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2008年12月15日月曜日

「まず隗より始めよ」について

 今日の朝日新聞夕刊のコラム、「素粒子」にてこんな記述がありました。

「私は隗になりたい」
派遣切り避けたいと賞与返上一番に申し出た役員の物語。隗より始めよ、今時皆無の涙の感動作。

 恐らくこのコラムは昨日のトヨタの役員賞与返上発表を受けてのものでしょうが、なんていうか新聞紙がやるとトヨタへの広告費ヨイショのように見えてしまいます。

 それはともかく、ここで使われている「まず隗より始めよ」というのは私も好きな言葉です。これも中国の史記から出てきた言葉で、時は戦国時代の燕の国のエピソードで出てきます。
 当時の燕は隣国の斉に騙されて一時国を占領されてしまったのですが、苦労の末に皇太子が即位して新たな燕王となり、なんとか斉に復讐してやろうと賢者の郭隗にどうすればいいのかとたずねたところ、
「それならまず隗より、つまり私より始めればよいのです」
 と答えました。
 それはどういう意味かと燕王が尋ねると郭隗は、自分のような人材に対しても燕王がもし厚遇してくれれば、世の数多の人材は燕王を優秀な人間を大事にしてくれると思って自然と集まってくることでしょうと郭隗は続けました。

 その郭隗の話を聞いてその通りだと考えた燕王はその日から、郭隗のために屋敷を立てた上に師の様にあがめて礼を尽くしたそうです。するとその評判を聞いた優秀な人材は果たして次々と燕にやってきて、見る見るうちに燕の国力は増加していったそうです。
 なおその際に集まった人材の中でも最大級とも呼べるのが、あの諸葛亮孔明すらも菅仲と並んで人生の手本とした楽毅でした。楽毅はその後燕王の期待に答え、実に六カ国連合軍を見事にまとめ上げて燕王の悲願であった斉を完璧なまで打ち倒しました。

 ただなんというか、この楽毅も史記の人物なだけに最後は生前に失脚してしまいます。その際のエピソードがまた面白いので、この辺をまた今度に解説します。

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