前日の夜行列車は朝早くに南京に到着し、乗っていた私も無事に列車を降りる事が出来ました。時間は確か朝の六時とかなりの早朝で、それほどおなかはすいていなかったので自販機でコーラだけ買って朝食代わりに飲みました。
この南京へは南京大虐殺の記念館を見る以外はこれといってあらかじめ見に行く目的物はなかったのですが、北京にて購入していた旅行ガイドブックを参考にしながらまずは辛亥革命の立役者である孫文の眠る山へと訪れる事にしました。ちなみにこの孫文は中国では「孫中山」とよく呼ばれているのですが、この中山という名前は彼が日本にて活動していた際に使っていた偽名の「中山悟」から取られております。恐らく、日本人も中国人もあまり知らないと思う由来でしょうが。
それで早速その孫文の眠る山へと向かおうとしたのですが、地図で見るとそれほどでもない距離に見えたので歩いていこうと思ったのが運の尽き、やけに距離があった上に近くの天文観測所のある山を間違えて登ってしまうなどとんでもなく回り道をしてしまいました。あとくだらない事ですが、この道すがらなぜか道路の上に壊れたマネキンが捨てられていて妙に怖かったのを憶えています。
また先ほど山に登ったと書きましたが、中国は日本と違って内陸部ならまだしも海岸部の都市の山はどれも低く、日本で言えば丘程度の高さです。それでも疲れる事は疲れますが。
そんな風にして最終的には孫文の墓があると言う目的の山の前まで来たものの、すでに10キロ近くを朝っぱらから歩いていて疲れてしまい、もうどうでもいい気になって結局そっちは登らずに通り過ぎて、そこでタクシーを拾って次の目的地の「太平天国博物館」へ向かうことにしました。最初にケチるからこうなるんだろうな。
その次の目的地の「太平天国博物館」ですが、これは太平天国の乱という、19世紀の中国で起こった反乱の歴史についていろいろとまとめた博物館です。そもそもの太平天国の乱はというのは日本史で言えば黒船来航に匹敵する中国近代史の始まりとされる事件で、後の清朝崩壊の最初のきっかけであったと現在評価されております。事件の内容はキリスト教主義を掲げる拝上帝会(=太平天国)の洪秀全が起こした反乱で、一時は南京を含む南方の主要都市を制圧したもののその後は内部分裂を起こして清朝に制圧されたという事件のことです。なおこの鎮圧には義勇軍らが活躍し、その義勇軍を率いた者の中には下関条約締結時の清朝代表を務めた李鴻章がおります。あと現在「LIAR GAME」が売れている漫画家の甲斐谷忍氏は過去にこの事件を題材に取った「太平天国演義」という漫画を描いていますが、こちらは途中で雑誌が廃刊して未完のままです。
話は戻ってその博物館ですが、恐らく当時の屋敷跡を使っているのか非常に趣のある建物で、中庭など今でもその情景をよく覚えております。展示物も中国語と英語の説明書きとともに程よく揃っており、もしこれから南京に訪れる予定がある方にはぜひともお勧めのスポットです。
細かいことについてはこれ以上特段記す事は少ないのですが、太平天国の乱の終結時を説明しているパネルにて当時の知識人たちの太平天国に対する見方という欄が用意されており、そこで孫文が語った内容として以下のように記されていました。
「彼らは理想に邁進している時は一致団結して事に当たっていたが、いざ理想が現実と化して来るとそれぞれが欲を出し、持分を奪い合ったことがその身を滅ぼすこととなった」
なかなか含蓄に深い内容に思えてわざわざメモを取っていたわけなのですが、実際に組織というのは目標や理想が遥か彼方にあるときは夢に燃えていられるが、夢が現実に近づくと内部抗争が始まったりする事は少なくない。日本史だと信長亡き後の織田家がこの例に当てはまるが、中国史だと本当にこういうのばっかでいちいち例を挙げてられない。
その後、博物館近くの食堂にて昼食を取り、メインイベントとなる南京大虐殺の記念館へ向かってタクシーに乗り込みました。着いてみてから気がつきましたが、この博物館がある場所は中心部から大分はずれておりあたり一体は全部更地で、なんとなくウェスタンな気分にさせられました。
そんなこんなしながら入り口へと行ってみるとなんと入場はタダでした。言っては悪いですが、こういうことは中国では珍しいです。
それでこの施設ですが、当初私は南京大虐殺の博物館のような場所を想像していたのですが、実際には博物館と言うよりは慰霊所であり、風の吹き抜ける広々とした場所にデザインの凝った建築物がいくつか点在しておりました。そうした建築物の中の一つに人骨の発掘現場の上にガラスをそのまま張ったものがあり、生前にどのように殺されたのか人骨ごとに事細かに説明書きがありました。またこの記念館にこれまでやってきた要人の写真も一覧にされて展示されており、その中には日本の旧社会党の議員らも入っていました。まぁ行くのは勝手ですけど。
