一昨日は飲み会、昨日は午前に風呂屋に行って半日眠り、FFタクティクスをやっていたので更新が滞っておりました。それにしても、寝ようと思えば半日寝られるようになった自分がこのところすごいと思う。
そんな言い訳はどうでもいいとして今日の本題に移ります。
一般に儒学と言うと日本人にとってすれば江戸時代の学問で、主君に対して何が何でも忠孝を尽くすべきだと教えるような学問だと捉えられがちですが、結論から言うとこれは儒学は儒学でも朱子学という一派の考え方で、必ずしも儒学全体の価値観ではありません。では本来の儒学は一体どんな事を教えているのかと言えば、学派によっていろいろ違いますが原典である孔子の論語を紐解いてみると、確かに「忠」、「孝」の重要性は強く説かれているものの、それ以上に「仁」や「義」の重要性との比較も行われていて必ずしもそんな事は述べられておりません。
では具体的に孔子はどのようにこの辺のことについて書いてあるのかというと、さすがに論語のどの編に書かれてあるかまではいちいち覚えていませんが、まず主君に対して心から仕える重要性は全体を通して貫かれているのですが、そんな中でこんな一遍があります。
「もしお前(弟子)が仕えた君主が仁の道に背く者であれば、直ちにその主君に暇乞いして離れなさい」
簡単に言い換えると、誰かに仕官が出来たとしてもその主君が暗愚、もしくは冷酷な人間だと分かったら決して与してはならず、その人物の元を辞去しなさいと孔子は述べております。
この編に限らなくとも孔子は論語の中で一貫として理想の統治者(君子)に近い人物には持てる力を尽くして協力して、逆に道に背くものには殺せとまでは言いませんが、いくら生活のためだとしても与せず、またそうした人物を遠ざけて逆に社会に有意義な人物を取り立ててくべきだと強く主張されています。
私が最初に論語を読んだ時、孔子というのはこうも砕けた考え方をしていたのかとちょっと驚きました。それこそ最初は朱子学のようにたとえ主君が暗愚だと分かっていながらも精一杯に忠義を貫くべきだという風に書かれているのかと思っており、まともな人じゃなければ仕えちゃ駄目だよといっているようなこの部分を読んで考え方を改めさせられました。
この辺について私の恩師(中国古典が専門)に詳しく話を聞いてみたところ、何でも朱子学というのは儒学の中でも極左派とも言うべき極端な学派で本国中国では創始者の朱熹が亡くなった後は割と廃れていったのに対し、何故か遠く離れた朝鮮半島と日本に渡るとメジャーな一派となっていったそうなのです。
確かにそういわれてみると、論語に書かれている内容と朱子学の概念というのはどうにも距離があるように私にも思えてきました。それとともに、日本で儒学というとどうにも古い価値概念のように捉われがちですが、改めて原典から発掘していく価値があるのではないかと思うようになって、その後現在に至るまで論語は繰り返し読み続けております。
ちなみに日本に渡ってそこそこ広まった別の儒学の学派に陽明学というのもあります。これは王陽明に始まる学派で物凄く簡単に一言で言い表すなら、「あれこれ考えてる暇があったら、行動してなんぼでしょ」と言わんばかりの、実践第一を旨とする学問です。そのせいかこの陽明学を信奉していた江戸時代の人物を並び立てると、
・大塩平八郎
・佐久間象山
・吉田松陰
・高杉晋作
・西郷隆盛
・河井継之助
と、見るからに喧嘩っ早そうで、実際に革命なり反乱を起した人物が見事に並んできます。こうしてみると思想がどれだけ人間に影響を与えるのかがよくわかるのですが、今日のお題ともなっている反逆の儒学を信奉している私はどうなるのか、上記の陽明学徒同様に目上の人間を見限ることが早い人間になるのではないかと早くも心配です。
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