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2009年6月12日金曜日

献血について

 以前に友人から、構想中の小説のプロットとしてこんな話を聞かされました。
 なんでもその小説は究極なまでに合理、効率化された未来からやってきた「モルトン・クリードマン」という男が、どれだけそのような未来が素晴らしいかということを主人公に話して聞かせるという内容だそうで、その中のあくまで究極的に合理化された未来での話として、未来での医療現場ではクローンの技術がふんだんに使われており、遺伝子操作によって脳の思考をつかさどる部位をあらかじめ潰した人間のクローンをカテーテルから強制的に栄養を付与して育て続け、そのクローン人間から延々と血液を抜き出すことで輸血用の血液を安定的に確保する、人間を以って人間の血液を精製し続けるという話がありました。しかもそのクローンは血液に留まらず、必要とあれば内蔵も移植用に抜き出されて使われるという話で、恐らく倫理観や道徳を一切無視して合理化をとことんまで追求するとこんなことまで起きかねない、クローン技術がこんな風に使われかねないという皮肉を込めて友人はこの話を盛り込んだのだと思います。

 この話を聞いた私の第一印象はもちろん「気持ち悪い」という印象でしたが、その一方で今の献血体制の危うさも遠からず突いているという気もしました。私は年に複数回は確実に献血に行くヘビードナーですが、どうも関係者に聞くと日本の医療現場では慢性的に血液が不足しているそうです。まず血液はそれほど保存がきかない上に必要な際に一度に大量に使うことが多く、なかなか安定して確保している状態を保てないそうです。さらに日本の場合は売血行為というか輸血者に金銭での謝礼を支払うことを禁じており、その中でどうやって献血に来てもらうかと各団体は報酬に頭を悩ませているそうです。

 特に最近は新型インフルエンザの流行でドナーがなお一層集めづらくなっており、手術などに使う輸血はもちろんのこと、血友病患者のための血小板献血もなかなか集められないそうです。こうした状況を考えると、先ほどのモルトン・クリードマンの未来の話は確かに倫理的に今の私には認めたくない手段ながらも、それで血液を安定的に確保できるのならと全部が全部反対する気にまではなれません。
 しかし現代の献血行為についても今でも反対する団体などが数多くおり、また明治頃までは一般民衆の間でも他人の血を自分に入れるなどという心理的抵抗が強かったとききます。恐らくモルトン・クリードマンでなくとも、今の私が江戸時代の人に現代の献血治療を話せば相当な抵抗感を覚えられるでしょう。

 そういう時の流れを考えると、これから数百年後には同じ事を私が言われているかもしれません。とはいえ現在もクローンについては慎重に議論が続けられておりますが、いくら効率的だからといって全体の倫理感を一挙に飛び越えるような新たな治療法をそうやすやすと導入するべきではないと思います。また今の献血についてはやっぱりまだ助け合いという意識が根底にあるので、反対する団体や個人がいるのはわかりますが、やっぱり無いよりはあった方がいいと思いますし、現代の倫理観からそう大きくは外れていないと思います。そういうわけなので明日は血小板献血に行こうと思うのですが、ちょっと今週からある薬を毎日飲まなきゃいけなくなったので受けられるかどうか微妙です。血の気の多さは折り紙付きなんだけどなぁ。

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