中国人の同僚が年末年始に日本へ旅行して浅草寺あたりを回るといっていたのを耳にし、今年11月に浅草寺近くに行った際、「バーガーキングで食べたい(´・ω・)」という小学生っぽい要求してきたうちの親父を思い出しました。実際行ったけどさ。
話は本題ですが、私はかねてより医療水準の発達した現代において安楽死の議論は必要だと主張し、安楽死導入賛成派としての立場を取っています。現在すでに運用しているオランダモデルを参考に、実施前には精神科医の診断を受けるなどの手続きを設け、予後が厳しい方などに関して本人が望む場合に限り安楽死を適用すべきではないかと常々考えています。
ただこの安楽死を仮に導入した場合、死刑囚にも適用されるのか、具体的には死刑囚が死刑執行前に安楽死を望んだ場合にそれを受け入れるべきなのかという疑問がふと、プラモ買った帰りに自転車に乗りながら浮かんできました。結論から言うと、自分の中では答えが出ませんでした。
現在オランダなどで運用されている安楽死モデルでは、回復の見込みのない病気や状態の方が、病による苦痛を感じながら生きるよりも穏やかな死を望む場合に安楽死措置を取ることが認められています。この論理に則り、死刑が確定して将来ほぼ確実に寿命を迎える見込みがない死刑囚が、どうせのうのうと生かされ続けるくらいなら早く人生を終えたいとして安楽死を望んだ場合、果たしてどうなのかなという風に思ったわけです。
死刑囚の立場に則るなら、実際に以前の死刑囚でも早く執行してほしいと主張していた死刑囚もいたほか、予告なしに当日の朝に執行が通知されるのを怖がっていた死刑囚もおり、その落命する時期を自分で決めたいと思う人間がいてもおかしくはない気がします。何より、冤罪の可能性があるとして再審活動を行っている場合を除けば今後社会に出られる望みはほぼなく、だったら早くあの世に行きたいと考える心理は私個人の見解として、充分にありうるのではないかと思います。
しかし死刑というのは言うまでもなく刑罰であり、その刑罰を本人が望む形で時期を繰り延べる、見方によってはより安楽な死に方を許容するというのは刑法の精神に反するのではないかという見方もできます。あくまで処罰として、人が最も重視する生命を過去の行いに起因して取り上げるということが死刑の概念の一つとなっているだけに、その扱いを死刑囚本人に委ねさせていいものかということになります。
実際にというか、死刑囚が自殺しないように拘置所などでは対策が取られていると聞き、いわゆる死に逃げは許さないという立場を国は持っているように見えます。
その一方で、中国みたく死刑確定後にほぼ1週間以内に即執行する(即執行しない場合として執行猶予付き死刑判決というのもある)ならともかく、日本の場合は死刑確定後から実際に執行するまでは非常に長い時間がかけられます。あさま山荘事件の犯人らのように政治犯であればほぼ執行されることはなく、実質的に死刑判決の下での無期懲役というのは多少は理解できますが、凶悪な犯罪事件を起こしておきながら何年も税金で生かし続けるということを批判する声は今も昔も小さくありません。
であれば、もし死刑囚本人が安楽死による早期の死を望む場合、その要望を受け入れた方が単純な税金の使い道で言えば絶対的にプラスです。また裁判中ならまだしも、確定し本人も受け入れているのであれば、本人の申し出をもとにすぐに安楽死措置を取った方が、被害者や遺族の中にはそれを望む人もいるかもしれません。
もっとも逆に、何が何でも刑としての執行を望む声も大きいでしょうが。
以上は法の運用とお金の損得勘定的な観点での私の見方ですが、仮に倫理的な観点で見た場合、自分の命は自分自身がどう扱うかを決めるべきという価値観が重要になってくるのではないかと思います。自殺にも係わってきますが、本人がもう人生やめたいってんならその考えを尊重するのも一つの考えのように思え、それは死刑囚であるかどうかにかかわらず、人間全員それぞれに委ねられた個人の権利でもあると私は密かに考えています。
無論、死刑囚のように他人の人生をその意向を無視して奪った人間に対してもこの原則を適用すべきかと言ったらまた議論となりますが、一般の立場であれば社会への再復帰が閉ざされた状態なら安楽死が認められる可能性があることを考えると、死刑囚についても考える余地があるような気がします。
もっとも、「どうせ死ぬんだし」で安楽死をポンポン認めるというのもまた問題である気もしますが。
実際のところ、仮に安楽死が日本で認められたとしても死刑囚にはまず認められないと思います。一方で前述の通り日本では執行までの長い期間が明らかに問題でもあるので、再審の目があるというのであれば中国みたく執行猶予付き死刑として、なければ通常の死刑としてもっと短期に執行すべきじゃないかと思います。
今現在の死刑がかかってくる裁判ではゼロサムというか「死刑か無期懲役か」という隔たりの大きい判決を争うことから議論の争点が心神喪失をはじめ極端なものになりやすく、結局のところよくわからない裁判になっているような気もします。であれば案件の内容によって、死刑囚が真摯な反省の態度や行動を取り続ければ実質的に執行を行わない執行猶予付き死刑という刑罰ランクを設け、事案が重大であり且つ裁判中に反省する態度を一切見せなかったりした場合は即執行する死刑に分けた方が、司法効率的にもなんかプラスになるような気がします。またなんか話が脱線してきた気がしますが、まぁいつものことです。
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