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2008年2月5日火曜日

佐藤優と精神的なタフさについて

 先日に書いた田中森一の記事ですが、書き終わった後で冷静に考えてみると、検察に捕まっても、けろっとしている方が異常なような気がしました。田中氏もそうですが、これからどうやって社会でやっていこうとか、家族はどうなる、自分の子供は犯罪者の子供と呼ばれないかと心配していますが、捕まっておきながらこういう心配がない方がやっぱり変でしょう。というわけで、前回の記事で田中氏が無罪になると信じ込んでいたのは迂闊だったという私の発言は撤回します。そりゃ誰だって辛いし信じたくなるよね。

 しかしそうなると、このところ連続で書いているあの佐藤優氏は一体どうなるのだろうか。彼なんか検察に逮捕、捜査されている最中に、「自分は人見知りする性格で、これまで外務省では嫌々働いていたのだがこれで解放される。今は非常にせいせいしているよ」と話し、聞いている検事も「追い立てる自分が言うのもなんだが、早く自分のやったことを罪だと認めて、学者なり評論家なりで社会に復帰してくれ。僕個人として、君にもっと自分を大事にして欲しい」と、一体どっちがどっちを責め落とそうとしているのかわからない会話まであります。やっぱり、田中氏ではなく、こっちが異常と考えるべきでした。

 そして拘留中の記述も見比べると、実に佐藤氏の方はけろっとしているようにみえます。もっともそれは文章中だけのことで、実際はそうじゃないかもしれませんが、拘置所内でのうまくて豪華な食事やら刑務菅の態度や行動など事細かに記録しており、出所後は拘留中のホリエモンと接見し、「あのメロンの缶詰はまずい」と、お互いに納得しあっているところを見ていると、やはり相当にタフな印象を受けます。

 この佐藤氏のタフさについては、自身の著作の中で、「ソ連崩壊からしばらく続いた混乱期に、自分はたくさんのロシア人エリートの浮き沈みを見てきた。それこそ一寸先は闇のような世界で、人間が起こす悲喜劇すべてを凝縮したような世界だった。そのような世界に比べるなら、自分に起こった事など本当に些細な事にしか思えない」と述べており、その自らが見てきた経験がこのような落ち着きというか、タフさに繋がっていると示唆しています。実際、私から見ても佐藤氏のソ連崩壊時の経験が彼を特異な存在にしている主要因だと思いますが、それと共に思うのは、やはり彼がキリスト教の信仰を持ち、神学や哲学に造詣が深い事も関連しているように思えます。

 そういう風に考えていたら、以前に友人と、確か2004年に話した会話を思い出したので、そのときのログを書いておきます。

花園「自分が思うに、仏教なりキリスト教なり信仰を持っている人はちょっとやそっとじゃへこたれないような気がする。というのも、彼らは人の生死やら人生について常に深く考えていて、困難に直面した際に悩むべき問題を既に悩み、それなりの解答を出しているからだと思う」
友人「なるほどね。でもそういう風に人生について悩み抜いて、作家とか哲学家とかで自殺する人もいるけど、それはどうなのかな」
花園「うん、自分もそう思う。確かにこういったことを考えていると、やっぱり目の前が暗くなっていくようで、自分も自殺を考えたりする事もあったりする。そこでつまづいて自殺する人もいるけど、その分こういった悩みを乗り越えた後、自分は確実に精神的に強くなっている気がする。逆に、ずっと人生上がり調子で来ていて、何も悩まなかった人ほど突然のショックで自殺に走るケースのが多いんじゃないかな」
友人「そうかぁ。つまり人生に悩むと自殺するリスクは上がるけど、将来のショックには悩まなかった人より強くなるんだね。ちょっと矛盾しているようだけど、わかる気がするよ」
花園「そう。だから君もキリスト教をやろうよ」
友人「いや、何でそうなる?」

 というような会話がありました。この頃はやばいくらいキリスト教の信仰を持っていたからなぁ。
 佐藤氏は自らが大学は神学部で学び、牧師の資格をも持っており、その著作の中でも非常にこの分野において見識が広いという事が伺えます。だからこそ、このような事件に巻き込まれても非常に落ち着いており、淡々としていられるのだと思います。
 なお、今回鉤括弧でくくった引用や会話は、記憶を頼りに内容を重視して書き起こしているので、書籍中の文章や言葉をそのまま使ったわけではないのでご了解を、あしがらず。

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