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2008年12月16日火曜日

アンバランスな日本の消費構造

 前回に書いたレイオフの記事にて、仮にこの制度が使われたとしても仕事もせずに一家の主が家でぶらぶらしていると日本では後ろ指が差されてしまうのではというコメントを受けましたが、まさにその指摘の通りなのです。
 詳しくは元の記事を読んでもらいたいのですが、私としてはこの制度をきちんと運用しさえすれば労働者側にも雇用側にもプラスに働く要素があると思うのですが、実施する以前に日本の社会事情からやりづらいということもあり、実現することは現段階では私も不可能だと思っています。

 ですがそれでも私はこのレイオフ制度が実現するとしたら、日本全体に利益をもたらすと信じています。この制度のどこに私が一番期待しているかですが、

1、将来復職する見込み(可能性)がある
2、そこそこ貯金がある
3、今までゆとりがもてなかった

 この三つの条件を兼ね備えた消費者が生まれることです。この前も友人と議論しましたが、日本は働いてお金を得るようになっても、仕事が忙しくてそれを使う時間もなければ気力もないので消費をテレビCMなどでいくらかき立てようとしても実際の消費行動に結びつかない現状があります。
 これは何も私が言うまでもなくバブル期以前にアメリカから何度も内需拡大を行えと言われていた時代から続いていることで、日本一国の経済で見ると生産力が限りなく無限に近い一方、それを経済として循環するのに必要な消費力は逆に非常に低いままです。

 先ほどのレイオフがもし仮に理想的に実行されることにより、将来復職できるというある程度の見込みがあれば溜め込んだお金も無駄に貯金として貯めておかず、むしろ充電期間として消費行動に移る可能性があります。実際にうちの親父などは今年は正月休みが長いから、温泉に行きたいと今駄々をこねています。年末年始くらいおとなしくしてりゃいいのに。

 さてこんな内容なら以前にも何度か書いているのであまり珍しくないのですが、ここで一つある質問を投げかけてみます。先ほどにも言った通りに日本では給料がもらえる勤労者は忙しく、もらった給料が消費にはなかなか回らずにいるという現状ですが、では一体どんな人が主な消費を行っているのでしょうか。
 これは恐らくみんなもうすうす感づいてはいるでしょうが誰もが口を閉ざしたままの話で、私が知る限り唯一はっきりと言明したのは「カーニヴァル化する社会」の作者の鈴木謙介氏くらいですが、要するにニートやフリーターといった方たちが今の日本の消費を支えているのです。

 こんなことを言うと、ニートやフリーターの人は持っているお金がほとんどないから日本の消費に貢献しているはずないと言われるかもしれませんが、全体で見るならともかく、私は今の日本のIT産業を初めとした新興産業においてはもはやこの手の層なしでは成り立たないくらい、これらの層に消費を依存しているのではと考えています。
 この傾向が顕著なのはいわゆるアニメやマンガといったコンテンツ産業で、私などは元々けちな性格で前から全然お金を使わないのですが、このニートやフリーター層のコンテンツ産業への消費意欲は傍目から見て恐ろしいものがあり、それこそ「借金してでも買う」と言わんばかりに消費が行われます。

 こうした現状に対して鈴木謙介氏は、現代のニートやフリーター層の若者は現存する社会からは単なるお客様でいることが求められ、彼らもその求めに応じて消費者として食い物にされ続けているというような主張を先ほどの本の中でしており、私の見方もその通りです。これがどのように問題なのかというと、本来消費というのは現金を持っている層が行うものなのですが、ニートやフリーター層は職業的にも不安定で、お世辞にもあまり現金収入の少ない層です。本来使うべき層が消費せずに使うべきでない層が消費し続ける、これをアンバランスと言わずしてなんというかで、こうした現状がもしこのまま続くとしたら後々に大きな問題になると私は考えています。

 どのような問題が起きるのかというと、一つはニートやフリーター層を支える両親などの庇護者が年と共にいなくなっていくと、ただでさえ低い日本の消費力がまた更に減少します。そして彼らの生活を支えるために消費をしないがお金を稼ぐ層から税金が取られ、またニートやフリーター層にばら撒かれるという、なんだか書いててよくわからない事態だって起こるかもしれません。

 ちょっと自分でも考えがまとまっていないので脈絡のない文章になりましたが、要約するとこうなります。

・今の日本の消費を支えているのはニートやフリーター層だ
・なので彼らがいなくなると、真面目に働いている人がいる会社も共倒れになる可能性もある。
・お金を稼ぐ層がもっと消費しやすいよう、もうすこし労働環境を改善するべきだ
 
 というのが私の主張です。特に三番目を実現するには先ほどのレイオフ制度が公にも認められるような、日本全体で「働かない人間は無価値だ」という価値観を少し緩める必要があります。書いててなんだか壮大だな。

2 件のコメント:

  1.  ニートやフリーターが今の日本の消費をささえているというのはオーバーな気がします。新興産業だけの話だと思いますし。他の工作機械とか、自動車とかはニートやフリーターは関係ないので、そんなに影響はないと思います。

     働かない人間は無価値というのは、今もそういわれているのでしょうか?僕に関して言えばそうは思いませんが。
     マスコミとかはそのように言うかもしれませんが、若者の意識としては最近は希薄になっていると思います。今は、「働いて何ぼのもんじゃ」という世代の人が威張ってますが、その世代の人たちが死滅して、僕たちの世代が威張れるようになれば、自然と消えていく価値観だと思います。世代ごとで価値観ってかなり違うものだし。時が経てば、レイオフ制度は日本でも採用される可能性は十分にあるのではないでしょうか?

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  2.  うん、書いてる私もぶっちゃけオーバーだと思った。

     ただよく考えて欲しいのは、ニートやフリーターが買わなそうな、それこそサカタさんが例に挙げている車の国内消費は今、絶望的なまでに低くなってます(30年位前の水準)。工作機械についても、購入するのは企業で、今回の主題の個人消費とはまた別のものです。
     この記事で言いたかったのは、現状でなお旺盛な消費意欲があるのはニートやフリーターだけで、一般人はもうどうしようもないくらい将来の不安で持っていないという問題提起がしたくて、やや強めの表現にしてあります。

     働くことの価値観ですが、私ももうしばらく時代が進めば今よりはゆるくなって具合が良くなると思っていますが、その一方で労働への価値観が急激に転換してしまうのではという危機感もあります。
     ちょうどいい機会ですから、明日にでも労働の価値について書いてみます。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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