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2011年11月10日木曜日

秀吉のバテレン追放令の背後にあったもの

 どうでもいい話ですが三菱自動車がミラージュを来年復刻させるそうです。元々好きだった車種」だっただけに非常にうれしいニュースですが、もう少しあのフェイスはどうにかならないものかとちょっと思います。ブーレイ顔といい、社内で似たようなデザインばかりというのも……。

 話は本題に移りますが、豊臣秀吉が実施したバテレン追放令は皆さんご存知でしょうか。これは恐らく日本としては初めてのキリスト教に対する制限策に当たるわけですが、主君だった織田信長はキリスト教を手厚く保護していたのに対し、秀吉は方針を180度転換して抑えにかかったわけです。何故秀吉がキリスト教を制限しようとしたのか高校の授業などでは恐らく、「一向宗のように宗教勢力の拡大を恐れた」という風に教えていかと思います。

 ただこれにははっきりとした矛盾があり、秀吉はキリスト教の宣教師に対して国外追放をしたものの彼らを直接攻撃したり排斥したりするようなことはなく、また日本国内のキリスト教徒に対してはその信仰を続けることを認めています。一向宗のように反抗勢力化するのを恐れたというのであれば、何故後の江戸幕府のように信仰自体も禁止(禁教)しなかったのか、実際に昔に私も疑問に感じました。
 ここで結論を述べると、確実な説ではないものの秀吉が宣教師を追放した背景には彼らが日本人を奴隷として海外に売り飛ばしていたという事実と、日本を植民地化するという考えを持っていたからだと言われており、私も現時点でこの説を支持しています。

 日本人奴隷についてはキリスト教が広く普及していた九州で顕著に行われてたそうで、島津氏討伐のために九州を訪れた秀吉がこれを目の当たりにしたことから追放令を出したとされています。実際にこの追放令が出たのは九州平定直後で、時系列的にも納得のいく流れです。
 この件では実際に秀吉は宣教師に対して問いただしておりますが、その際にある宣教師は「日本人が日本人を奴隷として売ってきたんだ」と言い訳したそうですが、それを海外に流通させているのはお前たちだろうと時空を超えて突っ込みたくなるようないいわけです。実際に当時は東南アジアなどで売られていった日本人奴隷が確認されています。

 次に日本植民地化計画についてですが、これなんかも実にはっきりしているというか言ってしまえばカトリックの常套手段です。やり方はいたって簡単で国交のない地域に最初に商人を送り交易を始めさせ、次に技術を教えると言って宣教師を送りカトリック信者を増やす。そして一定度まで信者を増やしそこそこの権力者を入信させたらそいつらを先兵にして軍隊を送り込み、一気にその地域を占領して植民地化するというのが実際にあちこちで実行されました。
 日本に関しても例外ではなく、ガスパール・コエリョなど一部の宣教師は明確にこういった意図を持って活動していたそうです。

 ただ宣教師らの目論見は秀吉が追放令を出し、徳川幕府が徹底的に禁教したことで完全に断たれ、隣の中国でも同じく禁教令が出されて締め出される結果となっています。ただカトリックと違って、「お金さえくれれば何も言わない」と言ってはばからない新教ことプロテスタントの連中に対しては門戸が開かれ、日本は鎖国中にもオランダとだけは唯一国交を保ち続けました。人間やっぱり、ビジネスライクな人間と相手する方が楽なんでしょうね。

 私が思うに恐らく、「奴隷」という言葉が出てくるためにここまで高校の授業では教えず、あいまいな理由で追放令が出されたと説明されているんだと思います。ただこうした中途半端な教え方は生徒の理解を妨げかねず、はっきりとこの辺まで教えた方がいいでしょう。それにしてもアフリカの奴隷貿易は教える癖に、こっちは教えないというのもなぁ。

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