前回では長引く不況に対して日本政府が景気刺激策の名の元に公共事業を延々とやり続けたが、政策としてはほとんど効果が起こらなかったということを解説しました。今回では何故公共事業が効果を出さなかったのと、それと平行して失われた十年の後半に起きたデフレ現象について解説します。
まずポストモダンという言葉についてですが、本来この言葉は思想学上で用いる言葉で今回私が使用しようとする意味は全く持っておらず、便宜的に私が別の意味を持たせて造語のように使っている言葉です。この言葉の直訳は文字通りに「近代の次」という意味で、私はこれを経済学の意味合いをもたせて「生活が現代化(欧米化)を完了した次の時代」という意味合いでよく使っています。
現代化の次、と言っても恐らくピンと来ないでしょうから結論から言うと、ほとんどの世帯に生活必需品と呼ばれるものが完備された後、という意味で私はこの言葉を使っています。
高校などの歴史の時間に学んだでしょうが、かつての50、60年代には「三種の神器」といって冷蔵庫、洗濯機、テレビの三つの家電を揃えることが一種の生活上のステイタスとなり、国民の消費もこれらの生活家電へと注がれていきました。またこれらがある程度どの世帯にも普及した後には今度は「3C」といって、カラーテレビ、クーラー、自動車が先の三種の神器に代わるステイタスの証として持て囃され、これらの製品も当時の国民はこぞって購入、消費していきました。
何もこの現象は日本だけでなく、現在発展途上の東南アジア諸国やベルリンの壁崩壊後の東欧などでも歴史的にこういった生活家電や製品に集中的な消費が行われてきており、それこそ日本も当時はお金さえあればすぐにでもほしいといわんばかりにこれらの製品への需要が高かったと言われています。しかし戦後の混乱期をまだ完全に脱出していなかった50年代では三種の神器を揃えるのは至難の業だったようで、うちのお袋の家は早くにこれらを揃えていたことから、夕方になると近所の人が家にやってきてテレビの力道三の試合を皆で見ていたと言っています。
しかしこれが80年代になるとどうでしょう。言うまでもなく、この頃になると日本もすっかり金持ちになってほとんどの世帯には先ほどの家電がほぼ揃えられていました。しかしこの頃は当時に出たばかりのVHSビデオデッキなどがあり、またテレビの性能もまだまだ発展途上だったので日本人の消費意欲はまだ衰えがありませんでした。しかし90年代に至ると、それこそ生活していく上で「どうしてもあれだけは欲しい」と言われるような明確な製品や商品が完全になくなってしまいます。しいてあげるとしたらWindous95の日本語版発売とともに一気に生活家電入りしたパソコンくらいです。事実パソコンは3、4年くらい前までは売り上げ台数は年々増加していましたが、とうとうピークを割って現在は下降状態です。
これは私が確か小学六年生くらいの頃だったと思いますが、何で今は不況なのかと親父に聞いたら、皆が欲しいと思って買うような商品がないからだと私に説明しましたが、まさにこの言葉で失われた十年における消費不良を言いまとめることが出来ます。
私自身も留学時代は毎日自分で手洗いで洗濯をしていましたが、これはやはり結構労力のいる作業でした。洗濯機のない頃の主婦はこれを家族全員の分までやっていたというのですから、その苦労は相当のものでしょう。そんな人間からすれば洗濯機がなんとしても欲しいと思うというのも私は強く理解できます。しかし現代において、それほどまでどうしても手に入れたいと消費者に思わせるような製品というのは私が見回す限りありませんし、90年代はもっとありませんでした。
その結果日本の国民に起きたのが、お金はあるけど特に使うあてがない、という状態です。そのためいくら政府が公共事業で国民にお金をばら撒いたところで、90年代の後半に至っては一切それが使われずに貯蓄に回ってしまい、個人消費が一切伸びなくなりました。私はこの現象のことを経済のポストモダンと言い、生活水準が先進国に追いつくことで急激に消費が冷え込み、それまでの政策、逆を言えばまだ生活水準が追いついていなかった高度経済成長期には非常に有効であったバラ撒き政策が途端に効果をなくしてしまう現象のこととしています。
この現象は日本だけでなくそれこそアメリカやイギリスにおいても同じような現象が起きており、こうした状況から有効需要を増やす公共事業の必要性を説いたケインズ政策は過去のものだ、これからは別のスタンダードこと「第三の道」が必要なのだとして、フリードマンの新自由主義政策が生まれていくことになっていきます。
このように、お金がばら撒かれても個人消費が伸びないものだから企業も製品を安くせざるを得なくなり、このような連鎖が積もり積もって起こったのが平成デフレでした。このデフレは言葉がよく先行していますが内容をよく知らない人が多いのでちょっと説明すると、
1、物が売れない→2、値段を安くする→3、儲けが少なくなる→4、会社が従業員へ払う給料も減る→5、個人がお金がなくて物が買えなくなる→6、もっと物が売れなくなる→7、もっと値段を安くせざるを得なくなる→3に戻る
といったのが大雑把な過程です。デフレスパイラルとはよく言ったもので、悪循環がこう延々と続いていってしまう現象です。日本の場合はポストモダンに突入していた上に消費税率増加が引き金となって最初の1が起こり、そこからデフレへと突入していきました。
ちなみに、日本政府が公式にこのデフレが現象として日本に起こっていると発表したのは小泉政権が発足した後の確か2001年になってからで、私はこのデフレを恐らくわかっている人はわかっていたでしょうが政府として早くに認識して対策をしなかったというのが、非常に致命的な政策ミスだったと思っています。
結果論ですがこのデフレ現象は90年代末期にははっきりと目に見える形で起きていました。96年くらいからは今も全国展開しているダイソーが100円ショップとして生活雑貨を100円で売るようになり、99年にはマクドナルドがハンバーガー一個を従来の半分の価格の60円で売り出し、これを受けて吉野家などの外食チェーンでも猛烈なランチ価格値下げ競争が行われていました。
普通、こんだけ目の前で起こっていればデフレ懸念が出来たはずだと思うのですが、まぁ私も小さかったので細かくチェックしていませんでしたけど、あまりそういう声は当時はなかった気がします。
それでも90年代前半は以前の個人消費についての記事で説明したように、急激な個人消費の低下は起こりませんでした。これが本格的に落ち始めるのはその際に書いたように97年の消費税率増加と、バラ撒き策による誤魔化しが通用しなくなったということが原因として挙げられ、個人消費がとうとう低下を始めたことによってようやく日本は不況を実感することになります。
そういった意味で、個人消費が目に見えて低下し始めたこの97年というのは失われた十年における最も重要な年に当たり、たくさんの意味で大きな転換点となった年でした。次回ではこの97年に何が起きたのか、そしてそれ以前とそれ以後でどのように変化したのかについて解説します。
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