前回までに全斗煥政権期における北朝鮮の国際テロ事件を取り上げました。こうしたテロ事件が頻発した中で全斗煥政権はソウル五輪の招致に成功するのですが、全斗煥本人は1988年に大統領任期が切れ、後任に士官学校で動機であった盧泰愚を指名し、院政を敷こうと考えていました。しかし彼が院政を敷く前に韓国では再び大規模な民主化運動が起こり、その結果として朴正煕政権以来(李承晩期も含んでいいが)続いていた軍事政権が崩壊することとなります。
まず韓国の民主化運動についてですが、はっきり言って非常に長い歴史があります。現代にも伝わる流れとしては朴正煕政権時代に民主化を求めて金泳三、金大中が活発に活動していたのでこの辺りから見るべきかなと考えるのですが、民主化運動というのは言い換えれば政府の政治弾圧の歴史と言ってもよく、光州事件など死傷者が多数出る事件にもしょっちゅう発展しています。しかし死傷者が多数出ながらも韓国ではなかなか民主化へと至らなかったのですが、全斗煥政権期に起きたいくつかの変化が大きく作用して軍事政権は倒れることとなりました。
その変化というのは主に二つあり、一つは中間層の拡大と、もう一つはソウル五輪です。全斗煥は国内で大衆政策と共に経済振興を実施したので生活に余裕のある中間層が韓国でも増えていきました。これら中間層はそれまで大学生が主体だった民主化運動に加わるようになり、なまじっか経済の担い手でもあるため政府としても対応に苦慮したと言われます。
次のソウル五輪ですが、度々政治デモが起こっていたことから当時、五輪開催は難しいのではと思われて場合によってはロサンゼルスで代理開催を行うことまで議論されたそうです。政権側としても国家のメンツのかかったイベントであるだけにデモの鎮静化が最優先課題となったわけなのですが、こうした中で妥協案として出てきたのが民主化宣言です。
朴正煕政権以来、韓国の大統領は軍部の息のかかった人間の投票によって決められる間接選挙制で選ばれていたのですが、盧泰愚はこれを国民の投票による直接選挙制に改めると宣言することで妥協を図りました。結果としては上手く作用してデモは鎮静化し、ソウル五輪も無事開催できたわけなのですが、問題なのは次の大統領選。案の定というか全斗煥の跡目を争う1987年の選挙では民主派の代表格である金泳三と金大中が出馬して来て盧泰愚とぶつかり合ったのですが、皮肉なことに民主派の票が金泳三と金大中の二人に別れてしまい、漁夫の利的に盧泰愚が当選しました。人間やってみるもんだね。
ただ議会選挙では民主派が保守派に勝利したことから盧泰愚は金泳三陣営と連立を組み、議会においては民主制が先に実現しました。そして1992年の大統領選挙で金泳三が今度は無事に当選し、32年間続いた韓国軍事政権は終わりを告げることとなったわけです。
私個人の歴史観で言えばここまでが韓国の近代史であって、金泳三政権以降が現代史になると考えております。というのも民主主義大統領が生まれて徐々に国の政策も開放的になり、行ってしまえば他の資本主義国に韓国が明確に近付いたのがこの時期だからではないかと思うからです。
そういうわけで次回は、退任後も変な不正疑惑が付きまとわない珍しい韓国大統領経験者の金泳三の時代を取り上げます。
今晩、東アジアカップで中国VS韓国やけど、キミはどちらを応援しますか?
返信削除そら中国応援するよ。
返信削除日本初優勝、おめでとうですわ。中国は惜しくも二位でしたね。韓国はアカンやねん。
返信削除このところ韓国は調子悪いからね。日本もアジアでは勝つが欧米相手だとまだまだ負けるし、精進が必要だよ。
削除日韓試合時、日本サポーターが帝国主義による侵略の象徴である旭日旗を使って応援していたことをご存じでしょうか?日本のメディアは一切報道していないようですわ。
返信削除旭日旗は一応報じているメディアもあるけど、韓国の横断幕に比べて少ない気はするね。ま、この辺も合わせて次の記事で書いてみるよ。
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