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2010年7月15日木曜日

児玉源太郎の政治観

 前からよく、日露戦争について日本は乃木稀典よりも今日取り上げる児玉源太郎をもっと取り上げるべきじゃなんじゃないかと私は思っていました。

児玉源太郎

 知っている人には説明無用ですが、この児玉源太郎という人物は日露戦争において陸軍を実質的に切り盛りしていた人物で、戦費の調達から海軍との折衝、米国への和平仲介依頼から戦争指揮まで、どんだけ万能なんだよと言いたくなるほどの八面六臂の活躍を見せました。
 特に有名なのは乃木と共に参加した二〇三高地での戦いで、現在もその評価を巡る議論が激しく行われていますが、日本軍で最も多くの戦死者を出したこの戦いはどう見たって乃木が無謀な突撃を繰り返して徒に損害を大きくしたのに対し、援護砲撃を加えての攻撃で見事陥落させたのは児玉の力による所が大きい気がします。

 そんな児玉ですが、あくまで私の見方ですが、どうもこの人は自分のことを軍人というよりは政治家と見ていたような節がある気がします。実際に彼の経歴を調べると西南戦争中に熊本城で防衛を見事に果たすなど軍人らしい活躍も多いのですが、台湾総督として現地で施政を行ったりしているなど政治家としての働きも非常に多い事が分かります。
 極め付けが彼自身の発言で、これは昔に「その時、歴史が動いた」で見た話ですが、政治ということについて以下のように述べたそうです

「政治というのは大鉈を振るうような仕事で、細々とは決して行ってはならない」

 この児玉の発言を私なりに解釈すると、何もかもを見通せて万事問題なく政治を運ぶ事など不可能であり、またそうした細かいことにいちいち対応していては課題が山積みとなって行く一方。それであれば細かい事に逡巡して方向性を間違えないよう、対極観を持って大きく政策を動かしていくべきだ、という風に受け取りました。

 思うに近年の日本の政治はこのような大原則というものがなく、言ってしまえば非常に小さな話題に必死こいて多くの時間だけが割かれているようにしか見えません。そういうどうでもいいような国会議論を見るたびにこの児玉の言葉が思い出され、村山富一氏もちょっと前に言っていましたが今の政治家は本当にちっちゃい連中ばかりになったんだなぁという気がします。

 そんな政治家としての児玉ですが、彼の政治的功績でいえばなんと言っても台湾総督時代の施政でしょう。熱帯地域に属する台湾では現在もデング熱など様々な疫病がありますが、当時は今以上にインフラも衛生も整っていなかったために結構ひどい状況だったそうです。そんな台湾に乗り込んできた児玉は自らがヘッドハンティングして来た、こちらも後の日本に大きな影響を残す後藤新平と見事なコンビネーションを見せて台湾の衛生環境を劇的に改善する事に成功しました。
 この後に後藤は児玉から日露戦争後に日本が得た満州地域の開発のために満鉄総裁就任を依頼されますが、最初はこの依頼を断ったそうです。しかしその直後に児玉が突然死したため、運命だと自分に言い聞かせて初代満鉄総裁に就任して辣腕を振るう事になります。

 その後藤の格言ですが、折角なのでこれも引用しておきます。

「金を残して死ぬ者は下。仕事を残して死ぬ者は中。人を残して死ぬ者は上だ」


 なんとなく、児玉と後藤の関係を見ていると感慨深い言葉に私は聞こえます。

 おまけ
 Wikipediaの児玉のページにてこんな面白い逸話がありました。
 日露戦争後に東京で日露戦争にまつわる展示会があり、その場で若い陸軍将校二人が児玉のことを褒め称えていると、
「児玉はそれほどたいした男ではありませんよ(‐ω‐)」
 と、ボソリとした声がしたので何を言うかと将校らが振り返ると、なんとそこには児玉本人が立っていたので大いに驚いたそうで。

  おまけ2
 本当にどうでもいいですが、二〇三高地は私も去年に登ってきました。日露戦争の写真で見るとはげ山ですが、現在では結構緑も茂っており、夏に行ったので無性に熱かったです。

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