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2012年1月8日日曜日

与謝野晶子の教科書の扱いについて

与謝野晶子(Wikipedia)

 与謝野晶子とくれば明治から昭和にかけて活躍した女流歌人として中学生以上の日本人なら誰もが知っている人物ですが、実はここだけの話、私は教科書における彼女の扱いにかねてから不満を持っております。別に与謝野晶子に対して何か恨みがあるわけでもないですし彼女の業績、そして和歌は素人ながら高く評価しているのですが、日本の教科書では「日露戦争に対して和歌で反戦を主張した女性」として紹介されるのが我慢ならないのです。

 件の和歌というのは言うまでもないでしょうがいわゆる「君死にたまふことなかれ」で戦地に赴く弟の身を案じる歌だったのですが、確かにこの和歌が発表された当時は国よりも家族のことが大事なのかといろいろ批判を受け反戦思想家と思われたようですが、恐らくこの時の与謝野晶子の心境というのは単純に、戦争どうこうは無視してその歌の通りに弟のことだけを心配していただけかと言われております。というのも後年、与謝野晶子は第一次大戦、二次大戦の頃には「ガンバレ日本!」ってな感じの、日本の戦争勝利を祈るようなかなり好戦的な和歌を詠んでいるからで、本人も言っていますが根っからの反戦主義者でなかったというのは間違いないと言っていいでしょう。

 にも関わらずここまで与謝野晶子が「反戦主義者」として現代日本で祭り上げられているのは、はっきり言いますが橋本大阪府知事が現在目の敵にしている日教組をはじめとした一部の集団による事実歪曲があったからでしょう。こう考える根拠として、日露戦争時より明らかに言論弾圧が激しかったにもかかわらずシャレや冗談抜きで徹頭徹尾で反戦を主張し政府を批判し続けた、石橋湛山については「反戦主義者」として教科書では教えられていないからです。この理由はあくまで私の推測ですが、石橋湛山は戦後に自由民主党に在籍したからだと思います。

 一応、日露戦争時の反戦主義者としては与謝野晶子のほかにも内村鑑三(この人は根っからの反戦主義者、ってかお上嫌いだった人)もよく一緒に教えられていますが、私は与謝野晶子を反戦主義者だったと教えることは彼女の実情から認識を遠ざけてしまうと考えており、「まぁこんな歌も歌ってたよ」と教えるくらいの方がいいと思っています。

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