そんな記念館を後にすると私はまたタクシーに乗って、南京駅へと一旦戻りました。この南京市に限らず中国は街自体がとてつもなく広くて観光地が同じ都市の中でもえらく離れている事は珍しくありません。日本の京都なんかは狭い場所にいくつも観光地が密集していて非常に周りやすくていいのですが、中国を旅行する上でこういった点はあらかじめ留意しておく必要があるでしょう。
南京駅に戻った私はその日は早めに宿を取ってから夕食にして、次の日早朝にすでに上海行きの切符を取っていたので早くに休もうと考えて、宿を探す事にしました。それで早速駅前にある中国の郵便局が一緒に経営しているような簡易宿泊所に行って部屋は空いているかと聞いたところ、私の不自然な発音に相手がすぐに反応して外国人は泊まれないよと先に断ってきました。私と大学寮にて相部屋だったドゥーフェイもかつてスケート場に入ろうとした所を外国人故に断られたといっており、事があり、レイシズム(=民族主義は最低の思想だとお互いに非難しあった事がありましたが、ひょんなことからこの時自分も経験する事になりました。
最初に入った宿で断られてとぼとぼと外に出てみると、宿を探しているのかと呼び込みのおばさんにいきなりつかまえられました。値段を聞いてみると一人一泊40元とのことで、せっかくの機会だから最低レベルの宿泊所を体験したいと考えていたのもあり、渡りに船と思いおばさんに言われるまま止められていた車に乗り込んで、本音ではあまり望ましくなかったものの駅前から少し離れた宿泊所へと向かいました。
その宿泊所は表向きは悪くなさそうな感じで、入ってみるや私と一緒についてきたおばさんが、「100元払えばすごくいい部屋になるんだけど」と、多少は覚悟していた足元を見た売込みががやはり来た。だがそれでも私は40元でと押し、そしたら今度は60元だとまた違うなどとしつこく食い下がられて結局その60元の部屋を取ることに決めました。
恐らくここがこの旅行の一番のハイライトなのですが、その案内された60元の部屋は暖房つきという触れ込みだったものの、暖房は確かにあるのですが窓枠が壊れてて、どんなに頑張ってもきちんと窓が閉まらなくて寒風が常に吹き荒ぶ部屋でした。時期も一月、中国南方といえども気温は昼間で摂氏一度前後。しかもよく調べてみると備えつきのシャワー、トイレはえらく汚く、なおかつトイレは水を流そうとしても流れない。
これも一つの経験だなどと無理に自分を言い聞かせて夕食まで少し仮眠をとろうと布団に入ったのですが……どれだけ布団にいても無限に体温が奪われる一方でした。まだ中国語が不慣れながらもさすがに言うべきことは言おうとフロントへと文句を行った所、フロントの女性が私と一緒にその部屋へ来て何を言うかと思ったら、「窓は閉まらなくとも暖房があるじゃないか」と言ってきました。こっちが何度も暖房があっても窓が閉まらなければ意味がないだろうと反論するも従業員はうっとうしそうに聞くだけで、しつこく私が食い下がっているとそれなら部屋を変えてやると言い、新たに地下の部屋へを案内しました。
確かに地下なら窓もないだろうし、この部屋ほど寒くはないだろうという安直な気持ちを持って案内された部屋に入ったのですが、窓は確かになかったものの今度は暖房が全く動きませんでした。何度も書きますがこの時は一月、いくら寒さに強い私でもこれではたまったものではありません。それでも暖房が動かないくらいならまだ我慢したでしょうが、この上に部屋中があまりにもかび臭く、ちょっと長くはいられそうにない部屋でした。
あくまで私の推測ですが、あの部屋は掃除もほとんどされてなかったのだとおもいます。とにもかくにもひどいカビ臭さの上にシャワーは先ほどの部屋同様にまたえらく汚く、布団も真冬だというのにまたよく湿っていました。
さすがに二部屋連続でこの様な部屋に案内されたことによって堪忍袋の緒が切れ、それまでの気後れがどこ吹く風か怒涛の勢いを以ってフロントへと押しかけました。
ここで一つ中国語を話す人間に対するよくある誤解を説明しますが、中国は言うまでもなくとてつもなく広い国で方言も果てしなく分派しており、一言に中国語を話せると言っても北京語、広東語、あとベースは北京語だけどそれでも北京語とはちょっと違う中国での標準語、いわゆる普通話のどれか一つが話せるというのが普通です。ちなみに私は普通話しか話せません。
普通話しか話せず、それすれもまだ不十分な人間が訛りの強い南方に行くもんですからはっきり行って簡単な会話ですらなかなかうまく伝わりません。本当にこの時は北京では通用するのにと何度も思ったほどです。しかも頭にきていてただでさえ下手な中国語がやけに早口になるのでフロントの従業員は私の訴えがよく聞き取れず、この時はお互いに激しく一方的な言い合いを続けました。
