日本で中国の小説と言ったら一に西遊記、二に三国志、三に水滸伝といったところで、あと金瓶梅とか封神演義が続く者かと思います。ただこれ以外にも中国国内で有名な古典小説はほかにもあり、私自身もそれほど読んではいないのですが、中国で代表的な戦う女主人公こと「十三妹(シィサンメイ)」が活躍する「児女英雄伝」や、こっちはテレビドラマが有名ですが中国版大岡越前が活躍する「包公故事」などあり、今日紹介する書籍の下地である「楊家将演技」というのもその一つです。
楊家将演技というのは書いて文字の如く、北宋の時代で武官だった楊一族が燕雲十六州を保有する遼との戦争において、時には大勝し、時には傷つき、時には裏切られるという軍記物の小説です。はっきり言って日本国内での知名度は無きに等しく楊家将演技と聞いて反応できるのは相当な中国古典マニアくらいだったのですが、ハードボイルド、歴史小説で有名な北方謙三氏が数年前に小説化したことで、日本で初めてといっていいほどに日の目を浴びました。
北方氏はタイトルにも掲げている「楊家将」、そしてその続編である「血涙 新陽家将」というタイトル(それぞれ上下巻)で小説を発表しましたが、この本を私が知ったのは、口を十秒間閉じ続けることがまずないある先輩から教えてもらったことがきっかけです。あの楊家将を日本で小説化されているとは知らなかったために最初驚き、かつ前から興味があった内容だったことから早速電子書籍で購入して読んでみましたが、文句なしに推薦できるいい小説でした。
細かい感想を述べる前に当時の中国の状況を簡単に説明すると、10世紀に宋(北宋)が成立するまで中国は各地で軍閥が乱立して戦国時代のような様相を示しており、さらに北方からは異民族が進出してくるなどてんやわんやな状態でした。そんな時代に後晋という国が北方異民族の契丹族と手を組んで成立したのですが、この時の協力の見返りとして現在の北京市を含む、万里の長城を超えた領土を契丹属に割譲しました。この割譲された地域のことを燕雲十六州と呼び、契丹族は「遼」という国名を掲げてこの地に住む漢民族を支配するとともに領土を保有し続けておりました。
割譲から少し時代は流れてようやく宋の初代皇帝である趙匡胤が中国をほぼ統一するのですが、燕雲十六州だけは遼の抵抗が激しくとうとう奪還することが出来ず、それどころか逆に散々に打ち負かされることが多かったために最終的には宋が遼に毎年贈り物を送ることで互いに戦争をしない不可侵条約、「澶淵の盟」が結ばれてひと段落するわけです。まぁその後に色々あって奪い返すんだけど、それはまた別の機会にでも。
「陽家将」というのはこの宋と遼との燕雲十六州を巡る戦争の軍記小説なのですが、北方氏は元々のオリジナルを大胆に脚色しているとのことで、原作には登場しない人物も多数出てきます。そうした脚色以上に北方氏の小説で私が注目したのは戦争時の描写で、流れるような文章でかつ躍動感の伝わる素晴らしい出来となっております。特に中国北方、それも漢民族VS契丹族の戦争であることから騎馬隊の戦いがメインで、その騎馬隊の運用から指揮、訓練の場面まで事細かに書かれてあり、ほかの歴史小説と一線を画す戦いぶりが見事と言っていいほど描かれています。
さらにそうした描写に加えてですが、北方氏の小説では原作でも主人公である楊一族の棟梁、楊業が「楊家将」で主人公を務め、彼が死んだ後の「血涙 新楊家将」では宋で武将となる楊業の六男と、記憶を失って何故か遼で将軍となった四男が主人公挌で話は進んでいきます。こうした楊家のキャラクターはそれぞれ個性があってとても魅力的なのですが、残念というかなんというか、あるキャラクターにすべての魅力が食われてしまっているというのが実情です。
そのキャラクターというのも、遼の将軍である耶律休哥(やりつきゅうか)という人物で、ちょっと調べてみたら楊業とともに実在した人物でした。北方氏の小説ではこの耶律休哥というのが異常なまでに戦争で強く、なおかつ一切油断もしなければ部下にも厳しく妥協もしない、まさに戦場の鬼と呼べるような無茶ぶりなキャラクターです。
その妥協なき姿勢+異常な強さだけでも十分魅力的ですが、何の縁というべきか記憶を失った楊業の四男を部下にして指導することとなり、彼に段々と父親めいた感情を持ち、四男も同じように慕っていく過程がその人物像に深みを与えています。もっとも父親と言っても異常なまでに厳しいので星一徹みたいな親父となっておりますが。
なわけでこの小説のタイトルは「楊家将」というよりも「耶律休哥」にしても良かったのではないかと思う出来栄えです。ただ内容自体は最初にも述べたようにしっかりした出来で本気で太鼓判押せるので、興味がある方はぜひ手に取ってみてください。
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