軍港に入る高速艇に乗り換えるという成功確率の大変低いものでした。それにもかかわらずこの作戦にコマンドスたちは果敢に臨み、後に称賛されるような大きな活躍を見せます。
以上のような作戦を立てて準備を進めた英軍は、ついに決行の日である1942年3月28日を迎えます。この日の夜間にひっそりと出航したキャンベルタウンは、随行する駆逐艦2隻と脱出用の高速艇を伴ってサン・ナゼールをへと向かい、途中から単独で接近を図ります。途中、ドイツ軍の警備艇に見つかるも偽装が効果を発揮して見事やり過ごし、軍港入り口までほぼ無傷で近づくことに成功しました。
ただ入り口付近で怪しまれたことから軍港の守備隊より攻撃を受けることとなります。その際、キャンベルタウンは通信で「友軍より攻撃を受けている。直ちに止められたし」と伝え、これにドイツ軍はまんまと騙されて攻撃を止めてしまい、みすみすキャンベルタウンを軍港内に入れることとなりました。
こうして夜中1時頃、目標とする乾ドックまで約1.6キロまで近づいたサンナゼールは、ドイツ軍旗から英軍旗へと文字通り旗印を翻し、全速で一気にドックまで突っ込みます。これを見て敵艦だとようやく気が付いたドイツ軍はキャンベルタウンの突入を阻止すべく猛烈な攻撃を浴びせますが、これには乗り込んでいたコマンドスが応戦し、その妨害をはねのけ続けます。
その結果、キャンベルタウンは見事目標地に突っ込むことに成功します。なお突っ込んだ時間は計画時間に対し3分遅れという非常に正確なものだったそうです。
キャンベルタウンがドックに突っ込むと、乗り込んでいたコマンドスは地上に降りて任務となっていた基地施設の破壊活動を開始します。しかしドイツ軍の猛烈な反撃に遭い、破壊という目標自体は大半が達成できたものの、戦闘に従事した隊員からは多くの死者を出すこととなりました。また生き残った隊員も脱出に使う高速艇の多くが途中で撃沈されたことにより逃げられず、脱出をあきらめ市街戦を展開するも大半が死亡するか捕虜となって捕まり、622名のうち169名が戦死、215名が捕虜となり、計画通りに帰還できたのは228名にとどまりました。
なお脱出したうち5名は、市街地からドイツ軍の追手を振り切り、第三国のスペインを経由して英国に帰還するという離れ業を見せており、この5名には全員ヴィクトリア十字賞が授与されています。
こうした嵐のような夜が過ぎ、作戦開始から十数時間を経た同日正午頃、あらかじめ起爆措置が施されていたキャンベルタウンが満を持して爆発します。この際、突入して乗り上げていたキャンベルタウンを調査するため、一夜過ぎて見に来たドイツ軍人を300名超も巻き添えにして吹き飛んだとされ、相当な規模の爆発であったことが伺えます。
それだけの爆発であったことから、サン・ナゼールの乾ドックは完膚なきまでに破壊され、その後二次大戦期間中は一切使用することができなくなりました。多大な犠牲を払いながらも、この英国の強襲作戦は当初の目標を完全に達成したと言えます。
この作戦について自分は以前に何かをきっかけに知りましたが、敵艦に偽装して突っ込んで爆破するというまるで映画のような作戦内容と、これほど危険な作戦を遂行したコマンドスの活躍に心底恐れ入りました。このような奇抜な作戦は英国に限らず多くの国でも企画はされるものの大半は実施されず、また実施したとしても大失敗に終わることが常ですが、先ほどの正確な突入時刻といい、綿密に計画して見事成功に至らせた英国には、その国家としての強さを大いに感じさせられます。この点、日本の空虚妄動的だったインパール作戦とは大違いです。
英国本国でもこのサン・ナゼール強襲は大いに誇りに思われており、その成功を讃える賞や記念碑も数多く設けられているそうです。
前述の通り、突飛な発想ともいえる計画を見事成功に導いた英国の準備、そして人材には強く感じるものがあり、この国が世界で覇権を取ったのもごく自然な成り行きだったのだろうと深く納得させられます。それにしても英国の発想と行動力は舌を巻かせられることが多く、さすがある意味で神風ドローンの始祖ともいうべき、あのパンジャンドラムを企画だけじゃなく本当に作った国なだけあります。
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