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2012年8月13日月曜日

意志の強い人間について

 昨日の記事で私は人間の性格なんて言うものは環境によって容易に変わり得ると主張しましたが、その一方で環境に左右されにくい人間もいるのでは、そういう人間は一般的に「意思が強い人」なのではという意見を書きました。今日はここからさらに掘り下げて、意思が強いという人間について考察を書いていきます。

 まず意志が強い人間とはどんな人間を指すのかですが、私の中の定義ではどんな場所でも自分の意思を貫き通すというか、あきらめの悪いような人間を指すかと思います。それこそ受験勉強を例にとると目標とする学校に合格するためには膨大な量の勉強時間が必要となると、それを苦にせずきちんと果たすような具合の人間がそれで、逆に理想は高くてもその理想の実現に必要な努力をしようとしない、または途中であきらめてしまうのは「意志薄弱」と言えるでしょう。
 またある意味では妥協をしないというか、自分が正しいと思うことを信じ続けて、どんな逆境においてもそれを主張し続けるというのも意志が強いといえるでしょう。これも例を取るなら戦前の山本五十六など、勝てないとわかっている日米戦に対して暗殺予告が来ても主張し続けるようなもので、昨日の南原繁の話じゃないですがこういう人間が当時も今も日本には少ない気がします。どうでもいいですが南原の弟子の丸山眞男はあまり好きじゃないです。

 昨日にも書きましたがこうした意思の強い人間は恐らく、現代社会、というかほとんどの時代で爪弾きにあうでしょう。いつの時代、どの国でも直言居士というものは大抵煙たがられるもので、逆に妥協を是とする人間はどの時代、どの集団でもちやほやされるでしょう。またさらに言えば、意志の強い人間が変な方向に理想とか思想を持ってしまうのも非常に問題です。例は悪いですが極左やオウム真理教に走った人間はこの典型で、方向性さえ間違えなければと周囲の人間が言う世にその気真面目さがおかしな方向に行って世の中を悪くさせてしまう結果となりました。

 ここまで書いていると意志の強い人間はさも面倒くさそうな人間に見えてきますが、それでも私は意志の強い人間に強い憧れを持つと同時に、そうした人間を明らかに好んでいると言い切れます。私自身はどちらかと言えば意志が弱い方で言いたいことを時たまかみつぶすことがありますが、人間いうべき時は言わないと物事がおかしな方向へ行ってしまうと常々感じます。それこそ空気に支配された集団ほどどうしようもないものはなく、そうした空気に抗する人間というものは一定数は必ず必要だと思います。
 なんでこれほど意志の強い人間にこだわるのかですが、もうはっきり書いてしまえばこうした人間をないがしろにしてきたからこそ今の日本の苦境があると思うからです。オリンパスの損失隠しを例にとることなく、日本では問題に対して真正面から取り組もうとする人間がパージされる一方で責任逃れがうまい人間が出世していきます。このオリンパスの問題も外国人社長によって初めて明らかになったことを考えると、これは日本人、というより日本社会が劣っているという風に考えてもいいでしょう。

 また古くは山一證券でも、破綻の数ヶ月前にしっかりと対策を取っていれば破綻を免れたと元社員が書いているにつけ、責任逃れこそが山一を破たんさせた最大の原因のように思います。なんかちょっと話がずれてきているように感じますが、真面目に意志の強い人間がもっと世の中に出る必要があると感じつつあることからこうして記事にすることにしました。

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