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2009年3月14日土曜日

格差と情報 前編

 いきなり結論ですが、私は現実にある格差の大きさより、格差が見えてしまう状態こそが一番問題であると考えております。

 これは社会学で最も有名な古典の一つであるエミール・デュルケイムの「自殺論」にて分析されている話ですが、一見すると不況期に自殺は増加するものだと考えられがちですが、統計上では好況期にも不況期と同じ程度の自殺者の増加が起こるそうです。自殺というと生活苦からくるのではと想像しがちなので、不況期に自殺が増えるのはわかるにしても、生活水準が向上する可能性の高い好況期に自殺が増えるなんて、初めて聞いたときには私も妙な風に感じました。
 デュルケイムの解釈をかいつまんで説明すると、どの人間にも「自分はこうあるべき」という自分像があり、その自分像と現実の自分の姿に差異を感じた際に人間は自殺に走るのだと、そうした自殺のことをデュルケイムは「アノミー的(無規範的)自殺」(本店の方でコメントがあり、この箇所は「アノミー的自殺」ではなく「自己本位型自殺」でした。訂正します)と呼び、私としてもこの説を支持します。

 自分像と現実に差異を感じるとはどういうことかですが、単純に言うと比較です。たとえばある人が自分は正社員で働きながらそこそこ収入を得て、かわいい彼女もいて、周りにはいい友達もいるというのを理想の自分像として持ってはいるものの、現実の自分は正社員ではなく、彼女もおらず、周りに友達もいない状況であった場合、いちいち言わなくとも相当不安とかプレッシャーを感じるであろうことがわかるでしょう。それに対して別の人が最初の人と同じ現実の状況でも、その人は別に正社員でなくともいい、彼女もいなくともいいし、この際友達もいなくてもいいという風にいつも考えている人だったら、明らかに最初の人よりは精神的には満ち足りてそうな気がします。

 こんな具合に、「自分が本来あるべきだと思う像」と「自分の現実の状況」の差が大きければ大きいほど人間は不安に感じ、その不安がある種の臨界点に達することで人間は自殺に走るというパターンのことを「自己本位型自殺」と呼びます。
 基本的に自分像というのは個人々々が持つものではありますが、その形成過程は周りから得られる情報に大きく依存しており、たとえば周りの友達皆が大型テレビを持っていたり、皆で結婚をし始めたりしたら、「俺って遅れてんじゃね?(;゚Д゚)」と大抵の人は思ってしまいます。それに対して周りがみんなテレビを持たなかったり結婚もしていなければ、「まだテレビと結婚はいいや(´ー`)」という風に覚え、こんな具合で人間、それも日本人や韓国人みたいに横並びが大好きな民族は周囲の情報によって自分像を大きく変えていきます。

 中にはそれこそ自分一人で、「マツダロードスターさえあれば他に何も要らない」とか「三食食えればそれでいい」というように周囲に影響されずに自分像を確立させてしまう人もいますがそんなのは極少数で、大抵の人は「他の人はああなんだから自分だって」と考えて、皮肉な言い方をすると自分で自分を縛ってしまいます。これが不況期であれば職を失って生活が苦しくなる現実に対し、「なんで自分は仕事がないんだ」というように覚えることから自殺に走り、好況期であれば職があるものの、「周りはあんなに稼いでいるのに何で自分の稼ぎはこれっぽっちなんだ」というように覚えて自殺に走ると、大まかに説明すればこんな感じになります。

 このデュルケイムの理論を援用すると、たとえ不況期であっても皆が皆で貧乏でそれが当たり前であれば、人間はそれほど自殺に走らなくなるということになります。言ってしまえばその通りで、そのような状況であれば少なくとも自殺にかんして、果てには生活上で受けるプレッシャーも少なくなると私は考えています。ここで私が何を言いたいのかと言うと、物質的な面より現代人は精神的な面でプレッシャーを受けやすく、その原因は格差というよりはその格差が見えてしまったり強調されてしまう現代の情報環境にあるといいたいのです。

