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2013年6月22日土曜日

このブログの公正・公平さについて

 日本に帰国してからこのブログの読者と会う機会が増えていますが、その際にブログの感想を尋ねるとよく、「発信される意見がどれも公平な視点で書かれている」ということを数多く聞きます。このブログは現在、歴史系記事がアクセスゲッターとなってはありますが一応は政治解説ブログとして出発しており書いてる本人は今も政治解説ブログだと信じており、政治というやや機微なテーマを扱うことから偏った意見を発信するブログにしてはいけないとは心がけていたものの、こうして読者から公正・公平という意見をもらえて素直にうれしく感じました。
 もっとも、こんなことを言ってもらえるのはわざわざ会ってくれるほどのコアな読者だったためと言われればそれまでなのですが、折角だから具体的に私が意見を主張する上でどのような点にを気を付けているのか、またどういったところが公平だと見てもらえているのかを今日はちょっと書いてみようかと思います。

 まず先にも書いた通りに、このブログを起ち上げるに当たってなるべく公正な視点で政治意見を主張しようと一応は気を付けており、気を付けるに当たって主に意識したのは以下の三点です。

自分の立場、身分を明確にする
最終的に自分がどの意見を支持するのかを明示する
わからないことははっきりとわからないと明示する

 ごくごく単純ですが、この三原則は意識して守るようにしております。

<自分の立場、身分を明確にする>
 上から解説していくと1番目は基本中の基本ではありますが、はっきり書けば大手マスコミなどが疎かにしている点だと言ってもいいと思います。たとえば非正規雇用問題を書くに当たって私が正社員か、契約社員か、フリーターか、その属性によって主張する意見は同じでも中身は変わってしまうこともあります。正社員の手厚い保護手当への批判をフリーターの身分で行うよりも正社員の身分で批判する方が説得力があるのは言うまでもないことですが、一番よくないのは自分がフリーターなのか正社員なのか、どっちの身分に今いるのかを明らかにしないことだと思います。読者の側からしたらこんなの見えるわけがなく筆者の側から提示するよりほかないわけですが、その意見に対する判断材料としても重要になってくるものなだけに言われなくても筆者側が明らかにすべき情報だと私は考えます。

 ただ先ほどの正社員の手当てに関するものであればまだ正社員でもフリーターでも意見の中身がしっかりしていれば大きな問題にはなりませんが、それこそ死刑廃立問題、原発再稼働問題においては立場や身分を隠し立てすることは完全に欺瞞となります。昨年などは原発再稼働を市民に問う意見公聴会で電力会社社員が組織的に参加し、かつ自分が利益受益者であることを隠しながら再稼働に賛成という意見を主張しましたが、これなどまさに我田引水な駄目な典型でしょう。
 大手メディアも死刑問題や税制問題において専門家の意見を取り上げることがありますが、こういうのは大抵そのメディアが持つ意見に近い片側の専門家で占められる(死刑問題なら廃立派の専門家しか出さないなど)ことが多いにもかかわらず、さも中立を装って専門家の意見として載せるのを見てたら読者もいい気がしないでしょう。だったらもっと堂々と、「うちの新聞は廃立派だ!存立派の意見聞きたきゃヨソ行けヨソ!」と言い切った方がいいんじゃないかと他人事ながら思います。一回でいいからこんなこと書く新聞見てみたいな( ・∀・)イイ!!

<最終的に自分がどの意見を支持するのかを明示する>
 次に2番目についてですが、基本的にこのブログではよっぽどのことがない限り判断材料となる肯定派、否定派の意見を両論併記するようにしております。そして両論を併記した上で筆者である私はどっちの意見が優勢であるかを判断し、自分の支持する意見を直接的にはっきりと書くように心掛けています。
 これも大手メディアに多いのですが両論を併記しただけで投げっ放すというか、どっちの意見が書き手として正しいと思うかは書かないことが多いです。まぁこの辺に関してはメディアも企業という立場もあるのだし多少は理解できなくはないのですが、私自身もそうですが読者としては読後に消化不良な感じを持たざるを得ず、私自身がそういうのに不満だから「じゃあ俺が書いてやるよ( ゚Д゚)ドルァ!!」ってばかりにこのブログを始めたきっかけになったのですが。

 ただこの意見を明示するという行為ですが、この辺の書き方は地味に自分のストロングポイントというか腕の見せ所なのかなと思う時があります。基本的に私が意見を主張する際は、「100%絶対的にこっちが正しい」と書くことも結構ありますが、実際には8:2ないし6:4でこっちの意見が正しいと思うというような、否定する意見にも一理あると思うことが多いです。一理はあるものの全体的利益や現在の情勢、下手したら私個人の感情を考慮した上で優先すべきは賛成する意見だという具合にして自分の立場を明示するわけですが、この辺の感覚をどのように読者に伝えるかはなかなか難しく今でもまだ力が及んでないとは自覚するものの、そもそもこういう書き方をする意見発信者が世の中で極端に少ないため、私個人の勝手な当て推量ですが読者の人からしたら新鮮に映っているのかもしれません。