あれこれ言い合ってもなかなか話がつかない状態に痺れを切らした宿泊所の従業員は、恐らく支配人らしき英語がやや使える中年の女性を連れてきて、私に対して英語で話かけてきました。対する私も英語に切り替えて先ほどまで説明していた内容を改めて説明するとその女性は、「100元の部屋なら絶対に大丈夫だから」などと、料金を上乗せしてグレードの高い部屋へ移ることを提案してきましたが、変な部屋に連続で案内された上さらにに料金を上乗せしろと言われて私はまたヒートアップし、「I can't trust you!」と英語で言った後にさらに中国語で、「我不能相信你们!」をひたすら連呼し、払った宿代は要らないから押金(=宿泊する前に払う保障費。部屋を出る際に客へと返されるもので、この時は40元取られていた)だけ早く返せと、いつもこれくらいの度胸があれば怖いものなんてないのにというくらいの剣幕で迫り、向こうも最後はしぶしぶ40元の返還に応じました。もっとも、宿代の60元は結局空払いになりましたが。
そんなやり取りを経て無駄金を使って宿を出ると、私は再び南京駅まで歩いて戻りました。距離にして約一キロ半でしたが、朝からの強行軍がたたって足がひどく痛み出し、一歩一歩が非常に重たかったです。
そうしてこの日三回目の南京駅へと着くと、待っていたかのように再び新たなキャッチに捕まった。今度はじいさんのキャッチでしがまた40元の部屋があるというのでとりあえず見せてみろとついていってみると、今度は車で移動するという事もなく希望通りに南京駅から本当に近いところへと案内されました。ただ一つ気になったのは、どっからどう見てもそこは2LDKくらいのアパートの一室にしか見えなかったことです。
中に入ってみるとまた格別というか、普通のアパートの部屋の中に板を立てることで細かく区切って客室を作っており、なんというか子供が作る秘密基地のような光景でした。ただ室内自体は決して悪くなく、もうすでに相当疲労していたので、そのままそこに宿をとることにしました。それで早速宿帳に記名をして料金を払おうとすると、宿の人間が自分が日本人だとわかるや外国人なら暖かいところがいいだろうと暖房のある部屋をわざわざあてがってくれました。
案内された部屋は先ほども言った通りに板で区切っただけの部屋で広さは大体二畳程度。暖房はすぐ近くに設置されてあるへやなのですが、恐らく暖房の熱気を分けるために部屋を区切る板は天井にまで届いておらず、やや不満点を挙げると後から来た客の喧騒がすこしうるさかったです。
しかしベッドの布団はきちんとしていて暖かく、なおかつ暖房もよく効いているので決して寝心地は悪くありませんでした。
結局すでに大分疲れていたのでそのままその日は夕食もとらずにそのまま布団に入って寝ようとしたのですが、足の疲労から来る痛みが激しく、眠れないまま一晩中その痛みにさい悩まされたのが実情でした。おまけに先ほど行ったように防音性の低い板壁のため、後から来た客にうとうとしていたところを何度起こされたことか。それでも暖かいだけでも全然ありがたかったですが。
そんな風にして悶々と夜を迎え、痛みを我慢しているうちにいつしか私も眠っていたのですが、夜中にトイレに行きたくなって一人目を覚ましてしまいトイレへ行こうと部屋を出たところ、ちょっと面食らう光景がそこにありました。その光景と言うのも文字通り、足の踏み場もないほど床に人間が転がって寝ていたという光景です。
恐らくあの時に床で寝ていた人は地方から出てきた出稼ぎ労働者たちだったと思います。昼間は外で働き夜は値段の安いこの宿泊所に寝るという生活をしている人たちだと思うのですが、それこそ寝転ぶ隙間もないくらい狭い空間にびっしりと、しかも薄そうな布団を巻きつけて寝ていました。
そんな光景に驚きつつ少ない足場を渡りトイレへ行き用を済ませて出てくると、物音に気がついた何人かが私に視線を向けてきた。彼らは私の顔を見てちょっと不思議そうな表情をするてまた目をつぶり、相手が目をつぶるのを見て私もまた部屋へと戻りました。
当初でこそ私は部屋は暖かいけど外の音がうるさいことを不満に感じましたが、自分があてがわれた部屋は形ながら個人用の部屋で、この部屋をあてがってくれた宿の人間に改めて感謝の気持ちを覚えました。その一方でこうして雑魚寝をしながら日々働く中国人らを見たことで、わずかではありますが中国の社会を垣間見ることができたように覚えました。
その雑魚寝をしている人たちのことを思うと、現在の自分の状況がいかに恵まれているかのと思わされます。それと同時にその人たちの苦労を不憫に思います。
返信削除それにしても、花園さんを優遇したのといい雑魚寝を許すなど温情的な主人だったのですね。
こういった簡易宿泊所は実は今、日本でもやや問題になってきております。それこそこの中国で私が泊まった宿のように日雇い労働者に寝床だけ提供する宿がいわゆるドヤ街に昔はあったのですが、現在地域を管理する自治体が街の美観を損ねるとして、営業許可証のないことを理由に排除しており、結果的に宿泊者は漫画喫茶に流れている状況です。
返信削除それだったら見逃した方がいいんじゃないかと、でもって余裕があったら自分もそういう施設を経営してみたいと考えているわけです。