 これは何も私だけが言っているわけじゃありませんが、日本は戦前から戦後にかけてと現代の状況を比べると、格差で言えば明らかに戦前戦後の方が大きかったです。現代は明らかにあの時代よりも物質的に豊かにもなっているにもかかわらず、テレビをつければみんなで格差格差と連呼し、格差社会の是正が声高に叫ばれています。確かに格差自体は問題ですし是正すべき問題ですが、あまりにも大きく取り上げて問題視することはそれ自体かえって問題ではないかと私は思いますし、また格差を取り上げるマスコミは言うに及ばず、その格差を強く認識してしまう社会自体も問題で、言ってしまえばただ生活する分には日本人も格差を気にしなければ精神的にはずっと充足して生活していけるのではないかと考えます。

 次回は一つそのモデルとなるかわからないですが、うちのお袋が昨日に酔っ払ってのたまった昔話をしようと思います。

3 件のコメント:

  1. 最初の「実にある格差の大きさより、格差が見えてしまう状態こそが一番問題である」はなんか違うと思ってしまいますね。見えるのが問題であるなら、金持ちは金持ちであることを隠すか、貧乏人は金持ちを視界に入れなようにするしかかないですよね。存在する物を認識するのをやめるのは不健全な気がしてしまいます。やはり格差が見えるのは問題ではなく、格差の大きさが問題なんだと思います。

    周りの友人が大型テレビを持っていたら、フランスでも羨んだり嫉妬したりすることはあると思うことはあるでしょうが、自分もそのテレビを買わなければいけないというプレッシャーは、ほとんどなさそうです。フランス人であるデュルケイムもそういった日本人特有のメンタリティは前提においていないように思います。

    あと、生活苦は自殺理由の40%-50%ぐらいだそうです。個人的にはやくざの借金取りに追われようが、死ぬことはないと思いますが、不治の病と苦痛のセットはつらそうだと思います。安楽死という考え方も理解できます。

    関連記事クリップ » 東北際立つ「生活苦」 04-06年自殺理由
    http://www.yomawari.net/index.php?itemid=442

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  2. デュルケームのアノミー的自殺の解釈が私の解釈と違うので、そこでひっかかってしまい、その後の自分像と現実の差異についても共感できませんでした。以下、私が妥当と思うアノミー的自殺の説明です。

    アノミー的自殺(仏 suiside anomique)は急激な社会変動や性的自由化などによる欲望の過度の肥大化の結果、個人の不満・焦燥・幻滅などの葛藤を経験する個人に起きやすいものであるとした。

    アノミー - Wikipedia

    つまり、不景気か好景気か、というよりも、急激な社会変化によるモラルの崩壊が自殺を増加させる、とデュケームは言っています。

    「自殺論」は19世紀末の自殺者の増加を受けたフランスの本なので、今の日本にぴったりあてはめて考えることは難しいですが、現代の日本の自殺は、デュルケームの類型でいうと「自己本位型」も多いのではないかとと思います。自己本位型の自殺の動機づけは,献身・信頼対象の喪失であり、日本の社会、現代の精神病理に当てはまると思うからです。

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  3. >Sophieさんへ
     自殺する動機はSophieさんの言う通りだったようで、生活苦によるのは二割強のようですね。ちょっと調子に乗って表現を誤りました。ご指摘、ありがとうございます。

     格差の見え方については意見が分かれてしまいますが、全部が全部そうだとは言うつもりはありませんが、私は金持ちはある程度その振る舞いを隠すことも必要だと考えています。それこそ好況期ならいざ知らず、不況の真っ只中で企業がコストカットを強要されている中で社長は好況期同様に派手な振る舞いをしていればモチベーションも下がりますし、政治家や経営者というのは「見せる」ことも仕事のうちだと考えています。前に一回取り上げた土光敏夫氏などは自ら率先して、経費を削っている姿を見せるように心がけていたそうですし(通勤はバス)。

    >megumiさんへ
     ご指摘ありがとうございます。言われるとおりに、この場合はアノミーではなく自己本位型自殺でした。この辺の区別が曖昧なまま書いてしまっておりました。
     あと日本の自殺に当てはまるかどうかですが、これは私はあまり主題においていません。この記事でデュルケイムの分析を取り上げたのは自己像と現実像の乖離から人間は不安を覚えるのではということを書きたくて紹介しました。本題は次の記事なので、できればそちらもご覧ください。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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