初めにまた本題とは関係ありませんが、下記のインタビュー記事が面白かったので紹介しておきます。
・【水内茂幸の夜の政論】民主津村氏宿舎で男鍋「反ポピュリズム再編だ」与謝野氏の遺産が民主救うか(産経新聞)
内容は民主党の津村啓介議員の政策インタビューですが、インタビュー現場は津村議員の議員宿舎で学生さながらの鍋パーティをしながらという。しかも最初は一体改革論議、次期選挙の争点と真面目な内容なのに途中からまだ独身の津村議員の失恋話に発展していきしまいには、
「女が持つのは上書き可能なCDーRW一枚だが、男は一回記録したら上書きできないCDーRを何枚も持っている。男は未練がましいのかな。本当は不燃ゴミの日に全部出しちゃって過去を捨てるべきなのに」(津村議員)
という名言まで飛び出る始末でした。なかなか面白いなこの企画。
そうしたことはさておき今日の本題に移りますが、ほかの人はどうかはわかりませんが私は社会学を出身としているだけに物事に対して因果関係からまず疑います。勝手な想像で悪いですが物理系とか経済系は「原因→結果」というロジックを重視しているように見えますが、我々の社会学は「原因⇔結果」など、双方向的アプローチで物事を捉えようとするところがあり、ややもすればひねくれた見方をすることも多いです。今回ここで紹介する「イエ意識」についての内容も、過分にそのような要素を持っております。
恐らく一見してみて「なんで家意識と漢字で書かないの?」と思われるでしょうが、特段思い入れがあるわけではないものの一応社会学としての専門用語を優先してカタカナ表記の「イエ意識」で今回は統一します。さてこのイエ意識ですが、どういったものを指すのかというと普通に想像される通りに「祖先や家族など血縁に対して強い意識を持つ」、「家系のつながり(系譜)を大事にする」といった価値観のことです。私がここで言うまでもなくこのようなイエ意識は昭和時代と現代とを比べると明らかに減少しており、もはや古い価値観や保守的な考え方と言われても仕方のない現状をしております。
では逆に、どうして以前はこうしたイエ意識が大事に持たれたのでしょうか。こういうことを言うと中には「江戸時代に築かれた儒教意識が影響しているのでは」と考える人もいるでしょうが、私はこうした考えについては否定的な立場を取ります。根拠としてはいくつかあり、まず単純なものとしては儒教が存在しなかった国や地域、具体的には中東などでも先祖崇拝や家族主義的な価値観が強く、これらも立派なイエ意識と呼べるのではと考えるからです。また江戸時代の日本に限定しても儒教教育が強くなされていた武士層の人口割合は非常に小さく、逆に圧倒的大多数を占めていた農民層は儒教教育がどこまで施されていたのか、また武士との間でイエ意識に差があったのかといった点でも疑問に感じます。
今回の件に限るわけじゃありませんが、儒教はよくいじめ問題とかにも引っ張り出されて悪者扱いされることがあるものの、私は世間で言われているほど儒教というものはそれほど日本人の思想に影響を与えているとは思えず、体のいいスケープゴートになっているだけじゃないかという気がします。
では儒教でなければ一体何が日本人のイエ意識に影響を与えているのかですが、ずばり私の仮説を挙げさせてもらうとそれは「相続されるべき財産の存在」じゃないかとにらんでいます。
まず日本の財産相続の歴史を簡単に話しますが、平安時代については諸説あってまだ確としていないものの、鎌倉時代においてはどうも男女問わず分割相続されていたようです。ただこの方法だと田畑が縮小して生活を成り立たせ辛くなったために室町時代には嫡男への単一相続方式が確立され、江戸時代において嫡男には相続する権利が認められる代わりに相続権のない弟や妹といった庶子の生活の面倒をみる義務が発生することとなりました。
こうした相続の過程で着目するべきなのは言うまでもなく嫡男で、嫡男からすると若いうちに家を守ったり両親を助けることは将来自分が相続する財産を守ったり増やしたりすることと同義で、自分が当主となった後も自分の嫡男へと遺産を相続させるためには家を保つことが肝心になります。また嫡男以外の庶子にとっても田地を新規開拓するなど独立して生計を立てるのならばともかく、成人後の生活は当主たる嫡男のおこぼれというか面倒を見てもらわなければ生きていくことは難しい一方、イエ意識を持ち実家を盛り立てようとする立場を持つことでいざという時の逃げ場所を確保することが出来ます。
私はこのような財産相続という制度が下地となり、明治期においては長男は兵役が免除されるようになったというように法律上でも確立されたことで日本人のイエ意識が出来上がったと考えています。これは逆に言えば、相続するべき財産がなくなるということはイエ意識もなくなるということでもあり、儒教精神の退廃とか思想上の原因ではなく単純に金銭的な問題でイエ意識は現代において勢いをなくしたとも見ています。
日本のイエ意識を語る上で戦後の高度経済成長期に起こった核家族化は見逃すことが出来ず、単純にこれによって地方にある実家との距離が離れたことや庶子らも独立して生計を立てられるようになったことでイエ意識が減少したとみることが出来ます。ただ敢えて財産相続に着目して変化を追うと、相続が以前の嫡男への単一相続から分割相続が増え始め、また相続されるべき家や土地といった財産も都市生活では扱いづらいものになってきたことによってイエ意識も揺らいだのではないかともみれないでしょうか。
以上のような考察を踏まえて今後のイエ意識の予想を述べると、このまま減少していくのではないかと思う一方で強まる可能性ももしかしたらあるんじゃないかと考えています。その理由は今後、というか現在進行形で今の日本社会は過去の貯金を取り崩して生きているような状態で、ニートや引きこもりといった財産のある両親の支援なしでは生活出来ない人たちも増えており、相続という概念が以前より意味合いを増してくるのではないかと見ているからです。あとさらに付け加えると、私の仮説ではイエ意識は相続財産があって初めて成り立つものであるため、家系とかにやたらこだわるのは比較的余裕のある家、階層で言うならアッパークラスほどこの傾向が強いとも言えるんじゃないかと密かに考えているわけです。
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