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2008年2月28日木曜日

生きる気力が湧かないのは その一

 近年、日本の義務教育家では自立して生きる力を養うために「総合学習」という科目まで設けてやっていますが、それにも関わらず自殺してしまう若い子はなくなってません。それどころか、このところは「ゆとり世代」と一部の若者のあほな行動がよく取り上げられるようになり、本当に教育の効果が現れているのか疑問視されています。
 またそれと同様にいわゆるニートやひきこもりなど社会に適合できない若者も増加し、今回のお題のように近頃の若者は生きる気力が少ないと一部の専門家に言われてます。

 私自身、この意見には賛成です。やはり昔の世代と比べて歯を食いしばってでも生きようとする人間は減ったように思えます。それも、ここ十年くらいで。では、一体なぜこのようになってしまったのでしょうか。
 実はここで明らかにしますが、自分はごく普通に尋ねられた際に趣味は散歩だとかサイクリングだとか答えていますが、その裏で一部、ネクロフィリアな所もあります。どうも昔っから虫や動物の死骸がおっかなくて怖いくせに、やけに興味を持ってしげしげ見る癖があり、大抵眺めたその晩は夢にうなされていました。これはちょっと後付なのかもしれませんが、今思うとなぜあんなに興味を持ってみていたのかというと、世界中のどの世界よりリアルな描写がそこにあったからだと思います。

 あまり外来語に頼りたくはないのですが、どうも現実と仮想というよりはリアルとヴァーチャルの方が今回の意味に近いと思うので敢えて使いますが、私から見て一般に社会や言論の中で言われていることは、そのほとんどがヴァーチャルな内容だと思います。ニュースなどでとりあげらる世界も、それこそ上位階級の関心事だけで、実際に下々の苦しい生活をしている人々などはほとんど取り上げられず、視聴率が取れるということだけでホームレス特集を定期的に組むなど、リアルな世界からは乖離しているように私は思います。私が思うに、現実は生よりも死に満ち溢れているのに、社会の中では死はタブー視されて、ほとんど表に出てきません。それゆえに、死の中に私はリアルを感じたのだといまさらながら思います。まぁ死骸はリアルというか、グロテスクだけど。ちなみにグロテスクの和訳は「生々しい」です。

 ちょっと時間がないので、続きはまた明日。

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