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2011年7月3日日曜日

卑弥呼の比定人物

 昨日の記事でも書きましたが、私は現在の日本古代史を研究する学者らは根拠が薄弱にもかかわらず邪馬台国とヤマト王権を結び付けようとする人物が多いような気がします。その結び付けの代表格は今日取り上げる邪馬台国の女王こと卑弥呼で、彼女に関しては実に数多くの古事記、日本書紀中の人物が比定されております。

 まずその代表格というか戦前に強かった説として、神功皇后説があります。この神功皇后というのは女性の身で妊娠したまま朝鮮半島にまで出陣したという如何にも神話に出てきそうな人物で未だに実在したかどうかがはっきりしないものの、日本書紀中で彼女が出てくるシーンに魏志倭人伝からの引用があったことから「卑弥呼ではないか(゚∀゚)」とかなり安直に主張されたそうです。ただ元々も魏志倭人伝には卑弥呼は生涯独身で子供もおらず弟しかいなかったと書かれていることから、明らかに記述が一致しません。もはや取り上げる必要もないかと思いますし、学会もはっきりと否定すべきではないでしょうか。

 次によく槍玉に挙げられ現在最有力候補とされているのは、倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)です。彼女は孝霊天皇の皇女で資料中の記述は卑弥呼同様に巫女的性質が強い人物として書かれてあり、夫に関しては蛇の神様という点でも確かに比定に足る要素は多いです。それ以上に彼女の墓とされる箸墓古墳の設立年代や卑弥呼の没年、そして魏志倭人伝の墓の規模などが近いということから結構真剣に議論されているようですが、それでも私としてはこれで卑弥呼が倭迹迹日百襲媛命だとするにはまだまだ根拠が少なすぎると思います。
 卑弥呼が誰なのかを特定するのに一番の材料はやはり魏志倭人伝中に書かれている卑弥呼の墓で、その点では箸墓古墳から推定するのは方向性としては間違いではないものの、確たる材料もないにもかかわらず倭迹迹日百襲媛命説がここまで出張るべきかといわれたら私は疑います。むしろそれ以外の可能性、卑弥呼は卑弥呼でヤマト王権の関係者ではないという可能性の方が依然として高いように思えます。無論それをはっきりさせるためには箸墓古墳をより調査するに越したことはないのですが、ここは宮内庁がイデオロギーの関係で仁徳天皇稜同様に全く調査許可を出さず、数年前にちょこっとだけさせてもらえただけなので今後の進展はなかなか難しいでしょう。

 繰り返しになりますが私は現時点において卑弥呼は卑弥呼で、古事記や日本書紀中に出てくる人物で該当する者はいないのではないかと考えております。だからといって歴史的価値が低いわけではなく、古代において中国と接触した人物であることから研究対象としての価値は高く、今後の研究発展を楽しみに待ちたい人物であります。

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