わからないことははっきりとわからないと明示する
 最後のこの原則もそうですが、基本的に意見を主張する際は言い切った方が絶対的に得です。「~はこうなる!」といった具合に言い切って、もしその予想が間違えていたら、「外しました。予想が甘かったです(´・ω・)スマソ」と言い切ると相手側も批判し辛くなります。たまにこれを理解してなくて、「~になる可能性も無きにしも非ずという意見があり」などと書いたり言ったりする輩もいますがこれだと聞いてる側も不快感覚えるし、外した際も曖昧に弁明してたらその態度自体が批判されることになります。どうでもいいですが、前職の上司も講演をする際は、「外してもいいから予想を言う時は自信たっぷりな振りして言う」と言っており、何事も言い切った方がいいと言った自分を何故か誉めてくれました。

 それでこのわからないことをはっきりと明示することについてですが、予想や判断をする上ですべての判断材料を網羅することは無理に決まっており、基本的には手持ちの判断材料で決めるしかありません。ではその判断材料から漏れたものはどうするかといったら無視するよりほかなく、たとえば現地に住んでいる人の感情などはわかりようがないのですが、こうした材料についてなるべく言及する様には心がけています。書き方としては、「現地住民はどのように感じているかわからないまでも、あくまで外から見ている立場の自分の意見は~」といった具合で、最初の「立場や身分を明示する」という原則にも通じますがどの重要な判断材料を無視した、またはわからないかは書くに越したことはありません。逆に知らないにもかかわらず知った風な口きいて書くのは私個人も気に入りませんし、読む側からもいい気がしないでしょう。
 このわからないということをはっきりわからないと言うことについてはちょっとバックグラウンドがあり、この辺の経緯についてはまた次回に紹介します。

 またずいぶんと長くなりましたが、自分が公正・公平を期すために気をつけている点はざっと以上の三点です。細かい点ならまだありますが私個人としては上記の三点をきちんと守ってさえ言れば大きく道を外すことはないと考えており、もし自分の意見が公平に見られているのならこうした原則が担保してくれているのだと思います。

4 件のコメント:

  1. お久しぶりです。
    毎回、楽しく拝見させていただいております(^^)
    ブログというのはココに来て、
    完全に系統化してきましたね。
    例えば芸能人ブログにみられるような、
    「祭り」系と、
    花園さんのようなブログに見られる
    「ガチ」系というカンジで。
    そのほかにも「アート」系とか
    「告知」系等々。

    そして、このガチ系の魅力でもある、
    マスメディアの手の届かないところ、
    スキマ的なネタ見えにくい影の部分を
    照らすネタなど、
    今後、ガチ系の価値というのは、
    益々出て来るかと思います。
    お互い、批判のリスクと向き合いながらも、
    私もまた花園さんたちとガチ系で
    「真剣勝負」し続けたいと思いました。
    上記の3点。非常に心に響きます・・・




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    1.  自分も「ガチ系ブログ」っていう言葉が妙に胸に響きました。これからは自ら「ガチ系政治ブログ 陽月秘話」って感じで標榜してこうかなと思います。
       自分も端っことはいえマスメディアに関わった際、やはり会社の立場上、好き勝手に書けないのだなというもどかしさを本当に痛感しました。一方、ブログであれば個人の責任(読む側にとっても)なのできわどい予想や激しい言葉による批判も展開することができ、潮風大使さんのいう通りにブログジャーナリズムというのは何かしら社会にとって価値があるものだと私も考えています。
       貢献できると言っても本当にわずかばかりかもしれませんが、そのわずかな努力が本当に大事なので、お互いに情報発信を頑張っていきましょう!

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  2. 私も、歴史系記事でゲットされた口なのですが、政治系記事も大変参考になっています。
    花園さんの記事は、わかりやすく、是非の視点が両方あり、公平ですね。
    私は、正直、政治は疎くて興味がもちづらかったのですが、陽月秘話では、
    公平な中にも、ご本人の意見が熱く語られていて(大嫌い、とか、選挙の話は三度のメシより好き、とか、、)、記事を読んでると、「そんなに熱くなれるものなのか、、」と、興味をかきたてられることもあります。おりしも参院選も近く何か思っていることがあれば、教えてくださいvv

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    1.  政治の話というのは本質を辿ると、意外に単純な構造していて誰でも理解できる内容であることが実は多かったりします。なのになんでわかり辛いかと思われているのかというと、業界批判しちゃうとやっぱり新聞業界がわかりにくい書き方をして記事を書いているせいであって、そういうのに石投げたいという思いもあって必死でわかりやすく書こうとしている時があります。
       記事中にも書いておりますが、やはり今の時代、事実関係はともかくとして政治に対して記者もどんどん自分の意見を強く書くべき時代になっているように思います。時たま、記事に自分の感情を出し過ぎなのではないかと思う時もあるのですが、感情のない政治記事なんて逆にあるのかと思うと、感情もやはり個人の意思だと割り切って書くべきだと考えています。おかげさまというかそういった姿勢が読者にも評価されており、個人ブログというのもありますがこのスタイルは維持してこうかと思っています。
       参院選についての記事もすでに準備中です。特段大きなニュースがなければ明日にも書いてみるつもりです。やっぱりそういう解説記事が求められているんだなぁ( ´ー`)

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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