本日参議院にて、このところ世間をにぎわせている田母神元航空幕僚長の参考人招致が行われました。細かい内容については他の報道に譲るとしてそこで彼が話した内容を簡単にまとめると、従来の主張を曲げずに自説の正当性、そして今回のこの騒ぎは一種の言論統制に当たると主張しました。
最近は連載記事ばかりでこういう時事問題をあまり取り扱わなかったのですが、ちょっと今回の件は私としても個人的に意見を持つ内容なので、きちんと記事を書いてみようという気になりました。
まず田母神氏の主張に対してですが、やはり私としては同意しかねる問題ある意見だと思います。田母神氏は第二次世界大戦における日本の行動について一切の侵略ではないと主張しました。その根拠として、当時の世界情勢の中では他国に領土を広げるのは当然の行為だったと主張していますが、この点については既に第一次世界大戦後のウィーン会議等でみだりに他国の主権を犯すべきでないということも採択されており、そして何より、あの満州事変はどう贔屓目に考えたところで中国に対する侵略行為においてほかなりません。
この点については右翼の論客……というとちょっと語弊があるかもしれませんが、日本の正当性を強く主張する論者の藤原誠彦氏もアメリカとの戦争はしょうがないとしても中国への進軍は明らかな侵略だったとしており、またこっちは紛れもない右翼雑誌の文芸春秋でも、満州事変については軍部の暴走による侵略だと、よく保坂正康氏と半藤一利氏の昭和史家コンビが対談の度に言っています。
またアメリカとの戦争についてですが、よく日本への貿易禁輸措置によってアメリカは日本を追い込み、極東国際軍事裁判のパール判事の意見を引用しては日本は無理やり戦争に引き込まれた、打って出るしかなかったという主張がなされていますが、私としてはちょっとこの意見にも無理があると思います。というのも、実はこのアメリカの屑鉄などの貿易禁輸措置が取られる直前に日本は、それ以前に進軍していた東南アジアの北部仏印(現在のベトナム)に加え、1941年7月に南部仏印に進軍しております。
ちょっと話はややこしくなりますが、この時既にフランスはドイツ軍によって占領されており、ドイツの傀儡政権であったヴィシー政権が名目上フランス政府を代表してはいたのですが、この仏印地域の一部のフランス軍はイギリスにて亡命政府を作っていたドゴール政権を支持しており、日本はヴィシー政府の許可を得て進軍はしたのですがもちろんそういった軍の抵抗にあって戦闘も起きています。
アメリカやイギリスはもちろんドゴール政権を支持しているので、この南北仏印進駐は日本のフランスへの一方的な侵略だと批判したのですが、日本はそれに耳を貸さずに進軍しています。それでもまだ比較的戦略価値の低かった北部の進駐だけには米英もとやかくは言わなかったのですが、南部仏印の進駐に至ってとうとう侵略行為に当たるとして、禁輸措置などの制裁行為を両国は取るに至りました。
この時の禁輸措置が原因で太平洋戦争に至ったというのなら、逆を言えば南部仏印進駐が太平洋戦争の大きな引き金となったと見てもいいでしょう。実際にこの後の5ヵ月後に日本は真珠湾への奇襲攻撃を実行しています。
そしてこの時の南北仏印進駐の動機についてですが、一般的に言われているのは石油やゴムなどの資源獲得のためらしいですが、結果的にアメリカに禁輸措置を取られて余計に資源に苦しむようになったのですし、はたしてアメリカとの徹底的な関係悪化を起こすことが目に見えていたのにこの地域の占領価値はそこまで高かったのかとなると、今の私からすると非常に疑問です。よく日本の取って引き返せるルビコン川にあたるポイントは日独伊三国軍事同盟の締結前だったと言われていますが、私はそれよりもこの南部仏印進駐の方が大きいんじゃないかと思っています。
こうしたことを考慮し、「中国への進軍は侵略ではない」、「日本はアメリカによって戦争に引き込まれた」という田母神氏の意見は私とは相容れません。そして何より、結果論から言って日本は奇跡的に復興できたからいいものの、あの戦争で失った代償というのは計り知れません。結果的に負ける戦争をしてしまったこと自体が反省すべき歴史であり、奇しくも先月号の東京裁判についての対談記事の中での、これまたタイムリーですが防衛大学教授の戸坂良一氏の発言の、「負けたらこうして(東京裁判のような)仕打ちを受けるのだ。負けるような戦争を始めてはいけない」に尽き、どんな理由であれ当時の日本の行動を正当化するべきではないと思います。
おまけ
何気に高校の日本史期末テスト時、今日書いた南部仏印進駐が絡んだ時系列並び替え問題だけ間違えて、学年一位ではありましたが点数が98点になってしまったのはいい思い出です。なお当時に私は学内の日本史のテストは大体トップか二位で、おまけに受験時に世界史も科目として受けており、日本史と世界史を一緒に受ける河合塾の模試などではさすがに全国トップまでは行きませんが、両方とも結構上位に常にいました。それにしても、日本史はともかく学内で当時に世界史で私より下の点数を取った人間はどうなんだろうかと、他人事ながらちょっと心配になりました。
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