先日、本屋で「昭和陸海軍の失敗」という新書を買いました。中身は文芸春秋で特集が組まれたときにすでに読んでいるけど、面白かったのでまた買いました。
今日、本屋で佐藤優と田中森一の対談本を買いました。自分も好きだなぁと思います。
さて今日のお題の学問をするとはということですが、結構ダイレクトにこれを聞いてもわからないという人が非常に多いです。たとえば、「君は何で社会学をやっているの? 何を持って社会学を学んだといえるの?」と聞いても、大抵はきょとんとして何も言い返してきません。その中で最も多い答えは、「社会学の知識を覚えることが、社会学を学ぶということかな」というのです。
今日は短くまとめるつもりなのでいきなり結論ですが、学問を学ぶということはその学問領域ごとの考え方を見につけるということだと、私の中国語の恩師が教えてくれました。たとえば経済学だと、いわゆる貨幣の流通過程を中心に社会を見ていき、社会学だと人間集団の行動動機から社会を見ていくようになります。さらに付け加えるなら法学は法の影響力、拘束力から、政治学は権力からで、このように思考の着眼点や組み立て方、そういったものをどこにおくかという考え方の習慣を身に着けることすなわち学問をすることと話を聞きました。その上で言ってしまえば、各学問領域の専門知識というものは後付のようなものです。もちろん、こちらも疎かにしてはいけませんけど。
そうして考え方によって分かれる学問領域なのですが、これについて別の恩師は、ある程度その学問の大家となると、別の学問の大家にもなってしまっていることが多いとも言っていました。それこそマックス・ヴェーバーなどは社会学、政治学両方の大家ですし、マルクスも経済学、社会学、哲学の大家です。ゆえに、究極的には学問領域というのはあってないようなものらしいですが、ひとまずはそれぞれの専門を身に着けることからはじめないと、どうもピンときませんね。
……短くまとめすぎたかな。
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