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2026年5月24日日曜日

新海誠作品と細田守作品における二つのテーマの相性

新海誠と細田守の“作家性”はなぜ差が出た? オリジナルアニメ映画がSNS時代に直面する壁(リアルサウンド)

 ちょっと古いけど上の記事見て思ったことあったので、ほかに書くこともないのでこのネタで今日記事書きます。にしてもこの記事、何故かページタブに表示される見出しとページ内の見出しが違うんだけど、途中で変えたのだろうか?
 あと今日は雨なのでずっとスターレイルやっていたけど、クエスト多すぎて何時間もプレイしても全然メインストーリーが進まない。このテンポの悪さは明確にマイナス点だと思う。あと商業原稿書かずにずっとプレイしてたので、このブログ書いた後にまた書かなきゃ。

 話は本題に移りますが、上の記事では現代日本を代表するアニメ監督の新海誠氏と細田守氏についてその作品のテーマ性を比較しています。正直言ってその記事中の比較内容については「で、結局何が言いたいねんお前?」と言いたくなる程度でそんな勧められるものではないのですが、この二人が複数作品を通して堅持するテーマはそれぞれ二つあるという点には着目しました。
 具体的には、新海作品は「都市と田舎」、「すれ違い」に対し、細田作品は「リアルとバーチャル」、「家族」です。

 新海作品ではほぼ必ず都心と田舎のシーンが出てきて、その色遣いの鮮やかさもあって二つの風景の差を明確に表現しています。その上で主人公とヒロインのすれ違いというか、以前の作品の方が顕著ですが関係がうまくいかなかったり、「君の名は」では実時間のすれ違いを使ってたりなど、一貫してテーマとして使われ続けています。
 それに対し細田作品は一番はやはり「リアルとバーチャル」で、自分は見てないけどデジモンの作品とかでも顕著だったようですが現実世界と電脳世界を出して、「現実のようなバーチャル」と「嘘みたいな現実」をよく比較として出している気がします。その上で頑なに「家族」テーマも出し、家族は大事だというストーリーを展開して近年の作品ではかなり滑っています。

 この両氏がそれぞれ持つ二つのテーマですが、結論から言えば新海作品では相乗効果があるのに対し、細田作品ではそれが全くないような気がしました。都市と田舎ではそれぞれの生活意識や価値観は異なり、それこそ「すれ違い」というものが生じるというのもごく自然に受け取れますし、またそれをうまくストーリに組み込んでいると感じます。それに対しリアルとバーチャルが家族とどうつながっていくかと聞かれたらつながりようがないとしか言いようがなく、なんでこの二つのテーマを一つの作品の中でいつもやろうとすんのかなと疑問に思うほどです。
 特にスカーレットのダンスシーンは、見ていて共感羞恥覚えましたマジで。

 世間の評判を見ると、あと代表作の「サマーウォーズ」を見ると細田氏はどちらかというと「リアルとバーチャル」テーマの方が強いように思うのですが、近年の作品ではむしろ「家族」の方に肩入れする傾向があり、こっちの方は逆にそうでもないような感じします。まぁ「ケモナー」っていうテーマも、彼にの作品では共通してますがこれは今回は無視します。
 何が言いたいのかというと、分ければいいテーマを無理して一つの作品に突っ込むことで、ワサビと唐辛子を一緒に入れるかのように、作品としてよくない影響を自ら作り出しているのではという風に言いたいわけです。なんで寄りによってこの二つのテーマを頑なに入れようとするのか、もっといいテーマとか探してくればいいだろと思うのと、いっそこの二つのテーマを排除した作品もやってみたらという気すらします。

 「サマーウォーズ」がヒットした頃に出ていた記事をまだ覚えていますが、当時やたらと細田氏を持ち上げる記事が出ていたのに対し辛口の評論家が、「アニメ界は彼をポスト宮崎のように祭り上げて、名前だけで作品が売れるような環境にしたいだけ。彼の作品本質に迫る評価をみんなおざなりにしている」という風に書かれていました。この表現ははっきり言って私も同感で、個人的には「時をかける少女」は面白かったけど、「サマーウォーズ」については何が面白いのか、なんで売れたのかが全く分からない作品でした。海外の評価通りに、「謎に権力持ったババァが力技で騒動を解決する作品」というのが一番しっくりきますが、こうした批評を日本ではついぞ見ることありませんでした。

 一方、新海作品はかつてこそ「すれ違い」のテーマを男女の恋愛に据えていましたが、「すずめの戸締り」では親子間にもっていくなど、最初の記事のように時代によってうまくカスタマイズしている感があります。変えるもの、変えないものをうまく取捨選択できるというのは重要で、この辺でやっぱり彼の方が上手だったなというのが自分の印象です。

2 件のコメント:

  1. スタジオジブリの宮崎、高畑とはスタンスが違うので、次世代の新海、細田をポストパヤオと持て囃す記事は映画を詳しく見てねぇなと思います。
    前者は自然、神話、人間の愚かしさ等を早い動きでアニメ表現して、ミリタリー趣味を加味しながら、物語を壮大に描くのがスタジオジブリ作品の特徴です。
    後者は、家族やすれ違いなど半径1メートルの世界を情景描写とリンクさせて描いてるので、そもそもスタンスが違います。
    その分、現実描写も兼ねてるんで、ネット掲示板と親和性が高く、スカーレットの酷評も今までの恨みの如く、評価興収にも打撃を与えます。
    細田は「竜とそばかすの姫」の児童虐待のシーンしかり、「サマーウォーズ」の氷のシーンしかり、自覚あるなし問わず、ムカつくシーンをドス黒く描くので流石にあり得ねえとドン引きしてしまいます。(それも1種の才能ですが)
    新海も次が気になりますね。「三体」読んでたから、SF描写を入れると思いますが。
    今後の興収次第で、オリジナル作品が劇場公開されなくなるので、ポストジブリなんて気にせず、気軽に映画製作に励んでほしいです。

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    1.  なんだかんだ言いつつ、細田作品は私も印象に残るシーンは多く、場面の見せ方は非常に上手いのだろうなという気がします。作品を総合的に組み立てる方面がややなんだと思いますが。
       新海作品はかなりハードルの上がったすずめでもきちんと成果を出して評判も悪くなかったので、次の作品はちょっと冒険するというかチャレンジングな内容で来るかもしれません。変に保守的になるよりかは自分もチャレンジした作品を見てみたいものです。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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